2-4 レストラン《レッドブリック》
バイクは、ついに《クロム領》の境界を越えた。
そのまま速度を落とすことなく、領の中心街に向かって舗装路を進んでいく。
さっきまで延々と続いていた小麦畑がいつのまにか途切れていた。
「やっぱり、メイド服一択だろ。あれ以上に、男心をくすぐる恰好はねえよ」
「そうかい? 僕はやっぱりバニースーツこそ人類の至高だと思うよ。胸元の谷間が強調されるぴちぴちのボディスーツで大人の妖艶さを演出しつつ、ウサ耳と丸い尻尾で動物的な可愛らしさも忘れない。あんなにワクワクさせる恰好は他にないよ」
「うーん、バニーか。あんまピンと来ねえなあ」
「僕は、昔一度ベガス領にあるカジノに行って、本物のバニーガールを見たことがある。彼女たちは本当に最高だったよ。キュートでセクシーで、今でも忘れられない」
「バニーガールに偽物も本物もあるかよ」
「あるさ」
「俺は、好きな女に、よくメイド服を着せてたが、あれもちゃんと本物だったぜ。最高にエロかった。いや、本物以上だったな」
「……なるほど。これは一本取られたよ」
「はあ? 何が?」
「確かに、君の言う通りだよ。そこに確かなエロスを感じたら、それはもう本物だ。偽物などという概念が割り込む隙はない。
アトラ、君にこそ、真の紳士の称号がふさわしい。今日から胸を張って、真の変態紳士を名乗るがいい」
「名乗らねえよ」
やがて、街道沿いにレンガやコンクリートで造られた古びた建物が点々と並び始める。
道端には赤いポストやテレフォンボックスが見え、その脇を、安酒の瓶を持ったオヤジが自転車でふらふらと走っている。
あぶねえぞ! とアトラがホーンを鳴らすと、慌てて端へと自転車を寄せた。
行き交う人の気配もじわりと色濃くなってきた。大きな街が近い証拠だ。
アトラはちらっと腕時計を見る。
「あと、どんくらいで街に着く?」
「さあ。十分くらいじゃないかな」
「魔術師の権能で、目的地までの正確な時間とかわかんねえのかよ」
「無理だよ。僕の権能は、そんな都合のいい便利ツールではないからね。
――そもそも、『魔術師の権能』は、火・風・水・土の四属性のいずれかを自在に操る力を指すんだ。
僕の場合は、その中で、『風』を自由自在に扱えるに過ぎない」
「へえー。……やっぱ、風の魔術で女子のスカートめくったりすんの?」
「おいおい、僕は真の紳士だよ。そんなことは、幼少期に8回だけさ」
「結構やってんじゃねえか」
そこから10分もしないうちに、クロム領の中心街――《ハーツ》の街に辿り着いた。
通り沿いには、歴史を感じさせる古びた木製の看板がいくつもぶら下がっている。
もう夕方だ。パブの前を通ると、扉の隙間から橙色の灯りと愉快な笑い声が漏れていた。
「本当にいいのかよ。同じ部屋に泊まらせてもらって」
「もちろんさ。君は恩人なんだ。遠慮なんてしないでくれよ。
それに、どうせツインの部屋だからね。ベッドが無駄に一つ余るだけさ」
ロイが事前に予約していた宿は、ハーツの街で一番大きなカントリーホテルだった。
案内された部屋は、古びた木の家具が並び、壁紙も微かに黄ばんでいる。
だが、手入れは完璧なほど行き届いている。
シャワーの蛇口を捻ればちゃんとお湯が出るし、ランプの縁を指でなぞっても埃一つ指につかない。
おまけに、地方にはまだ珍しい大きなテレビまで設置されていた。
「全裸男もたまには拾ってみるもんだな」
アトラは背負っていた荷物を下ろし、ベッドに飛び込む。
スプリングが心地よく跳ねて、疲れた身体を受け止めてくれる。
ちょうどいい硬さ。今日はぐっすり眠れそうだ。
「夕食はどうする? このホテル、食事のクオリティも高いと評判なんだよ」
ベッドの脇に立つロイからそう声をかけられ、アトラは腕時計に視線を落とした。
針はもう少しで6時になろうとしている。
