2-2 全裸の男
腕時計に目をやる。
針はすでに昼の3時を回っていた。
農場を抜けて、フットパスの先にある森へと足を踏み入れる。
「おーい」
大きな木々が頭上を覆い尽くし、僅かな木漏れ日が足元に落ちる。
地面はまだらに光るだけで、その先の道のりは暗く、見通しが利かない。
「おーい! おーい!」
街道ではさっきまで、それなりに人とすれ違っていたが、この森に入ってからは一切、人の気配がない。
「おーい、おーい! こっちこっち!」
以前、本で読んだが、人は不思議なもので、本当に見たくないものは、視界に入っていても脳が認識を拒絶するらしい。
「おーい、そこのお兄さん、ちょっと止まっておくれ! どうか、話を聞いてはくれないかい?」
秋の日は釣瓶落としという。油断すればすぐに夜の帳が下りてしまう。
耳に届く声を全力で無視しながら、傭兵は、自然と足取りを速める。
「まさか見捨てるつもりかいっ⁉ おい、待っておくれ!」
「…………」
「おーい! ちょっと! 行かないで! 僕は怪しい者じゃないよ! 本当だよっ!」
「――それじゃあ、まず服を着ろ!」
完全に無視して通り過ぎるつもりだったのに、突っ込まずにはいられず、ついつい振り返ってしまう。
「全裸の男が怪しくなかったら、この世から怪しい奴はいなくなるわ!」
「それは否めないね」
「否めないじゃねえよ」
こうして傭兵は、森の中で全裸の男と出会った。
◇◆◇◆◇
「で、あんたは牧場で美人局に遭い、服まで剥ぎ取られて、全裸で森を彷徨っていたと」
「うん。粗筋だけを言えば、まさにその通りだよ」
「てっきり俺は、あんたのこと、服を求めて森を彷徨う全裸のお化けかと思ってた」
「さすがにお化けも、全裸のままでは人前には出ないんじゃないかな。……それにしても、このポップコーン、香ばしくて凄く美味しいよ」
「そりゃよかった」
あげた手製のポップコーンを呑気に頬張る、銀髪碧眼の全裸男。
年の頃は二十代前半で、顔立ちはミュージカル俳優のように無駄に整っている。
傭兵が渋々渡した予備のシャツは、男には少し小さかったようで、胸元のボタンがはち切れんばかりに、ぱっつんぱっつんになっていた。
なんでもこの男、趣味で全裸になっていたわけではないようで、この先の牧場で、身ぐるみを剥がされたらしい。
そう、トラックに乗せてくれた父親が「絶対に近づくな」と言っていた、あの牧場だ。
「いやぁ、絶対にいい雰囲気だと思ったんだけどね。すっかり騙されたよ」
全裸男から聞いた、あまりにも間抜けな顛末はこうだ。
『はぁーい、そこのイケメンのお兄さん、乗馬に興味なぁーい?』
サイケデリックなファッションをしたカウガールに声をかけられ、誘われるがまま牧場に立ち寄った。
ここは観光牧場だと案内され、乗馬で広い敷地内を回る。
心が安らぐのどかな景色。
乗馬は小さい頃から嗜んでいたので、かなり得意だった。
そのうちにいい雰囲気になって、二人は流れるように薄暗い厩舎へと飛び込んだ。
上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、パンツも脱いだ。準備は万端。
「――お嬢さんも、もう脱いだかな?」
と振り向いたところで、カウガールは消えており、気づけば若者集団に囲まれていた。
財布を盗られ、荷物を盗られ、服も盗られ、挙句の果てには、履いていたパンツも盗られた。
残ったのは、羞恥心と被虐心だけ。
そして最後は、この森へゴミのように捨てられた。
……うん、こいつバカだ。
「どうだい? 服を恵んでくれたついでに、荷物を取り返すのを手伝う気はないかい?」
「なんでだよ。やだよ」
「いいじゃないか。たまには善行を積んでおくものだよ」
「なんで俺が、普段から善行を積んでない前提なんだよ。そもそも、のどかな牧場で下心を出した、あんたが悪い」
「そうはいってもね、真の紳士である僕は、女性の誘いは断れないんだ。それがたとえ、馬が嘶く厩舎の中であっても」
「うるせえよ。紳士は紳士でも、変態紳士じゃねえか」
「それは否めない」
「否めないじゃねえよ。……なんだよ、こいつ」
もはや、ため息すら出ない。
腕時計に視線を落とすと、すでに4時を過ぎようとしていた。
「残念ながら俺には、変態にも紳士にも、かまってやる暇はない。今日中にクロム領に着かなきゃなんねえんだよ」
「クロム領! それはちょうどいい!」
「な、なんだよ、急に」
全裸男がいきなり声を張るので、少したじろぐ。
「実は僕も、クロム領に行く途中だったんだ!」
「は? てめえが? 何しに?」眉間に皺が寄る。「全裸健康法を広めるためか?」
「あいにく、そんな健康法は発明してないよ。仕事だよ、仕事」
「仕事? 裸でか? スケベな野郎だ」
「いい加減、裸から離れてくれよ。護衛の仕事だよ。……あっ」
そこで何か重大な事実に気づいたのか、男は突如として顔を青褪めさせ、「やばいやばいやばい!」と激しく狼狽しながら、自分の身体を必死にまさぐり始める。
「どうしたんだよ?」
「……荷物の中に、クロム子爵家宛ての推薦状も入ってたんだった。どうしよう」
「どうしようって言われても、そんなん俺が知るかよ」そう冷たく突き放すつもりだったが、傭兵は、「ん……? ちょっと待て」と声を上げる。
「推薦状ってなんだ? あんたクロム子爵に伝手でもあんのか?」
「もちろんさ。僕は真の紳士だからね。貴族への伝手くらい、当然のように持ち合わせているとも」
「じゃあ、その護衛の仕事ってのは?」
「クロム子爵家の護衛の仕事だよ」
「なるほど。よし。気が変わった」傭兵の口元が、自然と不敵に吊り上がる。「あんたの荷物取り返すの手伝ってやるよ。その代わり――」
「その代わり?」
「俺のことを、その子爵に紹介しろ。実は俺、今無職なんだよ。腕っぷしの仕事をちょうど探してた」
「え、……無職?」
「悪いか?」
「い、いや、悪くはないけど……子爵に紹介するのは、ちょっと勇気がいるね」
うーん、と唸りながら全裸男は腕を組む。
やがて、「……いいだろう」と長い銀髪をかき上げた。
「わかった。君は恩人だ。僕が責任を持って、子爵に紹介しよう。――ただし、実際に仕事に就けるかどうかは君次第だよ」
「十分だ。あんがとよ」
「ははっ! 礼を言うのはこちらの方だ」
男は弾むように立ち上がり、傭兵の前にすらりと右手を差し出してくる。
「僕の名前は、ロイ・ヴェガ! まだ、君の名前を聞いていなかったね」
「俺は、アトラだ。――アトラ・クラウン。とりあえずよろしく」
差し出されたロイの右手を、アトラは金属の無機質な義手でガシリと握りしめる。
「さあ、さっさとヒッピーどもをお説教しに行くぞ」




