3-1 パイナップル・オン・ピザ
助けが来たのは、エルラが去ってから数分もしないうちのことだった。
「アトラっ! まだ生きてるかいっ⁉ アトラー!」
扉が勢いよく開き、息を切らせたロイが店内に飛び込んでくる。
ひどい有様になった店内を素早く見渡し、床にへたり込んでいるアトラの姿を見つけると、慌てて駆け寄ってきた。
「よかった、生きてて! 返事がないから、てっきり死んだものかと……」
ロイはその場に膝をつき、心底安堵したように胸を撫で下ろした。
「生きてるに決まってんだろ。死んだら、返事できねえわ」
身体中が悲鳴を上げていたが、皮肉を言えるほどの余裕は辛うじて残っていた。
アトラは、「あー疲れた」と呟きながら、天井を仰ぎ見る。
「来るのがおせえよ」
「すまない。お嬢様たちを安全な場所に連れて行くのに、思った以上に時間がかかってしまったんだ」
ロイは眉を下げ、申し訳なさそうに言う。
が、アトラの視線は入り口に向いていた。
「……お嬢様なら、そこにいんぞ」
「へ?」
気の抜けるような声を漏らし、ロイは弾かれたように振り返る。
開け放たれた入り口の扉の前には、あの黒髪のお嬢様が影を薄くして佇んでいた。
「アヤメ様、なぜ戻ってきたんですか⁉ 絶対に動かないでくださいと言ったのに!」
ロイは両手で頭を抱え、今日一番の深いため息を吐く。
「ご、ごめんなさい……」
お嬢様は今にも泣き出しそうな顔になって深々と頭を下げた。
そして、そっと顔を上げると、指先をもじもじと動かしながら、消え入りそうな声で言う。
「……でも、どうしても心配で」
お嬢様は血の付いたドレスの裾を揺らし、小走りで二人のもとへと駆け寄る。
その場に膝をついて、傷だらけのアトラを間近で見ると、泣きそうな顔をさらに痛ましく歪めた。
「……ごめんなさい。本当にごめんなさい。私のせいで。貴方を巻き込んでしまって」
「べつにいいさ。それより――」
アトラは不躾ながらも手を伸ばし、艶やかな長い黒髪に指先でそっと触れる。
「――綺麗な黒髪だな。……あんた、もしかしてカミノ人か?」
「い、いえ」
お嬢様は微かに頬を赤らめ、小さく首を横に振った。
「ハーフです。……亡き母がカミノ人で」
「……ああ。もしかして、ここの領主の?」
お嬢様はこくりと健気に頷いた。
「はい、娘です。――アヤメ・クロムと申します」
「……やっぱりな……これはついてる」
先ほどまでの疲労を完全に吹き飛ばし、アトラの目に輝きが戻る。
即座に上体を起こすと、アヤメの両手をガシッと力強く包み込んだ。
「どうか、俺を雇ってください!」
◇◆◇◆◇
三人を乗せた黒塗りの高級車は、クロム子爵の邸宅へと向かっている。
レストランでのあの騒ぎが、これ以上大きくなる前に、アヤメはすぐさま迎えの車を寄越すように自邸へと連絡を入れた。
その流れで、ボロボロになったアトラとロイの二人は、お礼と傷の手当てを兼ねて、子爵邸へと招待されたというわけだった。
ハンドルを握る運転手は、やけに無口な男だった。
短髪で精悍な顔つき、服の上からでもわかるほどに鍛え上げられた頑強な身体。
迎えに来た際に、「クロム家警備隊長のグラントです。お嬢様を助けていただき、誠にありがとうございました」と軍人のように硬い声音で一度口を開いたきり、男は一切声を発していない。
が、バックミラー越しに、何度か鋭い目でこちらを探るように見ていた。
やがて邸宅に辿り着く。
敷地を囲う鉄製の大きな門扉があり、その上部からは最新型の防犯カメラが不気味にこちらを覗き込んでいる。
自動でゆっくりと門扉が開き、車は敷地内に入る。
エントランスの前で車が停車するや否や、執事服を着た白髪の老人が駆け寄ってきた。
丁寧な手つきで後部座席の扉が開かれる。
「お嬢様……! ご無事で、本当によろしゅうございました……!」
執事は瞳に涙を湛え、声を震わせている。
「……どれほど心配したことか。お嬢様に万が一のことがあれば、クロム家はお終いです。
どうか、この老骨にこれ以上心労をかけないでくださいませ。本当に寿命が縮んで死んでしまいます」
「……ごめんなさい」
アヤメは罪悪感を滲ませながら、翡翠の瞳を伏せる。
