第16話
マチルダを捜すのに、意外と時間がかかってしまった。
ホールに居ないことで、ジェーンに逃げたのだと思われるのは癪だった私は、急いで会場に戻る。
入った途端、なんだか会場の空気が先ほどとは違うことに気づく。
三十人程の招待客が遠巻きに眺めていたもの。── それはロバートの前で涙を流すジェーンの姿だった。
私は目立たぬよう、招待客の陰に隠れてそれを見守る。
すると、私の前にいた二人のご令嬢が小さな声でヒソヒソと話をしている声が微かに聞こえた。
「── よね。ロバート様が少しお可哀想だわ」
「そうね。アクセサリーじゃないからって……そんなに気に病むことかしら?」
確かに、この国で婚約者の誕生日には身に付ける物を贈り合うのが習わしとなっているが、別にそれは強制ではない。
私もロバートに本を贈ったこともあるし……。
パートナーにお互いの色を身に纏わせたい……そんな独占欲にも似た習慣の名残り。ただそれだけだ。
ロバートの声は小さくて、私の所までは届かないが、何度かジェーンに頭を下げている様子が見て取れる。
こんな大勢の前で頭を下げさせるなど……ロバートにとっても屈辱でしかないだろう。
ジェームズが涙を流すジェーンの肩に手を置き、何かを必死に口にしているが、ジェーンはそれに何度も首を横に振っていた。
私は扉の近くにいた為、三人のやり取りの声は届かない。だけども何となく事の顛末は分かってきた。
プレゼントを開けたジェーンがロバートからアクセサリーを貰えなかったことで駄々をこねている── そんなところだろう。
私は会場の中を見回す。しかしそこにリンダの姿がないことに気づいた。
この場を収められるのはリンダしかいない。私はそう思い彼女を探すため、そっと会場を後にした。
廊下を進んだ私の目に、裏庭で見知らぬ男性と隠れるように話すリンダの姿が映る。少し空いた窓から、リンダの困惑したような声が聞こえてきた。
私はそっと物陰に隠れ、窓の隙間から零れ出る彼らの声に耳を傾ける。何故だか分からないけれど、胸がざわつく。ここに私が居ることを悟られてはいけない。本能的に私はそう強く思った。
息を潜めると、風に乗って聴こえる微かな会話を耳が拾った。
「──るのよ。今日は帰ってちょうだい」
「つれないじゃないか。……金が足りないんだよ」
男の声に聞き覚えはない。それにさっき見かけた男の風貌……貴族だとは思えなかった。
「今はこれしかないわ。さぁ、さっさと帰って」
「いつも悪りぃな。じゃ、また」
ザッザッと砂を踏みしめる音が聴こえる。どうも男は裏庭を出て行ったようだ。
私は慌てて窓際から離れ、近くにあった部屋へと身を滑らせた。
ドアを細く開け、隙間から様子を窺う。裏口からリンダが屋敷へと戻ってくる姿が確認できた。
彼女の背中が廊下の向こう側へと消える。きっと会場へ戻ったはずだ。
私はそれを見送ると、大きく息を吐いた。無意識に息を止めていたらしい。
彼女の姿が完全に見えなくなったことに安堵して、私はようやく部屋の外へと足を踏み出した。
先ほどのリンダと見知らぬ男との会話を反芻しながら私はまた会場に戻った。
── そしてあのロバートの退席劇となったわけだ。
◆◇◆◇
「大丈夫か?」
ボーッとしていた私にジェームズが尋ねながら顔を覗き込んだ。
「え……えぇ。なんとか。でも何が?」
混乱した私にリンダの胸で泣いていたジェーンがキッ! と睨みながら言った。
「さっきロバートとコソコソ廊下で何か話していたでしょう!? あなたが何かロバートに私の悪口を吹き込んだに違いないわ!」
ロバートが私を追ってきたあの時のことを言っているのだろう。見られていたのか誰かが告げ口をしたのかは分からないが厄介なことになった。
「二言、三言お話しただけです。貴女と彼が結婚すれば家と家の縁が続いていくのですもの、挨拶ぐらい問題ないでしょう?」
プレゼントのことは黙っているに限る。きっとそれはバレていない。あのプレゼントが……綺麗な金細工の髪留めだったなんて、絶対にバレてはいけない。
