2-3 お菓子に警戒するやつなんていない
噂の観光牧場は、やけに広かった。
アトラは上着をロイに羽織らせ、用心のためフードを目深にかぶらせた。
これで顔は見えない。
そのまま前を歩かせ、敷地内の奥にある宿舎まで案内させた。
「随分と立派な宿舎なこって」
最近建て替えられたばかりなのか、宿舎は新しく、のどかな田舎の景観には不釣り合いなほど豪華な佇まいをしていた。
ドアベルはどこだと探していると、不意に内側から鍵の外れる音が響く。
「なんだ、あんたら?」
ゆっくりと扉が開き、サイケデリックなタイダイ柄のシャツを着た男が、いかにも気怠げに顔を出した。
「客か? 残念だが、今うちは乗馬体験の受付はやってねえんだわ」
「いや、そうじゃない。ちょっと道を聞きたくてな」
「道案内もやってねえよ」
男はあからさまに訝しげな視線を投げ、不快そうに目を細める。
「固いこと言うなよ。こっちは道がわかんなくて、ほとほと困ってんだ。助けてくれよ」
アトラは酷く疲れた表情を作り、大袈裟に肩を竦めてみせる。
すると男は、不機嫌そうな顔のまま、これ見よがしに親指と人差し指を擦り合わせ始める。
「あー、はいはい。チップね」
ちょっと待ってくれ、とアトラはズボンのポケットに手を入れる。
「はい、これ」と男の手のひらに手渡したのは、透明な袋に包装された一掴みほどのポップコーンだった。
「……は? てめえ、舐めてんのか?」
男の顔が、見る間に怒りで歪んでいく。
「なんだよ、冗談じゃん。はい、これ」
アトラは人懐っこい笑みを浮かべ、別ポケットから取り出した紙幣を男に渡した。
現金を手にしたことで、男の警戒心が僅かに緩む。
「最初から、渡せばいいんだよ。ふざけやがって」
「お茶目なジョークじゃん。ついでに、そのポップコーンもあげる。キャラメル味だぜ」
「ふっ。舐めた野郎だ。……で、どこに行きたいんだよ」
男は悪態をつきながら個包装の袋を引き破り、ポップコーンを口の中へ放り込む。
直後、男は驚いたように目を見開いて、「……これうまいな」と思わずといった様子で呟いた。
「そりゃよかった。でも、それ爆弾なんだぜ?」
「は?」
アトラはいつのまにか取り出していた一粒のポップコーンを親指で弾く。
「――ボンッ!」
そう口で言ったのとほぼ同時だった。
宙に放たれたポップコーンが派手に弾けた。
「な……っ⁉」
男の顔面から、一瞬にして血の気が引いた。
その反応を見て、アトラは、「あはははっ!」と声を上げて狂気的に笑う。
「どうだ? 面白いだろ? 隠し味に超小型の特製爆弾を仕込んである。腹の中で爆発したら、もっと笑えるぞ。……試してやろうか?」
「ふ、ふざけんなっ!」
男は叫ぶや否や、口の中に指を突っ込み、無理やりポップコーンを吐き出そうとする。
「ああ、やめたほうがいい。無理に吐こうとすると爆発するから」
無情に告げられたアトラの言葉に、男はぴたりと動きを止める。
ゆっくりと顔を上げると、口元を乱暴に拭いながら、楽しそうに笑みを浮かべるアトラを強く睨んだ。
「……な、なんだよ、お前! ……一体、何が目的なんだよ!」
「こいつに見覚えあるだろ?」とアトラは横のロイを顎先で示す。「……って、お前は、いつまでやってんだよ」
横を見れば、ロイは今も涙目になって、口に指を突っ込み、オエオエと嘔吐いている。
「お前が食べたポップコーンは爆発しねえよ。馬鹿」
「……え、そうなのかい?」
情けない声を漏らしながら、ロイは顔を上げる。
「いいから、フード取れ」
「わ、わかった」とロイはフードを取った。美しい銀髪と整った顔立ちが露わになる。
男はその顔をじっと確かめた。
「……こいつは、キティのハニートラップに引っかかった間抜けな男。……その男の報復か?」
そんなつもりはない、とアトラは首を振り、無抵抗を示すように両手を上げた。
「俺はただ、こいつの荷物を返してほしいだけだ」
「そんなもん、もう売り払ってる!」
「うるせえよ」
アトラの顔から一切の笑みが消える。
「いいから、返せ。無理なら爆破するだけだ」
無感情な灰色の左目と、狂気に満ちた碧色の右目。
不揃いの瞳で見据えられ、男の震えは止まらなかった。
「……イカレ野郎が!」
男は引き攣った喉を鳴らし、掠れた声を絞り出す。
「……お前、ここが誰のもんかわかってんのか?」