老執事は、そんな彼女の肩にそっと手を置くと、「……本当に無事で良かった」ともう一度だけ言って、安堵を噛み締めるように微笑んだ。
そして、執事はようやく、アヤメの背後に控えていたアトラとロイの二人へと視線を向ける。
一瞬、訝しげな色こそ浮かべるが、決して礼儀を失うことはなかった。
「……お嬢様、こちらの御仁方は?」
「アトラ様とロイ様です。私の命の恩人です。
お二人がいなかったら、私は今頃どうなっていたことか……」
アヤメはスカートの端をきゅっと握り締める。
その指先が、まだ恐怖の残滓で僅かに震えている。
彼女は一つ深い息を吐き、「失礼しました」と謝ると、続けて二人に執事を紹介した。
「こちら、我が家の執事長を務めているパーカーです。お爺様の代から長きにわたって我が家に仕え、クロム家のすべての使用人たちを取りまとめてくれています」
「パーカーと申します」
執事は二人の前に一歩進み出ると、完璧な角度で深々と頭を下げた。
「この度は、我がクロム家の至宝であるお嬢様をお救いいただき、感謝の言葉もありません。どうぞこちらへ。すぐに応接間へとご案内いたします」
広いエントランスホールを抜けて、アトラたちは格調高い応接間へと案内された。
歴史を感じさせる趣のある調度品の中に、最先端の精密機器が違和感なく並んでいる。
アトラはレザーのソファにだらしなく腰掛け、周囲を見渡した。
外にあった防犯カメラや自動門扉。
そして、この部屋に置いてある八ミリ映写機やブラウン管プロジェクター、大型テレビ。天井近くで静かに稼働しているエアーコンディショナー。
どれをとっても市場に出回ったばかりの最新型の製品だ。
ここまで徹底して揃えているあたり、この家の当主は相当な機械マニア、あるいは新しいもの好きな人間なのかもしれない。
もし本当にそうだとしたら、元機械技師として、当主とは案外気が合うかもしれない。
そんなことを考えていると、ほどなくして楚々としたメイドがお茶を運んできた。
目の前に差し出されたのは、爽快な香りを漂わせるミルクティー。
「お、うまい」
紅茶の銘柄には全く詳しくないが、これは一口で高級な茶葉だとわかった。
濃厚なミルクに負けることなく、茶葉本来の気品ある香りがしっかりと立っている。
さすがは紅茶の国と呼ばれるだけのことはある。
アトラはその温かな紅茶を口にして、ようやく人心地がつく。
そのまま傍らに控えたメイドから傷の手当てを受けた。
その時また、ガチャンッと応接間の扉が勢いよく開く。
「お嬢様!」
開口一番、部屋に大きな声が響いた。
「よかった! ご無事でしたか!」
息を切らせて現れたのは、やせ細った体躯の神経質そうな眼鏡をかけた男だった。
「ええ、私は」と頷いたアヤメは、胸を締め付けられたように再び顔を歪める。
「……でも、ステイソンは。
私が、貴方の言う通りに、もっと多くの兵を連れて行けば……。そうすれば、彼も死なずに済んだのに……」
「お嬢様のせいではありません!」
眼鏡の男は食い気味に声を張った。
「すべての元凶は、あの悪徳伯爵です。失ったものは大きいですが……また別の打開策を考えましょう」
「……そう、ですね」
アヤメは目元に溜まった涙をそっと指先で拭う。
「――でも、その前に、まずはお二人にお礼を。このお二人がいなかったら、私は今ここにいませんから」
「……そうでしたか」
眼鏡の男は深く頷くと、アヤメの隣に腰掛けているロイへと視線を向ける。
「おや……?」と眼鏡の奥の目を見開いた。
「その洗練された騎士服……もしや、ロイ・ヴェガ様ではございませんか? ガウェイン学長から直々にご推薦いただいていた……?」
「はい。道中でいくつかの偶然が重なり、予定より一日早く到着しました。こちらが、学長よりお預かりしている推薦状になります」
ロイは騎士服の懐から、封蝋の施された書状を取り出し、恭しく差し出す。
眼鏡の男は受け取った書状に素早く目を通すと、すぐに表情を明るくさせた。
「なんという偶然、いや、なんという幸運でしょうか! まさか正式な雇用契約を交わす前から、お嬢様をお守りいただくことになるとは!」
眼鏡の男は興奮した様子でぐっと身を乗り出し、ロイの手をがっしり取った。
「この度は、お嬢様を助けていただき、心から感謝いたします!
