第11話
ロバートとジェーンが大喧嘩したと聞いたのは、その翌日のことだった。
珍しく父がジェーンに対して不機嫌さを露わにする。
「ゴールド伯爵家から正式に抗議が来た。婚約者といえど限度を弁えるようにと」
不機嫌なだけで怒っているというわけではない。ただ、向こうから抗議を受けたことが気に入らないのだ。
父はプライドの高い男だ。こんなしがない伯爵家の家長だというのに、プライドだけはそこら辺の公爵にも負けないのではないのかと思う。
「だって! ロバートはお茶会以外ではちっとも私を構ってくれないんですもの……寂しくて……」
そう言ってジェーンは声を震わせた。お得意の鳴き真似だ。だが、すぐに父は騙される。
「まだ婚約を結んで二十日も経っていないじゃないか……あちらにも都合があるんだ。分かってくれ」
父の声色は先ほどとは打って変わって優しげなものへと変化した。ジェーンの涙に弱いのは、二度目の人生でも同じなようだ。
朝食の場が一気に暗くなる。私は誰にも悟られないように小さくため息をついた。
間違いなくこの後ジェーンは八つ当たりで私に難癖をつけてくるだろう。そう思うと、早々に朝食を切り上げて街へと出かけた方が良さそうだ。模造剣を今日こそ買いに行こう。
私はそう決心すると、朝食を食べる手を早めた。
「お嬢様、本当に騎士科へ入学するおつもりですか?」
武具商で模造剣を品定めしている私に、付きそいのマチルダは心配そうに声をかけた。
貴族の通う学園には『騎士科』『普通科』『淑女科』の三つのクラスがある。
淑女科は殆どの女学生が、騎士科は騎士を目指す生徒が、普通科はそれ以外の生徒が所属する。
もちろん一度目の人生、私は淑女科の生徒だった。ちなみに王宮などで文官を目指す女生徒も普通科に属するが、かなりの少数派だ。
そう……王宮侍女として働くには淑女科に入学するのが必須だ。
それは何としてでもして避けたい。そうすれば私が将来王宮侍女として働く可能性は限りなく低くなるはずだから。
「ええ。婚約者も居ないし騎士になって上級貴族の御屋敷で雇われれば高給取りになれるもの。家の為にはそれでも問題ないでしょう?」
私の言葉にマチルダは顔を顰めた。
「お嬢様……女性で騎士になるのには並大抵の努力では── 」
「分かってる。だから、いまから剣の稽古をするんじゃない。レイにももう、お願いしてるし」
レイとはうちで働く護衛のことだ。うちにも数人の護衛はいる。門番兼護衛といったところだが。
「そうではなくてですね。お怪我とかお命とか……」
そう言われて私はハッとした。そうだ! 騎士だと命の危険があるのか! クソッ……私としたことが……迂闊。
いかにして王宮侍女にならずに済むかということばかりに気持ちが向いていた。
── しかし。ふと思う。ならば自分が一流の騎士になれば良いだけのこと。
腕を磨けば、その分命の危険は減る。
それに── 少なくとも汚名を着せられて服毒自殺などはせずに済むはずだ。
「心配してくれているのは分かってるの。こんなこと言っても理解してもらえないかもしれないけど……私はこのままお父様の言う通りに生きていくことが自分にとって良いことだと思えないの。私は誰かに決められた人生ではなくて、自分なりに考えた道を進んでいきたい」
私が死に戻ったなど誰が信じるだろう。その上この国の王子に殺されたなど、誰も信じない。
「お嬢様……最近凄く成長されて、まるで大人になったかのようで── 」
マチルダが少し困惑気味にそう口にした。
今の私には十九歳まで生きた記憶がある。そう思われても当然だ。
だが……もう少し子どもっぽくした方が良いのだろうか……。
模造剣を手にしたまま、そんなことをぼんやり考えていた。その時── 。
「お前にそれは重すぎる」
私の背後からそんな声が聞こえてきた。
振り返った私は、背後に立つその人物を目にして固まった。
「殿……下」
「こっちの方が扱いやすい」
そう言って私に一回り程小さい模造剣を差し出してきた少年。── 間違いない、王太子であるゼイン殿下だ。
一度目の人生。彼専属の侍女になったことで私は王位継承のドロドロに巻き込まれてしまった。
私は無意識に一歩彼から後ずさった。怖い……ゼイン殿下が怖いわけではないが、彼に近づくのが怖かった。
気づけば私は小さく震えていた。
「……どうした。模造剣を選んでいたのではないのか?」
殿下はキュッと眉毛を寄せる。私の態度が不躾だったせいだろう。
私はその様子にハッとした。
「も、も、申し訳ありません。突然のことで驚いてしまいました。ご機嫌麗しゅう……ゼイン殿下」
私は腰を深く落とし、視線を下げた。
「そうか……驚かせてすまなかった。頭をあげろ」
私は恐る恐る視線を殿下に戻す。少年から青年へ成長する前のゼイン殿下だ。私より二つ歳上のはずだから、多分今十三歳。
こんな私にも自然と謝罪が出来るゼイン殿下。そんなところが彼らしいと思う。
ゼイン殿下はあまり表情が変わらず、厳しい人だった故に『冷徹』だと称されることが多かった。
だけどそれは違う。ゼイン殿下は自分にも厳しく求めるレベルの高さから、そう見られていただけだ。
そして彼はそういう風に周りから称されていたことを知っていても気にしない質だった。
『言いたい奴には言わせておけ』
それに対して怒る側近にそう言っていたゼイン殿下を覚えている。
彼は飄々としていて掴みどころのない人物だった。だけど侍女でしかない私にも丁寧な姿勢を崩したこともないし、今のように自分が悪かったと思えばすぐに『すまなかった』と謝ることが出来る人だった。
「どうした、ボーッとして」
王宮で過ごした日々の波間に漂っていた私をゼイン殿下の声が引き戻す。
「あ、いえ。緊張して……」
私はそう言って頭を下げた。色んなことを一気に思い出してしまって、逆に頭が真っ白になる。
視線を落とした私の視界にズイッと模造剣が差し出された。
私は反射的に頭をあげる。
「ほら。握ってみろ」
私は一歩前に出て、その模造剣を受け取った。
柄の太さ、剣先までの長さ、そして重さ。全てがしっくりと手に馴染む。まるでずっとこの剣を使っていたかのようだ。
「わ……凄い……ピッタリ……」
無意識にそう口にしていた。
「そうか。それは良かった」
私は剣から殿下へと視線を戻した。そこにはほんの少し口角を上げた殿下の顔。……あぁ、この顔。彼が喜んでいる時の顔だ。
美味しいお茶を飲んだ時、殿下の部屋から見上げた空に虹が見えた時、月が青白く輝く夜空に流れ星が見えた時。
そんな時、とても分かりにくいけれど、彼はこうして少し口角を上げて笑う。私はそれを知った時、専属侍女の特権のように感じていた。
王宮での日々は決して楽ではなかった。気を張り詰める作業に、肉体労働。そして── その果てに……私はあの薄暗くカビ臭い地下牢で命を落とした。
思い出したくもないことばかりだと思っていたのに……ゼイン殿下の側で仕えた日々の想い出が何故か今、私の心をほっこりと温めていた。




