2-5 刀と女はよく切れる。銃と男は喚いてばかりだ
「――全員動くなっ!」
入り口には、完全武装した五人組の集団が立ちはだかっている。
ライフルを構えた黒ずくめの男が四人と、その中心に立つ、リーダーらしき女が一人。
「スタッフの奴らも全員出てこいっ! 両手をあげて、一か所に集まりな!」
イエローのトラックジャケットを着て、へそピアスを覗かせた金髪の若い女だった。
この女だけは銃を持たず、代わりに背に一振りの刀を担いでいる。
ジャージの色といい、その得物といい、場違いなほど目立つ。
強盗を行うには、あまりにも印象に残る出で立ちで、今から、アクション映画の撮影が始まると言われるほうが、まだしっくりくる。
「……せめて、デザートを食べ終わってから、来いよ」
アトラは腕時計に目を落とし、低く舌打ちをする。
運ばれてきたばかりのタルトタタンには、まだ一口も手をつけていない。
甘い物には、目がないというのに。
「皆さん、言う通りにしてください! 早く! お願いします! 早くっ!」
頭に銃を突きつけられた店のオーナーらしき男が、涙目で声を震わせながら必死に叫んでいる。
老夫婦も親子も恐怖に身を竦めながら、両手を上げていた。
「おい、そこの若い男! お前も早くこっちに来い」
黒ずくめの男の鋭い視線が、アトラに向く。
アトラは目の前のタルトタタンを未練がましく見つめ、深いため息をついた。
フォークをガタンとテーブルに叩きつけ、両手をゆっくりと上げて、席を立った。
アトラを含めた客と、従業員たちは、店の中央へ集められる。
そして順に、粘着テープで口を塞がれ、両腕を後ろ手に厳重に縛られていく。
「なんだよ、この義手! めっちゃクールじゃねえか」
アトラの腕をテープでぐるぐるに巻きつけながら、黒ずくめの男が目を輝かせて言う。
すると、その声を耳ざとく拾った金髪女が、振り向いた。じろりと睨まれる。
「何がクールだよ。鉄くずを腕につけてるだけじゃねえか」
金髪女は鼻で笑う。
目つきこそ鋭いが、長い睫毛とぱっちりした二重のせいか、顔立ちは幼く可愛いらしい。
「うるせークソ女! お前に、このロマンがわかるまい」
そう文句を言ってやりたいが、口をテープで塞がれているのでアトラは、「んんー!」と唸ることしかできなかった。
「無駄口叩かず、さっさとやれ」
女は部下を叱ると、興味を失ったようにアトラから視線を外し、店の奥へ向き直る。
「おい、あんたらも立て! さっさとこっちにこい! ――それとも斬られたいのか?」
圧のある声が飛ぶ。
だが、奥の席に座る、顔を隠した若い女と壮年の男は動かない。
「なんだ。斬られたいなら、最初からそう言えよ」
金髪女は楽しげに口の端を歪め、そのまま二人の方へ、ゆっくりと歩み寄った。
「お嬢ちゃん、その目障りな帽子を、取りな」
返事はない。
若い女は顔を上げようともしない。
「……それとも、あたしに取ってほしいのか?」
女の指先が、背中に担いだ刀の柄へとかけられる。――その瞬間だった。
「お嬢様に近づくなっ!」
壮年の男が椅子を蹴って、立ち上がる。
テーブルの下で、あらかじめコッキングを済ませておいた拳銃を引き抜き、至近距離から躊躇いなく引き金を引いた。
乾いた銃声が店内を裂く。
「チャチな弾だな。こんなのが、あたしに当たるかよ」
いつのまにか引き抜かれていた刀。
放たれた弾丸は、真っ二つに両断され、床へと転がり落ちていた。
「……こ、この距離で……マグナム弾を斬った、だと?」
壮年の男は驚愕に顔を歪める。
女は無造作に刀を振り払い、陽気に笑った。