ロイ殿、貴方のお噂はかねがね伺っております!
なんでも王立学院の騎士科を首席で卒業されたとか! あのガウェイン学長が、我がことのように自慢して、推薦なさるだけのことはありますね!」
「過分なお褒めの言葉、恐縮です。――ですが、」
ロイは気恥ずかしそうに苦笑を作ると、視線で隣のソファを示した。
「あのレストランで、お嬢様を命懸けで守り、敵の主力を退けたのは彼です」
「……?」
男の視線が、初めてロイの隣に座るアトラに向けられる。
眼鏡の奥にある細い目が、上から下へと値踏みするように素早く走り、瞳の奥にアトラに対する猜疑心が一瞬だけ明滅した。
「失礼。……貴方は?」
「アトラ・クラウンです。よろしく」
「これはこれは。随分と流暢なアルトリア語で」
「ええ、こう見えてもアルトリア人ですから」
アトラはむっとしながら答えた。
「おやおや、これは失礼しました」
男は取り繕うように軽く謝罪すると、咳払いを一つ挟み、すぐに温和な笑みを浮かべてみせる。
「ご紹介が遅れました。私はクロム家の秘書官長をしております、レントと申します。アトラ殿、貴方にも深く感謝を申し上げます」
「私からも、改めてお礼を申し上げます。アトラ様、本当にありがとうございました」
レントに続いて、アヤメもまたソファから立ち上がって、深々と頭を下げた。
「いえ、気にしないでください」
アトラは軽く手を上げ、アヤメの不安を和らげるように、努めて優しく微笑みかける。
アヤメの可憐な頬が、微かに赤く染まったことをアトラは決して見逃さなかった。
「レント、それで……お父様は今どこに?」
「……いつもの場所に」レントは困ったように眼鏡のブリッジを押し上げる。
「またキャバレー。あの女の場所ですか」
アヤメはうんざりした顔で、吐き捨てるように言う。
「……あの人も相変わらずですね。またご自慢の短剣を持ち出しては、カミノ戦争の武勇伝を語っているのかしら」
「お嬢様が襲撃を受け、ステイソンが殉職した件も、お伝えしたのですが……」
「いいです。……もう期待なんてしていません。あの人が、私の存在を疎んでいるのは今に始まったことではありませんから」
アヤメは小さく息を吐き、瞬時に凛と表情を引き締めた。
「それより、もっと建設的な話をしましょう。私の新たな護衛ですが……このお二人にお願いするつもりです」
「なんと! またそんな勝手な! もっと慎重に選ぶべきです!」
レントが悲鳴のような声を張り上げ、扉脇に直立不動で控えているグラントにちらりと視線を送る。
こくりと頷いたグラントが、「レント殿の仰る通りかと」と言葉を続けた。
「それに、当主であるロジャー様のお許しをいただかないことには、正式に雇うことは難しいかと……」
「父は関係ありませんっ!」
アヤメは、グラントの意見をぴしゃりと撥ね退けた。
「自分の護衛は、自分で選ばせてもらいます!」
レントは、「ですが……」と言いにくそうに口を開き、アトラに視線を向ける。
「騎士であり、準貴族であられるロイ殿はともかく……その、アトラ殿に関しては、あまりにも素性が……」
「私もレント殿に同意です。あの国際的犯罪組織『セラフィム』に襲われた以上、お嬢様の護衛には、これまで以上の実力が求められます。少なくとも、素性の知れない傭兵ではなく、我が家の正規兵の中から精鋭を選ぶべきかと」
「実力を見せればいいのか?」
そこでアトラが口を挟んだ。
一瞬で空気が張り詰める。
会話に割り込まれたのが気に食わなかったのか、不躾な物言いがお気に召さなかったのか、レントとグラントの顔が同時に不快げに険しく歪んだ。
「おっと、これは失礼」
アトラはわざとらしく肩を竦めてみせると、「見せればいいんですか? 実力を」と言い直した。
「実力を見せるとは……随分と偉そうなことを言うではないか」
