悪いって? 1
意気込んではみたものの、『悪』のイメージができていない。
私が想像する『悪』と言えば、賄賂や暗殺、誘拐のようなことをする組織であるが、『悪』とされる者たちだけがやっていることではない。
そうやって、『悪』ってなんなのかと考え始めると、『悪』についての哲学的な考察が始まってしまう。
モデルを決めて、それをなぞるのが楽なのではあるが、乙女ゲームばかりやって来た三十路に、『悪』のイメージに合うようなモデルも無い。
「はぁっ……。」
大きな溜息。
「いかがなさいましたか?お嬢様」
私が溜息をつくことが珍しかったのであろう。
ハンネが心配そうに、私の顔をのぞきこむ。
「ハンネ。悪とはなんだろうか?」
私の問いかけに気を取り直し、先ほどまでの世話の続きに戻るハンネ。
「悪でございますか……。」
漠然とした問いに、少し困ったような顔になる。
「法に従うことなく、己を貫き通す」
世の中で悪とされるであろうことを言ってみた。
「アウトローではありますが、人と関わらなければ無害ではありませんか?」
ハンネの鋭い分析。
このメイドと話をしていると、ドキリとさせられるような返しがたまにあり、本当は大卒くらいの転生者なのではないかと疑いたくなるものだ。
「やはり、人との関わりが重要なのか?」
「難しいテーマではございますが、悪は誰かに悪いと思われてからではないのでしょうか」
「誰かに悪と思われる……か」
確かに、観測する側に、そう認識されなければ、何をしたとしてもそれは単なる行動に伴う結果でしかない。
悪とは難しいものだ。
「さて、何から始めたら良いのであろうな」
根を詰めすぎるのもよろしくないと思い、話題を変える。
「お嬢様。考えすぎるのも悪しきことでございます。ティータイムにしてはいかがでしょう?」
更によい案が提示された。
ハンネにはお見通しというわけだ。敵わないな。
「煮詰まったな。その提案を受け入れよう」
「では、ご準備を」
「たまには、庭園の方で皆とやろうか」
ふと思いつき、より気分転換になりそうな提案をしてみた。
「それならば、軽食もでございますね」
「そうだな。手間を掛ける」
「そのための私たちです。お持ちいたしますので、先にいらしてください」
「分かった」
椅子から立ち上り、久々に顔を合わせる面々を思い出し、僅かながら心が弾む。
◆
我が屋敷には正門から正面玄関までの間をつなぐ、なかなかの広さの庭園があり、お抱えの庭師たちの手によって、維持と管理がなされている。
屋敷裏の外壁近くの一角に、手入れを任せている庭師たちの使う小屋が建てられていた。
「お嬢。体はもういいのかね」
気さくに声をかけてきたのは、顔に豊かなヒゲを蓄えているドワーフ族のオルグ。
星メモのファンタジー要素の一つである、異種族というやつだ。
他には、エルフや獣人、魔族なんかもいたはずだ。
「親方。私なら大丈夫だ。それよりも、一緒にお茶なんてどうかな?」
小屋に近づきながら、先程の問いに答えた。
「全く。いつも通りの子供らしくない言動じゃな。体も頭も大丈夫みたいだな」
小屋にはオルグの他に、庭師のパウルと小間使いのベンが道具の手入れをしていた。
「お嬢様。ここに来るのは執事のハンスが、良い顔をなさいませんよ」
パウルは長身で黒髪の青年。オルグの元で庭師としての修行を続けている。
「私はしたいことをしている。ハンスがどんな顔をしようとな」
今のはなんか悪っぽいような気がした。
「そんなこと言ってると、夕飯抜きにされちゃうぜ?」
ベンは鎌の手入れをしていた。
齢の頃は、十四、五といったところで、明るい茶色のくるくる天パの可愛らしい顔の少年だ。
「そうなったらオルグの奥方に泣きつくさ」
実際、オルグの奥さんの料理の腕はピカイチで、うちの料理人ともいい勝負になるだろう。
「お嬢様。お持ちいたしました」
ハンネがピクニック用のバスケットを持ってやってきた。
「よし、準備しよう」
丸太に板を乗せただけのテーブルと、丸太を切っただけの椅子を人数分。
テーブルに軽食のセットと、焼き菓子にティーカップがセットされ、ポットから抽出の終わった紅茶が入れられた。
「親方は、こちらの方がよろしかったですね」
ハンネは別のポットを取り出して、そちらから親方のカップに注ぐ。
「さすがに酒とは言えんからな。うん。今日のも良い香りじゃ」
コーヒーだ。
乙女ゲームならではのご都合アイテムとは言え、十七世紀のオーストリアでは既に楽しまれていたようなので、あながち間違いとも言えないのか。
「ここに来たってことは、何か相談事があるんだろ?」
こちらもお見通しのようだ。
「親方にはお見通しか……そうだ。話が早くて助かる」
「今回の話しはなんだい?新しい野菜か、それとも道具の方か?」
いつもの相談とか、ちょっとした実験とは違う。
「今回は『悪』についてだ」
漠然としたテーマ。
「お嬢様。それはどういうことでしょう?」
パウルは何が何だか分からないなりに、少し慌ててもいるようだ。
また、壮大なイタズラを仕掛けるのではと、ハラハラしているに違いない。