「なあ、おっさん。チャカとダンビラ、どっちが強いと思う?」
「調子に乗るなっ!」
怒声と同時に引き金が引かれた。
続けざまに三度、激しい銃声が響く。
だが、女に弾丸は当たらない。
迫る直前で女の刀によってことごとく弾かれ、壁や床へ散っていく。
そして、気づけば女の姿が、低く沈んでいた。
踏み込み、一瞬にして間合いが消える。横一文字に刀が振り抜かれる。
「――いつだって強いのは、ダンビラだよ」
女は冷ややかに言い捨て、カチンと静かに刀を鞘に納める。
一拍の静寂。
その刹那、拳銃を構えたまま、男の上半身がずるりと横へ滑り落ちた。
切断面から溢れ出た大量の鮮血が、床を一瞬にして真っ赤に染め上げていく。
「いやあぁぁぁっっー! ステイソン! ステイソーンッ!」
お嬢様は崩れ落ちるようにその場に膝をついた。
何度も、何度も男の名前を呼び、白いドレスを瞬く間に赤く染め上げながら、事切れた壮年の男の身体を抱き寄せる。
「あらら、また人が死んじゃったね。……お嬢ちゃん」
金髪女が、ヴェール付きの帽子をお嬢様の頭から乱暴に掴み取り、放り投げる。
黒髪が零れ落ち、ヴェールで隠されていたお嬢様の美しい素顔が露わになった。
「……ふざけないで。……殺したのは貴方です」
黒髪のお嬢様は顔を上げて、濡れた翡翠の瞳で、目の前の怪物をきつく睨みつける。
「睨まれても怖かねえよ。権能も持たないパンピーが、あたしに挑んだのが悪いんだ」
金髪女は笑い、長い舌を覗かせる。舌の上には、『独楽の刻印』が刻まれていた。
「……独楽の刻印」
お嬢様は唇を震わせ、絶望を押し殺すように呟く。
「……神より『戦車の権能』を与えられた証。
――その権能は、手にした武器の性能を異次元の領域まで引き上げる」
「へえ、詳しいじゃん。学院には通わせてもらってないって聞いたけど、優秀なんだね」
「貴方のような人にも、神は祝福をお与えになるのですね」
「知らねえのか? かみさまって奴は、誰にでも平等なんだよ」
「……聖書をお読みになったことがおありで?」
「もちろん」
金髪女は満面の笑みで、中指を突き立てる。
「――もちろん、読むわけねえ。神は嫌いだ」
少し話をしようか、と女は倒れていた椅子を起こし、大股を開いて座る。
「お嬢ちゃんも座りなよ」
向かいの席を顎で示した。
お嬢様は一度だけ視線を落とし、腕の中の亡骸をそっと床に横たえる。
僅かに間を置き、静かに椅子へ腰を下ろす。
「……ガチャ伯爵からは、平和的な話し合いと言われ、ここに呼ばれたはずですが」
「うん、元々はそうだったよ。ここにも、あのクソ野郎が来る予定だった。ベタ惚れのあんたに、脅迫まがいのプロポーズをするために。――でも、残念。予定が変わった」
「どういう意味です?」
「上からのご命令だよ」
「……上からの」
お嬢様の翡翠の瞳が見開かれる。
「……まさか、セラフィム?」
「正解。うちのボスは戦争をご所望らしい。そのために、あんたを攫えってさ」
「私を攫ったところで、戦争なんて起きませんっ!」
「それはどうかな? あんたは案外、領民に慕われてる。それも父親以上にな」
「……そんなことは、ありません」
お嬢様は息を詰め、苦しそうにテーブルの下で鳩尾を押さえている。
どうすることもできないとわかっていても、彼女は縋るような思いで、捕まった人たちに視線を向ける。
命惜しさに誰もが怯えて顔を伏せる中、――客の一人と目が合った。
その客は、目が合った途端に床の上で足をじたばたさせ、騒ぎ始める。
