7-1 もし私が自分のために生きないのなら、誰が私のために生きてくれるのだろうか
時は流れ、12月。
クロム邸が炎上し、アトラが『シオン・クロム』に成り代わってから、早くも2か月が経った。
あの大火災により、次期当主であるシオン、そして邸宅にいた使用人たちや、あの日警備に当たっていた私兵たちは、全員が命を落としたと見られている。
もっとも、火勢があまりにも激しく、瓦礫の下から発見された遺体の大半は損壊が著しかったため、身元確認は難航し、正確な犠牲者数は今なお判明していない。
本物のシオンの遺体もまた、他の犠牲者と同じく身元の確認には至らなかった。
また、あの火災から奇跡的に免れたはずの秘書官長レントと、執事長パーカーの二人も、ララバイ急行列車の中で無惨な斬殺死体となって発見された。
犯人が、あの金髪の死神――セラフィムの女であることは、疑いようもなかった。
さらに不可解なことに、クロム邸を定期的に訪問していたシオンの主治医までもが、なぜか自宅で銃殺されているのが見つかった。
アヤメを除いたクロム家の全滅、そして関係者の不審死。
これで、アトラが本物の『シオン』ではないと知る者は、アヤメとロイの二人だけになった。
そして今、アトラ――否、シオンと、ロイ、アヤメの三人は、新たに雇い入れた使用人たちとともに、ガチャ伯爵の旧邸宅で暮らしていた。
――午前10時。
シオンは何度も揺り起こされ、ようやく重い瞼を持ち上げた。
「あ、やっと起きた。おはようございます、シオン」
耳に届いたのは、柔らかな鈴のような声。
シオンは右手の義手で目を擦る。
ぼんやりした視界の先には、にっこり微笑むアヤメが立っていた。
その表情からは、将来に対する憂いも、大切な人々を失った悲しみも、もう感じられなかった。
「おはよう、姉さん」
シオンは慣れた様子でそう返す。
この2か月で『シオン』と呼ばれることにも、アヤメのことを『姉さん』と呼ぶのにも、もうすっかり馴染んでいた。
そもそも名前を捨てたのもこれが初めてではなく、アトラも仮の名前に過ぎなかった。今さら、名前を変え、別人になることなど、何とも思わなかった。
アヤメはサイドテーブルに目を向け、筒状の小さなケースを手に取った。
「なかなか起きないと思ったら、……また昨晩、睡眠薬を呑みましたね」
「眠れなかったんだよ。しょうがないだろ」
「薬に頼りすぎるのは、あんまり身体によくないですよ」
「早起きも身体によくない。……てことで、もうちょい寝る」
そう言ってシオンは枕の位置を整える。
すると、「ダメです!」とアヤメに勢いよく枕を引き抜かれた。
「今日から、また新しい秘書官が来るんですから、早く起きてください!」
「えー……」
「えーじゃありません! さあ、早く起きる! 来年から、王立学院での寮生活が始まるんですよ。クロム伯爵家の次期当主としての自覚を、もっとちゃんと持ってください」
「はいはい」
「はいは、一回!」
「はーい。……ほんと、姉になった途端、口うるさくなるんだからなあ」
シオンは独り言ちながら、大きく伸びをしてベッドから下りる。
アヤメに、「さあ、顔を洗ってきてください」と背中を押され、自室にある洗面所へと向かう。
その間、アヤメは甲斐甲斐しい手つきで乱れた寝具を整える。
ふと、彼女の視線が机の上へと向いた。
「……まったく」
呆れ交じりに言いながら、眉根を寄せる。
「こら、シオン。机の上、散らかり過ぎですよ。こんなに新聞を溜め込んで。もう読んだのなら、捨ててもいいですか?」
「あー、だめだめ。まだ整理してる最中だから」
洗面所から出たシオンは、タオルで濡れた顔を拭いながら、机の上に山積みにされたここ2か月分の新聞に手を伸ばした。
使い終えたタオルを首にかけ、ぱらぱらと紙面をめくる。
新聞は、クロム領内で発行されたものから、王都のものまで様々あった。
気になった記事が載った紙面を数枚抜き出す。シオンは椅子に腰を落ち着けると、クロム家に関連する4つの記事を読み直し始めた。
最初に目を通したのは、2か月前の地方紙だった。
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【クロム子爵死亡 邸宅全焼――生存者は嫡男シオン氏と長女アヤメ氏のみ】
10月8日午後、クロム領を治めるクロム子爵家の邸宅で、大規模な爆発火災が発生し、当主ロジャー・クロム子爵(46)が死亡した。
火は発生から8時間にわたり燃え続け、邸宅は全焼。
使用人や私兵を含む多数の死者が出ているものとみられている。
現在までに生存が確認されているのは、嫡男シオン・クロム氏(16)と、長女アヤメ・クロム氏(19)のみである。
捜査関係者によると、クロム領内ではここ数日の間に、12件の放火事件が発生しており、今回の火災は13件目の放火事件である可能性が高いとされている。