「いや、悪いがホテル飯はパスだ。他に行きたい店がある。実はもう、予約もしてあるんだ」
「えっ? 宿の予約はしていないのに、レストランの予約はしてたのかい?」
「まあな。ちょっと待て」
アトラはベッドの上で鞄を漁り、一冊のガイドブックを引っ張り出す。
ほらよと、それをロイに放り投げる。
――表紙には、『クロム領の歩き方』。
ガイドブックを投げ渡されたロイは、丁寧に付箋の貼られたページを開いた。
「レッドブリック? 聞いたことない店だね。そんなに美味しいのかい?」
「さあ、知らねえ。飯より立地の方が気に入った。
なんてったって、人目につきにくい隠れた名店だからな」
隠れた名店というのは言葉通りで、レストラン《レッドブリック》は、人通りの少ない寂しい街外れに、ぽつんと隠れるようにして営業していた。
外観はおしゃれなレンガ造りの建物。
重厚な扉をくぐると、内壁までもがレンガで統一されており、ピザ窯の中に入り込んだのかと勘違いしそうになる。
アトラは席に案内されながら、さりげなく店内を見渡す。
客は少ない。
アトラたちを除けば、僅か三組だけだった。
結婚四十周年の祝いという風情の老夫婦。
初給料をもらった息子が、背伸びして母親を連れてきた、そんな雰囲気の親子。
――そして、奥の席に座る、ヴェール付きの帽子で顔を隠した若い女と、軍人のような体躯をした壮年の男のカップル。
親子という雰囲気ではなさそうだ。二人の間には張り詰めた緊張感が漂っている。
「不倫か? 随分と年齢が離れていそうだけど」
「そうジロジロ見てやるな」
ロイが小声で窘めてくる。
「紳士も、たまには羽目を外すものさ」
「それって、もう紳士じゃなくね」
「確かに」
そこへ、上品なエプロンを身に纏ったウェイトレスがメニューを運んできた。
とても愛想のよい女性で、にっこりと陽だまりのような微笑みを向けられる。
二人は勧められるがまま、サラダ、スープ、メイン、デザートを注文していく。
「お飲み物はいかがなさいます? メインの煮込み料理には、アルトリアワインがよく合いますよ!」
ワインリストをじっくり眺めていたロイは、南西地方の銘柄を指定した。
「俺は、水でいい」
「飲まないのかい? ここは僕が持つよ」
「いや、いいよ。酒は呑まないんだ」
では、お水をお持ちしますね、とウェイトレスは一礼し、下がっていった。
「元々ここには、一人で来る予定だったのかい?」
「悪いか?」
「いや、そんなことはないさ。でも、今度からは、僕を誘うといいよ。それか女性を」
「こう見えても、俺は一途なんだ」
「それって、どういう――」
ロイが真意を問い質そうとした時、タイミングよくウェイトレスが飲み物を運んできた。
「さあ、乾杯しようぜ」と、アトラが話を打ち切る。
二人はそれぞれグラスを持ち上げると、「乾杯」と短く言葉を交わして、静かにグラスを合わせた。
おすすめと言うだけあって、運ばれてくる料理はどれも一級品だった。
クルミのサラダには、店側のサービスでキャビアを贅沢に添えてくれた。
特によかったのは、やはりメインの牛肉の赤ワイン煮込みだ。
じっくりと煮込まれて口の中でホロホロと溶ける濃厚な肉の旨味。
贅沢を言わせてもらえるなら、この極上のソースをほかほかの白米の上にぶっかけて、一気に箸で掻き込みたい。
だが、この国でそんなことをしたら、たぶん捕まる。
「すこし飲みすぎたようだ。失礼、ちょっと席を外すよ」
顔を少し赤くしたロイが、お手洗いに席を立ったのは、コースの最後を締めくくるデザートがテーブルに運ばれてきて間もなくのことだった。
「――全員動くなっ!」
そして、店内に銃声が響き渡ったのは、まさにその直後だった。
悲鳴が上がる。
「黙れ! 騒ぐな!」という怒号とともに、天井に向かって二発、発砲音が鳴る。天井からぱらぱらと白い粉塵が落ちてくる。
入り口には、完全武装した五人組の集団が立ちはだかっていた。