「んんっー! んんっー!」と口をテープで塞がれたまま、必死に何かを訴えている。
「おい、静かにしろ!」
すぐに横にいた黒ずくめの男が、ライフルの銃床で思い切り殴りつける。
ゴツン、と鈍い音が響いた。が、そんな痛みに怯むどころか、客はさらに激しく騒ぎ立てる。
――その客は、もちろん、アトラだ。
あまりの騒々しさに金髪女は話を中断し、ひどく煩わしそうにため息を吐いて、振り返る。
そして、虫けらでも見るような冷ややかな視線をアトラに向けた。
「……うるせえな。なんだよ、義手野郎? おしっこか?」
「んんーっ! んんーっ!」
「チッ。……うるせえ野郎だな。おい、漏らす前に、口のテープ外してやれ」
指示を受けた男が、アトラの前にしゃがみ込んで、口を塞いだ粘着テープを乱暴に引き剥がす。
バリバリ、と皮膚が裂けるような痛みに、「いて」と短い声が漏れる。
アトラはひりつく口元を歪め、にやりと獰猛な笑みを浮かべた。
「あんがとよ。――これは礼だ」
アトラは思い切り上体を引くと、油断していた男の鼻頭を目掛けて、渾身の頭突きを叩き込む。
男は声にならない声を出し、鼻骨を粉砕されて顔面を血に染めながら、床へと転がった。
その隙にアトラは素早く立ち上がり、明瞭な声を店内に響かせる。
「――バージョン3、ガトリング」
音声認識コードにより、右腕の義手が光を帯びて、機械音を立てながら急速に変形を始める。
内蔵された高硬度のバレルが外側へ展開し、腕を拘束していた粘着テープが強引に引き裂かれて四散した。
「おい、酔っ払い! 風で皆を守れっ!」
アトラは店の奥、トイレの方に向かって鋭く叫んだ。
直後、「――承知した!」と扉が勢いよく開き、ロイが姿を現した。
その手にはすでに鞘に収まった長剣が握られている。
「――風よすべてを護れ」
大気が揺らぎ、無から巨大な風の渦がいくつも生まれた。
その渦は一瞬にして、お嬢様を含めた人質たちをそれぞれ個別に包み込む。
安全が確保されたことを確認し、アトラは獰猛に目を細める。
「くたばりやがれ、クソ虫どもが!」
右腕のガトリング砲が、火を噴いた。
絶え間なくマズルフラッシュが噴出し、数百数千の薬莢が滝のように地面へ零れ落ちていく。弾丸が空間を埋め尽くし、――ドドドドドッ‼ と轟音が鼓膜を叩きつける。
オーク材のテーブルも、アンティークの椅子も、店内のありとあらゆる装飾が塵芥へと粉砕されていく。
もちろん、そこに立っていた黒ずくめの男たちの肉体も例外ではない。
やがて音が止まる。
硝煙が立ち込める中、バレルは惰性でゆっくりと回っている。
静まり返った店内。
掃射を受けた黒ずくめの男たちは、もはや原形を留めていない。
「……ちっ、まじかよ。ゴキブリ並みの素早さとしぶとさだな」
アトラは冷ややかに前方を睨み据える。
金髪女だけは、その弾幕を浴びてもなお真っすぐに立っていた。
「……誰がゴキブリだよ。……このイカレ野郎」
女の白い頬から、つーっと一筋の血が静かに流れる。
手の甲でその血を拭った。
展開されていた風の障壁が静かに霧散すると同時に、ロイがひどく不満げな顔をして、ずかずかと駆け寄ってくる。
「アトラ! あんな滅茶苦茶なことをするなら、先に言っといてくれないかいっ⁉」
「お前を信じていたんだよ。ナイス、バリアだったぜ!」
アトラはご満悦な笑みを浮かべながら、左手の親指を立ててグッドサインを作る。
「みんな無傷だなんて、さすが真の変態だな」
「そこはせめて、真の魔術師と言ってくれ」
「お前なら、こんくらいの無理難題は簡単にこなせるって最初から信じてたぜ!」