グラントは一歩前に進み出る。
目つきは鋭く、その声音からは、客に向ける最低限の敬意すら完全に消え失せていた。
「貴殿、軍にいた経験は?」
「ありません」
「そうだろうな」とグラントは予想通りだと言わんばかりに、傲慢に口元を歪める。
「私は、最近まで王国の正規軍にいた。当然カミノ戦争にも、前線の将校として従軍している。貴殿のような口先だけの若者は嫌というほど見てきたし、実際そんな部下もいた。だがな、そういう奴らは大抵、真っ先に無様な死体を晒すものだ。……あまり調子に乗るなよ、若造」
「ご高説どうもありがとう」
アトラは笑った。
「でもさあ、戦場で部下が真っ先に死ぬのは、上司が無能だからじゃない? あなたこそ、調子に乗らない方がいいと思うよ」
「貴様……ッ!」
「まあまあ。グラント殿。その辺でお控えください」
レントは焦って間に入ろうとする。
だが、グラントは完全に逆上しており、引く気配など全くなかった。
「邪魔をするな! こんな若造に侮辱されて引き下がれるかっ!」
「グラント殿!」
今度は、明確に圧のある鋭い声だった。
レントは眼鏡の奥の目を険しく光らせる。
「……お嬢様の前です。公私の弁えをお忘れなきよう」
さすがにそう釘を刺されては、グラントも忌々しげに顎を引くしかなかった。
レントは、ふぅと息を吐いて眼鏡をかけ直すと、そのままアトラに向き直って話を引き取った。
「アトラ殿。貴方がセラフィムの主力を退けた。その事実は認めましょう。
ですが、それだけを理由に、大切なお嬢様の御傍に置くわけにはまいりません」
「やっぱり、素性が知れないやつではダメですか。でも、あいにく、家柄も学歴も自慢できるようなものは何もありません。
――けど、強さだけは保証しますよ。俺は絶対に誰にも負けない」
「口では、いかようにも言えます」
「なら、証明しましょう」
アトラはソファから、ゆっくりと腰を上げた。
隣に座るロイが、「……今度は何をする気だ?」と呆れと警戒の混じった視線を送ってくる。
しかし、アトラは気にも留めない。
軽快に肩を竦めてみせると、未だに怒りで顔を真っ赤にさせているグラントの正面へ歩み出た。
「どうです? 口先だけの若者に胸を貸す気はありませんか?」
「……貴様。それは、私と一戦交えるという意味か?」
「警備隊長様に勝てば、誰も文句はないでしょう?」
「舐めるなよ、小僧。貴様のような若造が、私に勝てるとでも?」
アトラは薄く笑い、グラントの懐へ半歩踏みこむ。
そして、アヤメやレントには聞こえないほどの小さな声で、「恐いのか? 童貞野郎」とグラントの耳元で囁いた。
「いいだろう」
グラントは鼻息荒く、言い放つ。
「その鼻っ柱をへし折ってやる」
ついてこい、とグラントは乱暴に言って、背を向ける。
そこに、「お待ちください!」とレントが焦燥の声を飛ばした。
「グラント殿! 貴方まで何を勝手に熱くなっているのですかっ⁉」
「私はクロム家の警備隊長だ!」
グラントは歩みを止め、振り返る。
「この家の警備と兵の統括運用については、ロジャー様より私に一任されているはずだ」
「しかし――」
「レント殿の領分は、領地管理と財務。この件への口出しは無用だ」
重々しいガラス扉を開け、テラスの先に広がる中庭へと出た。
闇夜の中に設置された照明灯が、対峙する二人の影を地面に長く伸ばす。
「……いつでもかかってくるといい」
グラントは数歩の間合いを空けると、構えを取った。
左足を前に出して、両脇を硬く締める。
身体を少し斜めに傾け、顔の前に拳を掲げる。軍隊式ボクシングの構えだ。
「ルールは特にない。何をしても構わないぞ」
グラントが傲慢に言う。
「何をしても? 本当に?」
「ああ。何をしてもいい。万が一でも、この私に有効な一撃を入れることができたなら、お前の実力とやらを認めてやろう」
