第19話
「お嬢様、もう少し背を真っ直ぐに、姿勢を保って」
乗馬というのは、何故にこんなにも無駄な力が入ってしまうのだろう。幾度となくレイに注意を受けるのだが、中々うまくいかない。
乗馬のレッスンを始めた初日など、翌日は筋肉痛で動けなかった程だ。今はそこまでではないが、翌日の朝、筋肉痛で辛くなることは免れない。
馬に乗れなければ、その分騎士への道は遠のく。そう分かっていても、高い馬の背に今だ恐怖を感じていた。その時── 。
「アンジェリカ!」
私の名を呼ぶ声が聴こえる。この声は── 。
「ロバート様?」
私は声のする方へと顔を向けた。馬場の柵の向こうに手を振る人物が見える。久しぶりに顔を見る彼は、私が想像しているよりも明るく見えた。
「ロバート様、どうしてここに?」
馬を降りた私は柵を挟んでロバートと向き合った。
「ちょうど街へ買い物に出ていたら君の侍女に会ってね。居場所を尋ねたらここだって」
ここは王都の郊外にある馬場だ。屋敷に広い馬場がない家はここで乗馬の練習を行なっている。うちもその内の一つだ。
「マチルダに?」
「うん。君にお礼が言いたかったけど……フロストの屋敷には行きづらくって。ところで……本気で騎士になるつもりでいるの?」
明るかったロバートの表情が少し曇る。
「ええ、もちろん。ところで……ロバート様、もう……その……平気?」
お祖母様の事で落ち込んでいるのだろうと思っていた。だから我が家にも顔を見せないのだろうと。
「手紙……ありがとう。僕が祖母にベッタリだったことを知っているのは君ぐらいだ。恥ずかしいけど……僕の気持ちを理解してくれる人がいて嬉しかったよ」
私が母を亡くした時もロバートが慰めてくれたことをちゃんと覚えている。
厳しい母だったが、私にとっては唯一の味方だった。
幼い頃から父は私に無関心。それはきっと母との関係があまり良くなかったから私にも同じように好意を持てないのだと納得していたが……本当は大切な女性や子どもが他所にいたからなのだと今なら分かる。
「母が亡くなった時、側で支えてくださいましたもの。悲しい気持ちは無くなりませんけど少しても私の言葉で慰めになれば……と」
すると柵に乗せていた私の手にロバートは手を重ねた。
「父も母も悲しむ僕を見て軟弱者だと言ったよ。確かに自分でもそうだと思ってた。……けど……君の手紙を読んで、ちゃんと悲しんでいいんだって思って。気が済むまで泣いたっていいんだって」
重ねられた手が温かい。私はしっかりとロバートの顔を見て言った。
「私たちは貴族に生まれ、感情を表に出さないことが美徳だと教育を受けてきましたけど……たまにはいいじゃないですか。楽しければ大声で笑っても、悲しければ大粒の涙を流しても。自分の心は誰のものでもない……感じ方は自由です」
「本当にありがとう。君のお陰で思う存分泣いて、もうすっきりだ。早く君にお礼が言いたかったんだけど……ジェーンに会いたくなくてね。本当はジェームズに君宛ての手紙を託そうと思ったんだけど── 」
ジェームズの名前が出たことで、私は不意に尋ねてしまった。
「ロバート様……ジェームズと何かありましたか? 例えば喧嘩をした……とか」
するとロバートは少しだけバツの悪そうな顔をした。
「別に喧嘩じゃないんだけど……余計なことを言っちゃったかもしれなくて。それも相まってフロストの屋敷に行きにくいんだけど」
やっとロバートは私の手から自分の手を離して、その手で頭をポリポリと掻いた。
「余計なこと?」
ロバートはとても言いにくそうだ。
「あの……ジェームズの様子がおかしくて……良ければ教えていただきたいのですが」
ロバートは何かを知っているに違いない。尋ねるなら今しかない。
ロバートは私の様子を窺いながら、やっと口を開いた。
「君は……知ってるのかな? ジェームズたちが……その……伯爵の── 」
「二人が父の実の子である……そのことでしょうか?」
私が彼の言葉の続きを口にすると、ロバートは少しだけホッとしたような顔になった。
「やっぱり知ってたんだ」
「父に直接教えて貰ったわけではありませんが……随分と噂になっているようで」
それを恥だと思わないリンダやジェーンのお陰で、随分と広まってしまった噂。一度目の人生ではその事実にショックを受けたが、今の私にとっては些細なことだ。
「辛い……よね」
ロバートは言葉を選びながらそうポツリと言った。
「……いえ。驚きはしましたけど。辛いとか嫌だとかそんな気持ちは……」
さすがに冷めすぎてると思われたのか、ロバートは少し驚いたような顔をしていた。
「前から思っていたけど……伯爵との関係って……あまり良いとは言えない?」
「そうですね……。まぁ、それなりだと思います」
ロバートはキュッと眉根を寄せて辛そうな顔をした。
私はそんな彼に気にしなくて良いとの気持ちが伝わるように微笑んだ。
「ロバート様が気にすることではありません。それよりそれとジェームズとは何の関係が……?」
「実はその件をついジェームズに言ってしまったんだ。僕としては当然知ってるものだと思ってたんだけど彼、凄く驚いてて。それからなんだ、彼の様子がおかしくなったのは。葬儀が終わってフロスト伯爵と帰る時にでも、もう一度話そうと思ってたんだけど、その機会も結局なくてね」
ジェームズが知らなかった?
私もジェームズはその事実を知っているものだとばかり……リンダもジェーンも知っているのだし噂通りなら二人はあからさまにその態度でいたはずだ。
私が首を傾げて考え込んでいると、ロバートは私の肩にポンと手を置いた。
「もし君が知らなければ黙っててやって欲しいとジェームズに頼んだんだ。君を傷つけたくなくて」
「お気遣いありがとうございます。……でも私は平気ですから」
ジェームズは私にその事実を隠そうとするあまり私を避けていたのかもしれない。そう思うと、何処かでホッとしている自分がいた。── 嫌われているわけではない──その事実が少しだけ私の気分を上向きにさせた。
「君は強いね。── 騎士を目指すことにしたのも……僕が……」
私の肩に置かれた手が少し震えているような気がした。
「婚約解消のことを気にしているのなら、それは間違いです。政略結婚は家と家の問題。ロバート様のせいでも……ましてや私のせいでもありません。父とゴールド伯爵との間で決まったことなら、従う他ありませんもの」
「き、君はっ!……それで平気なんだね。僕との婚約なんて……」
ロバートは少し苦しそうに顔を顰めた。
二度目の人生……ロバートもジェームズもなんだが様子がおかしい。
私は肩に置かれたロバートの手を外し、両手でそっと包み込んだ。
「五年間、ロバート様の婚約者として過ごしてきた想い出はちゃんと心に残っています。これからはジェーンと仲良──」
「もう良い!……君の口からそんな言葉は聞きたくなかったよ……」
ロバートは私の手を振りほどくと、悲しげな表情を浮かべ背を向けた。
「ロバート様……」
「とりあえず……君にはお礼が言いたかったんだ。……じゃあ」
彼は振り返らずにそのまま遠ざかっていく。
……ジェーンとの仲があまり思わしくないことは分かっていたが……も、もしや……ロバート様って私を……?
「いや、いや、いや」
私は自分の考えを否定するように大きく頭を横に振った。
今の私にはそんなものは必要ない。──ただ、長生きしたい。それだけだ。