「えっ、本当かい? うれしいなあ」
ロイは照れながら頭を掻く。
チョロすぎだろ。
今度から、チョロイって呼ぼうかな。
そんな緊張感の欠片もない軽口が二人の間で交わされている中、金髪女は足元に転がる肉塊を一瞥し、ひどく不快そうに舌打ちをした。
「……使えねえ奴らだ。簡単に死にやがって。……トイレくらい確認しとけよな」
「可哀想に。死んでまで説教してやんなよ」
アトラが皮肉交じりに言うと、金髪女の視線がゆっくりとこちらに戻った。
「てめえ、何者だ?」
女の顔からは、一切の温度が消え失せている。
手にした刃の切っ先が僅かに下がり、周囲の空気が先ほどよりも何倍も冷たく張り詰めている。
「同業者か? それともクロム家に新しく雇われた傭兵か?」
「ただの無職だよ」
「はたらけよ」
「絶賛、就活中なんだよ」
アトラはロイを横目で見て、静かに顎を動かした。
「……ロイ。そこのお嬢さん含め、ほかの奴らのことは任せていいか?」
「もちろんさ、任せてくれ。――さあ、紳士淑女の皆さん、今お助けします」
ロイはすぐさま鮮やかな手際で、人質たちのテープを引き裂き、怯える人々を店の外へと迅速に誘導し始める。
「お前は一歩も動くなよ。動いたら、撃つ」
アトラはガトリングの銃口を僅かに持ち上げ、金髪女へと狙いを定めた。
女は不敵な笑みを崩さぬまま、おとなしくその場に留まっている。
その間に、人質たちが次々と店の外へ逃げていく。
――そして、最後まで残っていた黒髪のお嬢様が、開け放たれた扉の前で、後ろ髪を引かれるように振り返った。
「あ、あの……!」
「礼ならあとでいい」
アトラはお嬢様のそのか細い声を遮ると、前方を見据えたまま、さっさと行けと顎をしゃくった。
バタン、と店の扉が閉まる。
残ったのは、アトラと金髪女の二人だけ。
「部下を殺され、ターゲットには逃げられ、まったく今日は散々だわ」
「なら、このまま帰れよ」
アトラは腕時計のベルトを歯で噛んで器用に外し、そのまま左手の拳にメリケンサックのように巻き付ける。
「何言ってんだよ」
女は片眉を上げ、笑った。
「殺し合いはまだまだこれからだろ」
「うわあ。お前、まさかのバトルジャンキーかよ。嫌いだわー、そういう人種」
「なあ、そのイカレた右腕……あんたも、あたしと同じ戦車の権能持ちなのか?」
「イカした右腕の間違いだろ。あいにく権能なんて持ってねえよ」
アトラは銃身を垂直に上へ向け、顔の前に厳かに掲げてみせる。
「これは、神ではなく、人が造り出した叡智の結晶だ。――バージョン2、ブレイド」
光を帯びながら、ギチギチと右腕の義手が軋む。
先ほどまで死の弾幕を吐き出していたバレルが内側へと急速に折りたたまれ、代わりに分厚い鋼鉄の刀身が滑るように突き出された。
アトラは戦場へ赴く騎士が剣礼を交わすかのように、分厚い刀身へと軽く口づけを落とす。
そして緩く手首を返し、ブレイドの切っ先を床へと振り下ろした。
「かみさまに、勝利の加護でも願ったのか?」
「まさか。なわけねーだろ。……俺は神が嫌いだ」
「へえー」金髪女の目が、一瞬だけ楽しげに細められる。
「それには同感だね。気が合うじゃん」
「お。なら、不毛な殺し合いなんてやめて、このまま呑み行く?」
「やだ」
可愛い顔で、べえーっと舌を出される。
「死んでも御免だよ。ファック野郎」
「よし、交渉決裂だな。じゃあ、二回戦と行こうか。
――俺の誘いを断ったことを後悔させてやるよ、マグロ女!」
「言葉には気をつけな! チェリーボーイ!」
先に動いたのは、女の方だった。