「あん?」
「ここの所有者は、極悪人のガチャ伯爵だ! あの人は、犯罪組織『セラフィム』とも裏で深く繋がってる! ……お前、ここでこんなことして、タダで済むと思うなよ!」
「ワンワン吠えんな。いいから、5分以内に用意しろ。一秒でも遅れたら、殺す」
アトラが腕時計に視線を落とすと、男は慌てて宿舎の中に飛び込んで行った。
宿舎の外で二人は待つ。
5分と経たないうちに、ロイの荷物は全て用意された。
アトラたちの前に荷物が運ばれてくる。
幸いなことに、パンツも含めて、まだ何一つ質屋には売られていなかったようだ。
「推薦状も、ちゃんとあったか?」
「あったよ。はいこれ、シャツとズボンありがとう、返すよ」
「いらねえよ。やるよ。……てか、なんだ。あんた、騎士だったのか」
いつのまにか自分の服に着替えていたロイは、金糸の刺繍が施された紋章入りのサーコートを着ていた。
腰には、見事な意匠の長剣を佩いている。
「そうだよ。アルトリア王立学院の騎士課程を修了して、正式に騎士爵を得ている」
「騎士なら、全裸にされる前に斬れよ」
「僕は真の騎士だからね。どんな理由があろうとも、女性には剣を向けない」
「知らねえよ」
アトラは適当に相槌を打つと、ポップコーンを食べたタイダイ柄の男に目をやった。
いつのまにか周囲には、この牧場に住むろくでもない若者連中がぞろぞろと集まっている。
顔は険しく、完全に一触即発の雰囲気だ。
「なあ」
それでもアトラは若者連中など一切気にも留めず、タイダイ柄の男へ不敵な笑みを向ける。
「荷物返してくれたついでに、もう一つ頼みを聞いてくれないか?」
「な、なんだよ」
「実は俺たち、足がねえんだ」
「……馬が欲しいのか? ……馬を渡せば、爆弾解除してくれるんだろうな?」
「いや」
にんまり笑うアトラの視線は、庭の端に向いていた。
「あれがいい」
そう言って指さしたのは、排気量1200㏄のサイドカー付きオートバイだった。
「なっ⁉ 馬鹿言うな!」
男は声を裏返らせ、早口に捲し立てる。
「あれはササキのバイクだぞ! カミノ産のものは、もう手に入らない! 馬よりもよっぽど高価なんだっ!」
「知ってるよ。でも、命の方がもっと高価なはずだ。そうだろ?」
「……わ、わかった。わかったよ、少し待ってろ」
男は悔しげに膝を叩き、がくりと肩を落とす。
理不尽な本物の悪党を前に、これ以上抗う気力すら湧かないのだろう。
すぐに大型バイクがアトラの前に運び出される。
アトラは右手でハンドルを握り、左手をシートに添える。
体重を乗せるように、キックペダルを踏み下ろす。空振りの感触しかなく、エンジンはかからない。
サイドカーにちゃっかり乗っているロイが、「本当にこれ動くのかい」と煽ってくる。
アトラは完全に無視して、再びペダルを蹴ると、――ドドドドドッ、と腹の底を叩くような振動が跳ね返ってきた。
バイクに跨る。
「やっぱ、いいバイクだな。カミノの技術は世界一だ」
「これで、気が済んだだろ。……さっさと爆弾を解除してくれ」
「あー、ムリムリ」
アトラの口調は軽い。
「胃の中のもんを解除できるわけねえじゃん」
「はあ⁉ どういうことだよ!」
「まあ安心しろって。明日になれば、クソになって出てくるはずだから」
「くそがっ! いい加減にしろっ! ……もう我慢ならねえ! ぶっ殺してやるっ!」
怒りを沸騰させた男は、後ろポケットから凶悪なナイフを抜き放った。
それを合図に、アトラとロイを取り囲んでいた若者たちが、「やっちまえ!」「殺せ!」と一斉に騒ぎ立て、距離を詰めてくる。
「まあまあ、落ち着けって。そんなに大声で騒ぐと――ボンッ」
アトラはお茶目に舌を出した。
「――あ。悪い。口が滑った」
次の瞬間、――バンッ‼ と短く、重苦しい破裂音が響く。
タイダイ柄の男の肉体は内側から凄まじい圧力で炸裂する。
赤い血飛沫と生々しい内臓が、周囲の地面へと派手に飛び散った。
「あーあ」
アトラはそれを見て、お前らのせいだと言わんばかりに残念そうな顔を作る。
「ギャーギャーうるせーから、つい爆破しちまった」
女たちがけたたましい悲鳴を上げ、男たちは、「ふざけんな!」「ぶっ殺してやる!」と怒り狂いながら吼える。
「よし、逃げるか」
アトラは笑いながら、スロットルを回し、エンジンをふかした。