「わかった。もう始めていいか?」
「構わない」
グラントが言い終えるよりも早く、アトラは義手の指で銃の形を作る。
そして、人差し指の照準をグラントの右脚へ合わせると、少しの躊躇なく発砲した。
「ぐああああああーッ⁉」
中庭の静寂を切り裂く銃声が爆ぜ、その刹那、絶叫しながらグラントが倒れる。
グラントは芝生の上を転げ回り、ドクドクと流れる鮮血を止めようと、必死に右太腿を両手で押さえている。
アトラは一切の表情を変えないまま、助走をつけると、転げ回るグラントの顔面目掛けて、右脚を思い切り振り抜く。
フリーキックのように全力で蹴りつけた。
重々しい呻き声が響き、グラントの巨体が完全に沈黙する。
アトラは、大男が気を失ったのを見届けてから、「よし」と小さく呟き、テラスの方へ振り返った。
「これで今日から、俺が護衛ですね。なんなら、警備隊長もやりましょうか?」
しーんと静まり返った中庭。
ロイは、「……はぁ。こいつまたやったよ」と言わんばかりに、深い諦念を滲ませ、こめかみを指で強く押さえている。
それ以外の、アヤメやレント、メイドたちは、目の前の光景に理解が追いついていないようで、金魚のように口をぱくぱくと開けたまま、ただただ立ち尽くしていた。
「な、な、な、一体全体、貴方は何をやっているんですかっ⁉」
数十秒の沈黙の後、ようやくレントが裏返った声で悲鳴を上げる。
「何が?」
「何がではありません! こういう手合わせの場で、普通銃を使いますかっ! ……っていうか、その義手、銃だったんですかっ⁉」
「レント殿」
ここでロイが、いつもの冷静な、だが、どこか呆れ果てた声音で告げる。
「それよりも今は、グラント殿を早く治療したほうがいいかと。大腿動脈は外れていますが、あのままだと失血死しますよ」
レントははっとして顔面を蒼白にしながら、急いで使用人たちに指示を飛ばした。
邸宅から多くの使用人たちが中庭に飛び出してきて、意識を失ったグラントを担架で大急ぎで運び出していく。
「こんな不意打ち、認められるわけがありません!」
グラントが消えた中庭で、レントが怒りに声を荒げた。
それに対して、アトラは、「甘い甘い。これだからお上品な連中はダメなんだよ」と指を横に振った。
「もし、俺が『セラフィム』だったら、どうです? 同じことを言えますか? こんな不意打ちは、ルール違反だから認められませんって。……そんな甘っちょろい言い訳を喚いている間に、あんたも、大切なお嬢様も、躊躇なく殺されますよ」
アトラはレントの目の前まで歩み寄ると、怯える彼の肩にぽんと冷たい義手を置いた。
「相手は、常識の通じない卑怯者の犯罪集団を雇った。――なら、こっちだって、それを上回る超一流の卑怯者を雇えばいいだけの話だろ?」
レントが言葉を失って息を呑む。
次にアトラは、ずっと自分を見つめていたアヤメの方へと視線を向け、静かに近づいた。
「ご安心ください、お嬢様。俺は卑怯者ですが、絶対に嘘はつきません。それは神にだって誓える」
アトラはそこで言葉を切り、優しく微笑む。そして、流麗な所作で片膝をついた。
「確かに、俺はロイのような高潔な騎士ではありません。家柄も素性も知れない、ただのしがない傭兵です。――ですが、決して間者ではありませんし、貴方に雇われる以上は、クロム家を裏切るなんてことも絶対にありえません」
アトラはアヤメの華奢な右手を取った。
不安に揺れる彼女の翡翠の瞳を、下からじっと見上げながら――その柔らかな手の甲へ、そっと親愛を込めた誓いの口づけを落とした。
アヤメは一瞬にして、耳の裏まで真っ赤になって、その胸の高鳴りを隠せないように、小さく、だが、力強く頷いた。
「……はい。よろしく、お願いします。アトラ様」