風と化したように一瞬で間合いが消え、アトラの視界のすべてが狂暴な銀の閃光で埋め尽くされる。
ここで引いたら確実に首が飛ぶ。
アトラは咄嗟に前へと一歩踏み出し、迫り来る斬撃にブレイドを強引に噛み合わせた。
刃が激しく衝突し、至近距離で凶悪な火花が飛び散る。
完全に受け止めたはずの一撃が、女の刀から放たれる不気味な流動感によって、ずるりと外側へと受け流されていく。
それどころか、女の異次元の膂力に、そのまま身体ごと強引に押し返された。
や、ばい、と体勢が大きく崩れかける。
アトラが靴底を鳴らし、何とか踏みとどまった時には、女はすでに最適な距離を取り直していた。
僅か一合。
ただ一合斬り結んだだけで、すぐに悟る。
――剣では、絶対に勝てない。
力量の次元が違う。相手はその刀で、何度も死線をくぐってきた達人の部類だ。
まともな打ち合いが続けば、数手のうちに無残に斬殺されるだろう。
女は己の神経をさらに研ぎ澄ますように、静かに息を吐く。
極限まで腰を落として、左右の足を大きく広げる。
紛れもない、一撃必殺の居合の構えだ。
これ以上、このブレイドでは受けきれない。このままでは、首を飛ばされて終わる。
「――バージョン4、シールド」
次は、分厚い鋼鉄のブレイドが、強固な面を構成する『盾』へと瞬時に形を変えた。
アトラは正面にシールドを構えて、限界まで重心を低く保つ。
「なんだ? もうチャンバラは終わりなのか? カメ野郎」
「べつに俺は騎士じゃない。傭兵だ」
アトラは生身の右目を静かに閉じる。
そして、作り物である灰色の左目の知覚だけに全神経を集中させる。――動体視力の超向上。
サイボーグ義眼の奥で、カチリと精密な機械音が響き、その瞳孔が大きく開いた。
「騎士は守るのが仕事で、傭兵は勝つのが仕事だ。そして、傭兵は勝つためなら、名誉も誇りも簡単に捨てる。……まあ、俺は元からそんな高尚なもんは持ち合わせてないがな」
「おしゃべりはもういいか?」
「……なんだ、退屈だったか?」
「うん、とっても」
女は笑顔を見せる。
「男の武勇伝と自分語りほど退屈なもんはない」
「そりゃ悪かった」
「いいよ。許してやる。どうせ、これが人生最後のおしゃべりだろうから」
分厚いシールドを構えていても、女は一切の躊躇なく踏み込んだ。
視界を裂くように一閃が走る。
「ぐっ……!」
シールドの表面に、刀とは思えないほどの質量が、ずしりと圧しかかる。
不安を煽るように金属音が軋み、限界を伝えるように鋼鉄のシールドに蜘蛛の巣状の罅が走る。
だが、アトラは渾身の一撃を真っ向から受け止めた。
奥歯を噛み締め、両足に力を込める。
そして、「――おらァッ!」と気合の咆哮とともに、刀を力任せに弾き返す。
女の鋭い目が見開かれる。体勢がほんの僅かに揺らいだ。
アトラはその一瞬の隙を見逃さず、瞬時に左手を伸ばした。
体勢を崩している女の首筋へ、先ほど左拳に巻き付けた腕時計をぴたりと押し当てる。
「痺れろッ!」
強力なスパーク音が弾ける。
五万ボルトの電撃が走り、女の身体が硬直する。
アトラは間髪入れずに身体を捻って、右脚をしなる鞭のように振り抜いた。
鈍い音が響く。
正確無比な右脚のミドルキックが、女の無防備な脇腹を完璧に打ち据えた。
確かな手ごたえが、アトラの足の甲を通じて伝わってくる。
「よっしゃあ、決まった!」
アトラは思わず笑みを零しながら、跪いた金髪女を見下ろす。
「どうだ、痛いだろ? 痛いのが嫌なら、そのまま大人しく座ってろ」