「イタズラしてたら、また、執事のハンスに怒られるぜ」
ベンは少し楽しそうだ。
「いや、そういうものではなくてな。悪の存在感とでも言うのであろうか」
「象徴としての悪ってことかい?」
親方の知性を感じさせる問い。
ドワーフには珍しいとされる、読書や植物の育成にも力を入れるオルグてある。
そんな理屈くさいところが他のドワーフたちとの折り合いが悪く、ドワーフたちの住む里から出て、うちの庭師をしているのだ。
「そうなるのかな?私も分かってはいなくてな」
「その齢で分かってたら、学者センセイは要らなくなっちまうよ」
確かにそうだろう。
「難しそうな話しだなぁ。オイラはクッキーがどうして美味しいのかの方が気になるよ」
両手を頭の後ろで組んで、既に興味ないモードのベン。
「ははははっ!それは私も気になるな。しかも、シェフとハンネの作る物の味が違うのもな」
「だよね!」
ここで、話に乗ってくる。
「ベン。お嬢様になんて……。」
「パウル。良い、お茶の席だ」
生真面目なパウルに、そう目くじらをたてなくとも良いと窘める。
「今のベンの話しも、捉え方や見る者の立場が違えば、悪なんだろうな」
親方が難しいことを言う。
今の流れのどこに悪の要素があったのだろうかと、考えてみて、ハッとさせられた。
先ほどハンネとの会話のなかにも出てきたことだ。
「やはり、人との関係なのか」
私の答えに、ニヤリとする親方。
「それに気づいてたのか……実際、善悪ってのは属する集団によって違ってくるもんだ」
「属する集団」
「街の方だと話題になってるんだが、最近、あちこちにでき始めたマフィアなんてのは、西方諸国の紛争から逃げてきた、移民たちの作った互助組織だ。だから、ハイデルの法を知らずに西方の常識で暮らす」
近年、国境付近の街に多く流れ込んで来ているという話だ。
「そうなのか?」
「誰も教えんのだ、そうなるじゃろ?」
教育の場がないと言いたいのだろう。
生まれてからハイデルで育った私たちは、親や周囲の大人から教えられてきている。その実感がないだけに、忘れがちではあるのだがね。
親方は続ける。
「でだ。そうなると移民たちの常識では当たり前のことが、ハイデルでは悪いことになるものもある」
「なるほど、それが属する集団の違いということか!」
冒頭の属する集団につながつるというわけだ。
「まぁな。その逆も必ずある。その隔たりをうまく丸めるってのが、議会だったりするもんよ」
「全く。親方はどこからそんな知識を入れてくるのだよ」
「だてに長く生きちゃいない。それに人の書いた書物ってのは、知識としての経験値を飛躍的に向上させてくれるってもんだ」
そう言って、一口コーヒーを啜る親方。
「スキルとして?」
そう、この世界にはスキルやレベルという概念もある。
その他にも、先天的に与えられる加護もあり、それらを使いこなして生きている世界だ。
「読書ってスキルもあるが、知識はまた別もんだろう」
「そうか」
「話しが逸れたな。まぁ、悪ってのは立場によって違うが、立場に関係なく悪いこともあるな」
「他人への危害を加える行為だな」
「そういうものだな。盗みもそうだが、周辺国でそれらを罰していない国はないな」
「確かに」
「戦争はどうなんだい?」
ベンの言うとおりだ。
戦争は殺しもあれば、盗みもあるが、その善悪は勝敗によって決まる。
「戦争はやらせる奴が悪いんじゃ」
「そうなのか?」
「そう思わんとやっとられんよ」
「親方はヤルダバオト戦役に出征なさったのでは?」
「百年は前じゃん?」
ハイデル王国が最後に参戦した大戦のことだ。
西側諸国との国境付近での小競り合いは、今でもあるのだが、国王率いる王国軍が動いたのは、ヤルダバオト戦役を最後に起こっていない。
「わしゃ、ドワーフだがらな。ゆうに三百年は生きとる」
異種族のエルフとドワーフは長命というのは、この星メモの世界でも同じだ。
「親方は私のお父様から数えても、五代前の当主の頃からいるのだ」
「そんなにいるのか!ご主人様よりこの館のヌシじゃんかよ」
ベンの言葉にハッとなった。
そうか、国王よりもこの国の主たらんとすれば、それは悪なのではないだろうか?
反逆をしたい訳では無い。
国王や神殿の司祭よりも影響力を強くし、国の要職でさえ顎で使うようになれれば……それだ!
「ベン。たまにはいいアイデアを出すな。ハンネ、後でベンに焼き菓子を届けてやってくれ」
「はい。お嬢様」
「おいら、なんか言ったかい?」
突然のご褒美に、きょとんとした顔をするベン。
「それが、お嬢の答えだったとはなぁ……何かあったら、大人も頼れよ」
察しの良すぎる親方だけど、三十路サラリーマン時代の記憶が戻る前も、こうして問題解決の足がかりを作ってくれていた。
「困り事がなくなられたようで……。親方、そろそろ戻りませんと」
真面目なパウルは、仕事に戻ろうと提案している。
「そんな時間だったか。お嬢。お茶をご馳走さん」
「私も良い助けが得られた。こちらからも礼を」
ハンネの片付けが終わるのを待ち、屋敷の自室に戻った。