「じゃあ、何を話していたか言ってみなさいよ! どうせ私の悪口でしょう!」
「どうしてそう思うの? ロバート様と何が── 」
「私はわがままだと言われたわ! しかもあなたと比べられてね!」
ジェーンがヒステリックに叫ぶ。
私の居ない間に何があったのかは分からないが、ロバートの言葉はジェーンの心の何かを踏み抜いたようだ。まぁ、敵対視している私と比べられるのは面白くないだろう。
私だって一度目の人生で何かにつけてジェーンと比べられていた。
『アンジェリカはジェーンと違って可愛くない』
『アンジェリカはジェーンと違って愛想が悪い』
父やロバートに言われる度に傷ついたことは確かだ。
「私は貴女のことなど何一つ口にしていないわ。だって── 私、貴女のことをよく知りませんもの」
私の言葉にジェーンは目を見開いた。
周りもざわついている。
「私と貴女、そんなに深い会話をしたことがありまして? 知りもしない相手の悪口を言うほど私は想像力豊かではありません」
私は困ったように眉を下げた。そして打たれた頬にそって手を置く。
何と言われようと叩かれたのは私。周りからどう見るのかは一目瞭然だ。
招待客のざわめきの中に『でもさ、アンジェリカは婚約者を譲ったんでしょう?』『後から来て二人の邪魔をしたのはジェーンの方よね?』という声が混じる。
一度目の人生ではロバートがジェーンを愛してしまったから『魅力のない姉が婚約者に捨てられた』と皆に嘲笑されたが、今回の人生では違うらしい。
リンダは少し慌てたように周りを見渡して言った。
「皆様お騒がせいたしました。どうもジェーンは疲れてしまったようですわ。せっかく皆様にはお祝いに来ていただいたのですけれど、勝手ながら今日の会はお開きということにさせていただきたいと思います。会場にはまだお食事もお飲み物も残っておりますので、どうぞ最後までご自由にお召し上がりくださいませ」
リンダはジェーンの肩を抱き、彼女の退出を促す。ジェーンは鋭い目で私を睨んでまだ何か言いたそうに口を開くが、リンダが無理矢理彼女を抱きかかえるようにして、会場を後にした。
まぁ、これ以上下手なことを言い出す前にジェーンを連れ出したのは正解だろう。
この会場の風向きはジェーンに不利だ。── そう、逆に言えば私に有利ということ。
私は赤くなった頬にまだ手を当てて佇んでいた。
「アンジェリカ、頬を冷やした方がいい」
ジェームズの言葉に私は弱々しく微笑んだ。
「そうさせてもらうわ。せっかくの貴方のお誕生日パーティーなのに……台無しにしてごめんなさい……」
私はそう言って視線を下げた。
正直、剣の練習を始めてから、小さな怪我は日常茶飯。あんな非力な少女の平手打ちなど大して痛くはない。ただ、突然過ぎて驚いただけだ。
だがこの状況を使わないわけにはいかない。
「お前のせいじゃない」
ジェームズは優しく私の手を頬から剥がす。
「やっぱり赤くなってる。ここは俺に任せてお前も戻れ」
私は周りを見渡して頭を下げた。
「皆様、今日はジェームズとジェーンの為にありがとうございました。一足先に部屋へと下がらせていただきますこと、ご容赦くださいませ」
すると、一人のご令嬢が私に歩み寄る。
「私どものことはお気になさらず。── 貴女も大変ね。……私も父の後妻の連れ子とは上手くいっていないの。貴女の気持ち、凄く分かるわ」
最後の言葉は私の耳元で囁かれた。私はハッとしてそのご令嬢の顔をジッと見る。
彼女はクラエス伯爵のご長女であるミルナ様だ。
私より二つ歳上の十三歳。確かに数年前クラエス伯爵は再婚したと聞いたことがある。歳が違うこともあって、今まで特段仲良くしていたわけではないが、今の言葉に何となく親近感が湧いた。
私は彼女に柔らかく微笑んだ。
「ミルナ様、ありがとうございます。なんだか心強いですわ」
彼女もそれに応えるように微笑む。私はミルナ様に促されるまま、会場を後にした。