罅が入り、もう使い物にならないシールドを解除し、義手を通常状態に戻してから、時間が狂った腕時計を左手首に嵌め直す。
「……殺す」
女は激痛と怒りを力ずくで堪えながら、刀を床に突き立て、杖にしてゆっくりと立ち上がった。
蹴った手応えからして、肋骨は確実に、二、三本は折れているはずだったが、
「殺してやるっ!」
女の顔には、怯みも、苦痛も、微塵も浮かんでいなかった。
吊り上がった細い眉。
血走った瞳が、怒りの業火に燃えている。
「……おいおい、そんなキレんなよ。可愛い顔が台無しだぜ」
冷や汗をかきながらアトラが軽口を叩く。
だが、女が軽口を返すことは――もう、なかった。
女は眼前で刀を水平に倒して、その根元から切っ先へ、左手を一直線に滑らせる。
「――憤怒の炎」
刀身に火が走った。
炎が激しく噴き上がり、刀身を瞬く間に呑み込んでいく。
異次元の領域まで性能を上げた刀は、妖刀へと姿を変えた。
「……なんじゃそりゃ。反則だろ。……だから、権能持ちと戦うのは嫌いなんだよ」
「――もう油断はなしだ」
女は炎を纏った妖刀を頭上に構える。
「焼き尽くして、殺す。――焔斬りッ!」
刀が振り下ろされた瞬間、赤い閃光が爆ぜ、炎の波濤が押し寄せてきた。
肌を焦がす熱風が吹き荒れ、視界がぐにゃりと揺らぐ。
アトラは本能的な恐怖に従い、全力で身を投げ出した。
直後、猛炎が背中の衣服を僅かに掠めて通り過ぎていく。
「ぐは……ッ!」
そのまま勢い余ってレンガの壁に激しく衝突し、強烈な眩暈が生じる。
肺の中の酸素が全て焼き尽くされたかのように、まともな呼吸ができなくなる。
「しぶとい奴。……焼け死んどけよ。ハエ野郎」
「……だ、誰が、……ハエ、だよ」
荒い呼吸の合間を縫って、辛うじて言葉を返す。
何とか口だけは回るものの、壁に激しく衝突した衝撃で、身体が思うように言うことを聞いてくれない。
「……苦しいか? 今、楽にしてやるよ」
金髪女が、一歩、また一歩と死の足取りで近づいてくる。
「最期の言葉を聞いてやる。何か言い残すことはあるか?」
「……なら、一つだけ」
立ち上がる余力はもう残っていない。
アトラはポケットの中に手を入れる。
「キャラメル味のポップコーンは好きか?」
「は?」
「やるよ」
アトラはポケットから取り出したポップコーンを親指で弾いた。
ゆっくりと弧を描き、女目掛けて飛んでいくキャラメル味のポップコーン。
「舐めてんのかよ!」
女は不快そうに顔を歪め、炎を纏った刀で、ポップコーンを正面から断ち切った。
――ボンッ‼
レストランを震わせるほどのド派手な爆発が巻き起こる。
キャラメルの甘い香りを孕んだ真っ黒い爆煙が、店内に一気に広がり、二人の視界を完全に遮断し、埋め尽くしていく。
「死んだか……?」
そう口にしてから、アトラはすぐに後悔する。
「……フラグだったな。そりゃあ、こんな簡単に権能持ちが死ぬわけないよな」
案の定、アトラのボヤキを切り裂くように、目の前の真っ黒な煙が鋭く両断された。
「くそがっ! 当たり前だろーが!」
中から再び姿を現した金髪女は、さっきよりも明らかに苛立っている。
刀に纏わせた炎も、その激情に呼応するようにさらに膨れ上がっていた。
「ほんと、お前、大したもんだよ。あたしをここまでキレさせたこと、誇っていいよ」
「ねえ、なんか炎強くなってない? もしかして、怒るたびに火力上がっていく感じ?」
「こんがり焼かれるのと、細かく切り刻まれるの、どっちがいい?」
「何かの調理法の話?」
「てめえの死に方に決まってんだろ!」
――ジリリリリッ、ジリリリリッ……!