「……君は、ひどいやつだな」
「そんなことねえよ。俺ほどの善人はいない。――ボン」
アトラが口ずさむのと同時に、再び爆発音が響き、絶叫が重なる。
胃の中の二つ目のポップコーンが時間差で爆ぜたのだ。
破裂した仲間の躯に駆け寄っていた若者たちが、容赦のない爆風と肉片の散弾に直撃し、まとめて吹っ飛ぶ。
「あー、すっきりしたー。……なんだよ」
横を向けば、ロイが信じられないものを見る目でアトラを見ている。
アトラは何食わぬ顔で肩を竦めた。
「ドブ鼠を駆除しただけだ。これも善行のうちだろ? きっとこの牧場のご近所さんたちは、静かになって大喜びだ」
「……君は真の悪魔だよ。僕はとんでもないやつを相棒にしたのかもしれない」
「いつ、俺がお前の相棒になったんだよ」
「裸を見せ合った仲だろう?」
「裸を見せたのは、あんただけだろ。……さあ、さっさと行くぞ」
足でクラッチを踏み込み、手元のシフトレバーを倒す。
スロットルをひねり、バイクが前に出る。
豪快にエンジンが唸る中、ロー、セカンド、ハイとギアを上げていく。
牧場を抜け、鬱蒼とした林道に差し掛かった、その時だった。
「アトラ、後ろ! 追ってきてるよ!」
ロイが声を張り上げた。
アトラは振り返る。馬に乗った若い連中が迫ってきていた。
「待てや、こら!」「死ねや!」
そんな野蛮な叫び声と同時に、立て続けに複数の銃声が鼓膜を震わせる。
「……まじかよ。撃ってきやがった」
「この荒れた道では、バイクより馬の方が速いようだね。じき追いつかれる」
「よし。サイドカー、外すか」
「ちょっと! 冗談だよねっ! 君なら、本当にやりそうで怖いんだけど!」
「…………」
「なんで急に黙ったんだいっ! 君、本当にやるつもりじゃないだろうねっ!」
「銃声よりお前の方がよっぽどうるせえ。捨てられたくなかったら、どうにかしてみろ」
背後からは、狂ったように駆ける馬の蹄の音がだんだんと肉薄してくる。
銃声は絶え間なく鳴り響き、一発の弾丸が、キーン、と甲高い音を立てて車体を掠めた。
「分かったよ。どうにかしてみようじゃないか」
「……急にやる気出されても、それはそれで困るな。一応言っとくが、止まる気はねえからな」
「大丈夫」
ロイは揺れるサイドカーの中で中腰になり、後ろへと身体を向ける。
迫り来る追手たちに向かって、長剣を構えた。――ただし、剣はなぜか鞘に収めたままだった。
「真の騎士は、無闇に剣を振らない。そして、剣を杖として使う」
「は?」
「――風よ護れ」
ロイが鞘の先端を突き出した瞬間、アトラの目にもはっきりと映るほど、二人の背後の空気がぐにゃりと歪んだ。
直後、強固な『風の障壁』が展開される。
飛来してきた鉛の弾丸は、目に見えない巨大なクッションに押し返されたように、ことごとく軌道を狂わされ、すべて外側へと逸れて弾け飛んでいく。
なんだよそれ、とアトラが驚愕の声を漏らす間もなく、ロイは追手に向かって、今度は鞘を袈裟に振り下ろした。
「――風よ吹き飛ばせ」
凄まじい烈風が爆発した。
周囲の木々が悲鳴を上げるように軋み、青々とした枝葉が激しく音を立てて千切れ飛ぶ。
「……また、つまらぬものを斬ってしまった」
どこかで聞いたことのある台詞を残し、ロイは平然とシートに座り直した。
すぐに銃声は途絶え、代わりに林道の奥から、馬の嘶きと人間の無様な断末魔が重なって響いてくる。
バイクを止め、振り返る。激しい土煙の向こうで、男たちは馬ごと派手に転倒し、道脇に生い茂る叢へと叩き出された。
「……いや、斬ってねえし」
圧倒的な光景を前に、アトラはワンテンポ遅れて突っ込む。
「……てか、お前、騎士じゃなかったのかよ」
「騎士だよ」
そう答えたロイは、自慢の長い銀髪を手でかき上げる。
「真の騎士は、剣術だけでなく、魔術も使う」
いいから本当のことを説明しろ、とアトラは無言で目を細めると、ロイは降参したように、自身の左の掌を見せてくる。
「僕は、真の騎士だ。ただし――」
ロイの掌の上で淡く光る『杖の刻印』。
それは神から祝福として、『魔術師の権能』を与えられた証。
「――真の魔術師でもあるんだ」
これ以上ないほど鼻につく、どや顔を浮かべるロイ。
助けてもらったのは確かだが、どうしても一言言いたい。
「風のバリア使えるなら、最初からやっとけや!」




