第20話
「痛たた……」
馬には乗れるようになったが、変なところに力が入る癖が中々抜けない。
毎日筋肉痛と闘っている……そんな状況だ。
あれから三ヶ月が経った。
ロバートはたまにフロストの屋敷に来てお茶を飲んで帰る。少し前にジェーンが父に『ロバートがあまり話をしてくれない』と愚痴っていたが、『学園の入学が迫っているから忙しいんだろう』とジェーンを宥めていたっけ。
ロバートと私は顔を合わせても挨拶程度だ。馬場で会ったあの日から、何となくギクシャクしているままだ。
ギクシャクと言えば── 。
ジェームズは私を避け続けていた。
私が二人が父の実子であることを知っていると告げれば、彼の態度も変わるのだろうか。
ジェームズが私を傷つけたくなくて……私を思って避けているのなら……そう思うが、話のきっかけを掴むことが出来ずに三ヶ月が経ってしまった。
そんなことをボーッと考えながら廊下を歩いていたその時── 。
「わがままを言うな! おいジェームズ!」
執務室の前を通りかかった時、父の大きな声が聞こえた。
思わずビクリとして、立ち止まる。すると目の前で大きく扉が開いて、険しい顔のジェームズが勢い良く出て来た。
「あ……」
私はその勢いに少し後ずさった。
お陰で扉にはぶつからずに済んだのだが、目の前に私がいたことで、ジェームズは驚いたように目を丸くした。
「……」
「……」
ほんの一瞬、無言で見つめ合うが、先に動き出したのは、ジェームズだった。
私の横を無言で通り過ぎる。その顔は少し怒っているようにも見えた。
「ジェー厶── 」
声をかけようとしたが、彼はそれに反応することなく、ズンズンと私から離れて行く。
私は何も言えず、その背中を見送ることしかできない。
すると直ぐに父も部屋から出てきた。その顔は怒りに満ちている。
すると、部屋の前で佇んでいた私をギロリと一瞥した。
「何だ。何か用か?」
「い、いえ。たまたま通りかかっただけです。あの……ジェームズは── 」
別に気にしなければ良かったのかもしれないが、ただならぬ二人の様子に私は無意識にそう口にしていた。
「お前には関係ない!」
そう怒鳴った父は私の姿を上から下まで確認すると馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「ふん! ……女だてらに剣や馬など。お前はあの女に似て本当に可愛げがない」
『あの女』が母を指している言葉だと嫌でも分かる。
母は賢く父へもはっきりと意見する人物だった。父がそれを面白く思っていなかったことは子ども心にも分かっていたが、はっきりと言われると、カチンときてしまう。
「可愛げなど騎士に必要ありませんから」
無意識にそう口にして直ぐに『しまった!』と反省したが、時すでに遅し。
父の顔がみるみる赤くなったと思った瞬間、私の頬に激しい痛みが走った。
殴られた── そう理解したのは、頬が焼けるように熱くなったからだ。
父が私を嫌っていたのは知っていたが、殴られたのは初めてだ。頬に手を当てた……かなり熱いが、今の私には頬より心のほうが痛かった。
父から愛されたいと願った私はもう居ないが、さすがに殴られたショックは大きい。
父もその顔を見ると、少々やり過ぎたと思ったのか少し戸惑っているようだったが、プライドの高い父に謝罪の言葉はない。
「いいか。ジェーンにもジェームズにも近づくな。二人はお前と違ってこのフロスト家の為に結婚しこの家を盛り立てていく。騎士になりたいだのという馬鹿な人間とは根本的に違うんだ。── お前は、これからもう食事も自分の部屋でとれ。極力二人に関わるな」
『分かったな』と言わんばかりに父が私の目の前に人差し指を突きだして念を押す。
「……畏まりました」
何故こんな扱いを受けなければならないのか……その理不尽さに声が震えた。
父はそのまま私の横を通り過ぎる。私は熱くなった頬から手を離す。
なんだが色んなことが馬鹿らしく思えた。
生きているだけで嫌われる。
一度目の人生と相まって急に気分が悪くなった。
力なく視線を廊下へ落とすと、そこにペンが一つ落ちているのが視界に入った。
「これは……」
私はそれを拾い上げる。それは私がジェームズに誕生日プレゼントとして贈った物だった。
「ジェームズ!」
結局、ペンを拾った私はジェームズの姿を探し回った。
そこまで広い屋敷ではなくても人を探すには意外と骨が折れる。
私の顔を見たジェームズはキュッと眉根を寄せた。……そんな不快そうな顔をしなくても……そう思うと心なしか落ち込む自分がいた。
「これ」
ジェームズはちゃんと立ち止まって私を待ってくれていた。表情は硬くても、それは私をホッとさせる。
駆け寄った私がペンを差し出すと、彼は慌てた様子で胸ポケットを探る。
「ごめん。落としてたんだな。それよりお前の顔──」
最近のジェームズよりずっと優しい声色になる。彼の視線は私の頬に注がれていた。きっと……赤く腫れているのだろう。自分のことなのにすっかり忘れていた。
「あぁ、これ? 気にしないで。それより……使ってくれてたんだね、それ」
ジェームズはペンを受け取ると胸ポケットへとそれを仕舞う。そして、何故か大事そうにそっとポケットを撫でた。
「……せっかく貰ったから」
「嬉しい。ありがとう」
お礼を言う私の顔をジェームズはジッと見つめた。
「なんでお前が礼を言うんだよ。それより頬──」
「だって……プレゼントを使ってくれてたら嬉しいじゃない」
「……お前だって……俺の誕生日パーティーで……あのブローチ着けてくれてただろ?」
ジェームズはそう言うと、照れ隠しなのか頭をポリポリと掻いて俯いた。
「気づいてくれてたの?」
「あ、当たり前だ」
久しぶりにジェームズと会話出来ている気がする。── 今しかない。きっかけを逃すとまた、すれ違いの日々に戻ってしまう。
「ねぇ、ジェームズ。貴方が最近私を避けているのって……貴方達がお父様の血を分けた子どもだと聞いたから?」
私の言葉にジェームズはギョッとしたように目を見開いた。
「そ、それ誰から……」
「私に知られないようにって気遣ってくれたんでしょう? だから私を避けてたの? 傷つけない為に? それなら── 」
せっかくチャンスが回ってきたのだ。だから言おう『私は最初から知っていた』と。そうすればジェームズの肩の荷が少しは降りるのではないかと、そう思っていた。思っていたのに── 。
「お前……それ知ってたの?」
ジェームズの声が一際低く感じた。棘を含むその声音が何故か恐ろしい。
「え? ……うん。噂になってたし……」
「ハッ! そうか……知らなかったのは俺だけか。クククッ──俺って馬鹿だよな」
ジェームズは額に手を当てて、急に笑い出した。だが……笑顔ではない。呆れたように笑うジェームズに何故か不安になった私は無意識にジェームに手を伸ばした。
「ジェーム……」
「触るなよっ!」
私の手はジェームズによってはたき落とされた。
「知っててお前── 」
そこまで言ったジェームズは言葉をつまらせギョッとした顔で私を見つめていた。
「お、おいなんで泣いてるんだよ。い、痛むのか? 痛むのか? 頬が」
急にオロオロし始めるジェームズ。泣いてる? 私が?
私はそっと自分の頬に触れる。腫れてる……熱も持っているのだろう。そんなことより……頬に触れた指先が濡れていたことに自分自身が一番驚いていた。