その時、場違いな高音が店内に鳴り響いた。
二人の視線が示し合わせたように音の方に向く。
音の主は、瓦礫に埋もれかけたカウンターの上に置かれた一台の黒電話だった。
「……おい。電話、出なくていいのかよ?」
早く出ろと急かすように、黒電話は執拗に喚き続ける。
「あんたを殺してから、ゆっくり出るさ」
「おいおい、いいのかよ? もしかしたら、あんたのボスからの至急の電話かもしれないぜ」
アトラは息を整えながら、命乞いさながらに捲し立てる。
「突然ですが、企業方針が変わりました。
これ以上無益な殺生はやめて、これからは人助けをしましょう的な」
「関係ないね」
金髪女はにべもなく言い放つ。
「たとえそうだったとしても、あたしは、何が何でもあんたを殺す」
「なんでだよ。……殺すなよ。そんなに俺、あんたにひどいことした?」
「仕事の邪魔されて、スタンガン浴びせられて、骨が折れるほど脇腹蹴られて、最後は、爆弾まで投げつけられた。あと、何回もセクハラされたし」
「いや、セクハラはしてねえよ」
「うるせえ。死ね! 黙って死ね!」
「断るっ! ……てか、お前、さっきから死ねとか、殺すとか言い過ぎだぞ。何? 思春期なの? そういうのいっぱい言いたいお年頃なの?」
アトラはそんな軽口を叩きながら、痛む身体を引きずるようにして床を這い、カウンターの縁へと手をかけた。
黒電話は今もなお、煩わしく鳴り続けている。
「しょうがない。思春期娘に代わって、俺が電話に出てやるよ」
アトラは最後の気力を振り絞り、なんとか身体を引き上げた。
思いっきり腕を伸ばして、黒電話の受話器に手をかけた。そのまま耳へと押し当てる。
「――もしもし」
『エルラに代わってください』
受話器の奥から聞こえてきたのは、低い男の声だった。
「は? エルラ? エルラって誰だよ」
「エルラは、あたしだ」
「えっ?」
アトラは驚きの声を上げながら、女を見つめる。
「……どういうことだよ?」
女は怪訝そうに眉をひそめていた。
「一体、誰からだ?」
「さあ?」
「とりあえず、貸せ!」
金髪の女――エルラは、アトラの手から強引に受話器を奪い取る。
耳に当てるなり、「もしもし、誰だよ!」と怒りをぶつけるように不機嫌に訊ねた。
「……ジュールス?」女の眉間に深々と皺が寄る。「……は? ボスが?」
話している内容はわからないが、どうやら楽しい話ではなさそうだった。
「おい」エルラは一度、耳から受話器を外し、アトラを睨む。「てめえ、名前は?」
「……アトラだけど?」
「ざっけんなっ‼」
エルラは全力で吐き捨て、再び受話器に耳を押し当てる。
そして、「わぁったよ! 手を引きゃいいんだろ!」と怒声を上げると、怒りのまま受話器を投げつけ、電話を切った。
「てめえ、何者だ! ああんっ⁉」
アトラはいきなり胸倉を掴まれ、至近距離まで顔を寄せられる。
「……な、何がだよ? ……俺は、ただの無職だって言ったろ」
「ざっけんなッ!」
エルラはアトラの身体をぶんぶんと激しく揺さぶる。
「ただの無職から手を引けなんて、セラフィムのボスが言うわけないじゃんっ」
「知らねえよ。いいボスじゃんか」
「死ねっ!」
エルラに突き飛ばされて、アトラは再びレンガの壁に背中を打ち付ける。
「いってーなあ……」
アトラが背中をさすっていると、カウンターに転がっていたフォークが、凄まじい速度で飛んできた。
「あぶねっ」
アトラは間一髪で頭を下げて、フォークを避ける。
恐る恐る振り返ると、髪を掠めていったフォークは壁に深々と突き刺さっていた。
「死ねよ! 何で死なねえんだよ!」
エルラは駄々をこねる子供のように地団駄を踏み、アトラをきつく睨みつける。
先ほどまで禍々しい炎を纏っていた刀は、いつのまにか鞘に納められていた。
「あ、もしかして……」
アトラは鞘に納められた刀を見ながら言う。
「今回は見逃してくれる感じ?」
「死ね。……あくまで今回だけだ。……その幸運を噛み締めながら、震えて眠れ」
エルラは刀を背に担ぎ、店の入り口に向かって歩き出す。
そして、扉の前で立ち止まると、最後の捨て台詞を吐くためか、くるっとこちらに振り返った。
「……次は殺すから」
エルラは、これ見よがしに中指を立てた。
そうして扉を乱暴に蹴り開けると、店の外へと去って行った。
「……まじで、ヒステリックな女だったな。……次はぜひ、仲良くやりたいもんだな」
アトラはじっと女の後ろ姿を眺めていた。




