第12話
結局、私は勧められるがまま、その模造剣を買うことにした。
私がお会計に向かう間に、殿下は背を向けて店の出口へ向かう。
私はその背に『ありがとうございました』と再度声をかけた。
ゼイン殿下はパッと振り向くと、片手を軽く挙げて応える。私はもう一度深々とお辞儀をした。
「驚きましたね。あんなところに王太子殿下がおみえになるなんて」
先ほどまでずっと銅像みたいに固まっていたマチルダが、店の外に出てやっと呪いでも解けたように喋り始めた。
「本当に。驚いたわ」
「それに……まさか話しかけていただけるなんて── 」
マチルダの言いたいことも分かる。ゼイン殿下はまだたった十三歳ながらも、周りに人を寄せ付けない雰囲気を既に放っていた。
「そうね。……でもきっと本当はお優しい方なのだと思うわ」
そう口に出してふと思い出したことがあった。
確かめたかったが結局確かめられなかったこと。
それは私がゼイン殿下の専属侍女になった経緯のことだ。
侍女長には『真面目に働いていて任せられると思ったから』と言われていたが、ある日他の侍女からやっかみ半分に言われた言葉が蘇る。
『ゼイン殿下から推薦を受けたからっていい気にならない方がいいわよ』
あの時は何でそんなことを言われているのか分からなかった。
確かめたくても誰に尋ねたら良いのか分からず……結局そのまま、自分の心に仕舞ったままだった。
あれは……どういう意味だったのだろう。
「お嬢様? どうされました?」
「え? あ、ううん。別に何でもないわ。さて! 屋敷に戻ってさっそく鍛錬よ!」
マチルダの声に我に返った私は、過去を振り払うように殊更明るく声を上げた。そして馬車まで歩く足を速める。
過去なんて思い出しても仕方ない。今さら考えたって答えはない。
だって私はもう二度と王宮へは近づかないと決めたのだから。
急に明るくはしゃぐ私に、マチルダは少々面食らいながらも私の後ろを慌てて付いてきた。
「お嬢様、剣を触るなんてまだまだですよ。まずは体力作りからです」
買ったばかりの模造剣をちょっと自慢気にレイに見せたのだが、あっさりとそう言われ、模造剣はレイの手の中に収まってしまった。
「まず……その格好をどうにかしなければなりませんね」
レイの言葉に私は自分の姿を見下ろした。
動きやすいように、シンプルなワンピースを選んだつもりだが、それではダメだったようだ。
「少し待っていてください」
そう言ったレイを待っていたら、青いシャツと黒のトラウザーを持って現れた。
「私のお古で申し訳ありませんが、これに着替えてください。ちゃんと洗濯はしてありますから汚くはないですよ」
「ありがとう! じゃあ少し借りるわね」
私は屋敷に戻ってレイのお古に着替える。どちらもずいぶんと大きい為、私はシャツの袖もトラウザーの裾も、何度も何度も折って自分に合うようにする必要があった。
腕立て伏せ、腹筋、走り込み。
レイは私にそこから始めるようにと告げた。
最初は一回も出来なかった腕立て伏せがなんとか十回を超えるようになってきた頃、突然父に書斎へ呼び出された。
「何をやってる?」
私のことなんか目にも入っていないと思っていたのに……気にするなんて珍しい。
「身体を鍛えております」
私の言葉に父は苛ついたように拳で机を叩いた。
「だから! それは何のためだと訊いているのだ!」
怒鳴られたところで痛くも痒くもない。私は淡々と事実だけを述べた。
「将来、騎士を目指そうと思っております」
「騎士だ? 何を言っている。お前は女だぞ!」
父は怒りで顔を赤くした。……どうも今日は特別機嫌が悪いらしい。
「分かっております。ただ、最近は女性でも騎士を目指す方が増えてきたとか。私は婚約解消された身ですし、うちにはジェーンがおります。私まで結婚するとなれば持参金は二人分。それを踏まえて私は結婚せずに騎士を目指した方がこの家の為になると考えた結果です」
『持参金』
その言葉に父はグッと何かを飲み込んだ。
ロバートの婚約者を私からジェーンに替える為に父はゴールド伯爵に持参金を倍にすることを持ちかけたという話だ。確認はしていないが、今の父を見るに、合っているのではないかと思う。そう……私まで結婚したら持参金は二人分どころか三人分。きっとこれは父の弱点になる、そう私は踏んでいた。
「……だが、家の為を思うなら結婚も一つの手段だ」
「確かに。では……私が学園に入学するまでに良い相手が見つからなければ……その条件ではいかがでしょうか?」
「条件? お前はいつからそんなに偉そうになったんだ? 私に交渉を持ちかけるとは」
本当に今日は虫の居所が悪いらしい。父の眉毛がピクリと動く。
「申し訳ありません。別に交渉しようとは思っておりませんでした。ただ、私はこの家のことを考えて── 」
「もういい。── 好きにしろ」
突然、父は邪魔くさそうにそう言い捨てた。その態度の変わりように若干戸惑うが、せっかく『好きにしろ』と言われたのだ、好きにさせて貰おう。
「分かりました。それでは失礼いたします」
私が背を向け扉に向かうと、その背中に父の声が飛ぶ。
「もし婚約者が見つかれば大人しく淑女科へ入学しろ。分かったな」
好きにしろと言ったくせに……そう思うが顔には出さない。
「畏まりました」
私は振り返り父に頭を下げて、改めて書斎を出た。もうこれ以上色々と言われるのは御免だ。
廊下に出たその瞬間、ジェームズから声がかかる。
「ずいぶんと派手に金を使い込んだんだ」
私は突然のその言葉に意味が分からず首を傾げる。
「お金? 誰が?」
「── お母様だ。先日お茶会を開いたろう?あれでな」
私は先週のことを思い出していた。部屋から出るなと言われたあの日のことだ。
「あぁ。そういえば」
「それでお父様の機嫌が悪い。お前も災難だったな」
その口調は嘲るようなものではなく、本当に可哀想だと思っているようだった。
「仕方ないわ。虫の居所が悪い時もあるでしょうし」
私は微笑んで肩をすくめた。気に入られようとしなければ、八つ当たりされても辛くない。私はとにかく長生き出来ればそれでいい。
するとジェームズは背中に隠していた物を私の目の前に差し出した。
「これ、使えよ」
それは綺麗に畳まれた。数枚のシャツと数枚のトラウザーであった。
「これ……は?」
「レイのお古じゃデカすぎるだろ。これは俺のお古だ。── 結局お古で申し訳ないけど」
「あ、ありがとう!」
思いがけないプレゼントに驚いたが、私はありがたく受け取ることにした。
「── 頑張れよ。怪我には気をつけて」
ボソッとジェームズはそう言葉を残すと、そそくさと背を向けて廊下を歩いて行く。
私はその背を見送りながら、ギュッとジェームズからの贈り物を胸に抱えた。




