1-5 寂しくないよ……
昼の2時を過ぎていた。
まとわりつく少年と少女の目を盗み、一人で森の奥深くへと進む。
あらかじめ目印をつけた大木を探す。枝に巻き付けた黄色い紐。――見つけた。
木の根元にかがみ込み、素手で泥土を掘り起こしていく。湿った黒土が爪の間に入り込んでくる。
やがて、頑丈な布に包まれた木箱の角が覗いた。
両手で引き上げる。ずしりと重い。
布を乱暴に解き、蓋を開ける。中には、軍用の短波無線機が収められていた。
湿った地面に無線機を据え置き、慣れた手つきで配線を繋いでいく。
ワイヤーアンテナを引き出し、近くの木の枝に投げかけた。
主電源のスイッチを入れる。
――――ザザッ……、――――ザザッ…………。
砂嵐のように不快なノイズが鼓膜に流れ込んでくる。
ダイヤルを慎重に回し、特定の周波数へと合わせていく。
『――ザッ、……こちら……応答せよ』
途切れ途切れの声が聞こえる。調整を重ねるうちに、音の歪みが少しずつ薄れていく。
「聞こえています」
ノイズの向こうで、僅かな沈黙が走る。
『――識別コードを』
「識別コード007――刑死者」
『――確認。状況を報告せよ』
「カンザキ領サイハテ村にて、『ミセラの王冠』を確認。併せて――カミノ王国第三王子、アシュラ・カミノの生存も確認しました」
それは、普段どもりがちな少女のものとは到底思えない、流暢なグラキエ語だった。
これで、ようやく任務も終わりだ。
あの吐き気のするような、偽善に満ちた温かい日常から解放される。
そう、わずかに気を抜いた時だった。
背後で、パキッと枝を踏み折る硬い音が響く。
はっとして咄嗟に振り返る。
そこにいたのは、二つ結びの少女だった。
「……ナ、ナナちゃん? い、いまのなに? ……外国語?」
見てはいけない世界の禁忌に触れてしまった。
そんな怯えきった顔で、ミユキはそこに立ち尽くしていた。
気づかなかった。
無線機からは、『応答しろ。何があった?』と緊迫した声が割り込んでくる。
長い間、あの生温い環境に浸かりすぎたせいだ。そのせいで、地獄のような訓練で鍛え上げてきたはずの、アサシンとしての感覚が決定的に鈍っていた。
小さく息を吐き、感情を殺す。
「いえ、問題ありません。報告終了」
それだけを告げて、ナナは通信を一方的に切断した。
「まさか、こんなところまでついてくるとはね。……本当についてない」
スゥーッと右手の爪を伸ばす。
肩にある『輪縄の刻印』が熱傷痕の下で淡く光を放ち、その指先が鋭利な刃物のように硬化していく。
本当に運がない。本当についていない。――もう殺すしかない。
「……な、なに?」
じりじりと後ずさるミユキ。その幼い顔が、見る間に恐怖で歪んでいく。
「なんて言ってるの⁉ 分からないよ! 私にもわかるように、カミノ語で話してよ!」
きゃっ、と短い悲鳴が上がった。
焦るあまりに足をもつらせ、木の根に引っかかって、ミユキはその場に尻もちをつく。
「残念。運がなかったね」
ナナは無感情な瞳で、恐怖に震える幼い少女を見下ろした。
ゆっくりと膝をつき、ミユキの身体の上に馬乗りになる。
「さようなら。私の、可愛い妹」
容赦なく振り下ろされた鋭い指先が、ミユキの胸へと無慈悲に沈んだ。
ミユキの震える小さな手が、ナナの腕を必死に掴んでくる。
けれど、その抵抗はあまりにも弱々しく、振り払うまでもない。
ひゅーひゅーと、肺から空気が漏れるような浅い呼吸。夢や希望に満ち溢れていたはずのミユキの瞳から、急速に光が失われていく。
生命の光が融けて消えていく。
「……パパ……ママ……」
「だい、じょうぶ。さびしく、ないよ」
今度は、いつものたどたどしいカミノ語でそっと呟き、ミユキの首筋に指を突き刺す。
生暖かい血がナナの顔に跳ねる。
一瞬だけ、縋るように強まったミユキの手の力が、嘘のように抜けていく。
やがて呼吸が完全に途絶えて、ミユキは、ぴくりとも動かなくなった。
自分の顔と指先についた血を無造作に拭い、ナナはミユキの瞼をそっと閉じる。
「寂しくないよ」
乾いた声で、続ける。
「怖くないよ」
いつのまにか零れ落ちた涙が、頬を伝う。
「どうせこの国は亡びる。みんな死ぬんだから」
それから、僅か二十日後。
――カミノ戦争が始まった。