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事実とは少し異なる内容に、シオンは小さく鼻で笑った。
実際には、ロジャーはこの火災で死んだわけではない。
だが、様々な不都合を隠すには、こちらの方が都合が良かった。
アヤメの全幅の信頼を勝ち取った今、クロム家の全権はシオン(アトラ)の手中にある。何をしようと、アヤメは、成り代わった新しい弟のことを決して疑わなかった。
紙面を脇に置き、続いてその僅か数日後の記事に目を移す。
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【連続放火事件 容疑者逮捕――犯人は「ガチャ伯爵の指示だった」と供述】
クロム領内で相次いで発生していた連続放火事件について、捜査当局は10月12日、放火の容疑で男1名を逮捕したと発表した。
捜査関係者によれば、逮捕された男は取り調べに対して、「大半の放火は俺がやった。どれもガチャ伯爵からの依頼だった」と供述している。
クロム子爵家とガチャ伯爵家は、ダイヤモンド鉱山の利権を巡って、長年にわたり激しい対立を続けており、両家の関係は近年さらに悪化していたことで知られる。
捜査当局は、供述の信憑性を慎重に精査するとともに、ガチャ伯爵の関与についても捜査を進めている。
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これで世論は、一気にガチャ伯爵に疑惑の目を向けた。
普段から、黒い繋がりがあると噂されていただけに、誰もが、「やはりガチャ伯爵が黒幕だ」と納得していた。
そして、その4日後の記事で、疑惑は確信へと変わる。
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【ガチャ伯爵殺害――額に刻まれた熾天使のシンボル セラフィムとの対立が原因か⁉】
アントニン・ガチャ伯爵が自邸内で殺害されているのが発見された。
捜査関係者によると、発見時には遺体の腐敗が進行しており、死亡から数日が経過していたものとみられている。
また、遺体の額には、「六つの翼と一つの目」の紋様が刃物で刻まれていたことがわかっている。
この紋様は、近年各国で凶悪事件を引き起こしている国際的犯罪シンジケート「セラフィム」のシンボルと一致している。
なお、捜査の過程で、ガチャ伯爵とセラフィムの接触を示す複数の証拠も発見されており、捜査当局は、ガチャ伯爵がセラフィムと何らかの協力関係にあった一方、最終的には利害の衝突などから関係が悪化し、殺害された可能性も視野に入れて捜査を進めている。
また、アルトリア王家は10月15日、今回の事件を重く受け止め、ガチャ伯爵家の取り潰しを正式に発表した。
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連続放火事件の黒幕として扱われ、最期にはセラフィムに粛清された、ガチャ伯爵。
これで世間の見方は決定的になった。
セラフィムの悪名はさらに広がり、ガチャ伯爵は強欲の烙印を押され、すべての元凶として記憶される。
もっとも、ガチャ領の一部の貧民たちは、伯爵の死を歓迎していた。
長年彼の圧政に苦しめられてきた者たちにとって、それは勧善懲悪の結末に映ったのだろう。
事実、セラフィムを特権階級に立ち向かう英雄として支持する者は、日に日に増えていた。
シオンは最後に、数日前、王都で発行された紙面を手に取る。
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【アヤメ・クロム氏 当主代理に正式承認――クロム家 子爵から伯爵へ陞爵】
アルトリア王家は12月1日、アヤメ・クロム氏をクロム家の当主代理として正式に認めると発表した。
また同時に、クロム家は子爵から伯爵へ陞爵することも決定した。
さらに、王家が接収した旧ガチャ伯爵領については、クロム領への統合が行われる。
今回の決定について王宮関係者は、「クロム家が、王国へ多大な貢献を行った結果である」と説明している。
なお、クロム家は、保有していたダイヤモンド鉱山の採掘権および運営権を王家へ移管しており、今回の措置との関連性に注目が集まっている。
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ダイヤモンド鉱山を王家へ差し出すと決めた時は、さすがのアヤメもやや渋い顔をしていた。
だが、「すべては、クロム家の発展のため」ともっともらしく嘯けば、彼女は簡単に信じてくれた。
シオンにとっては、目先の富を生むダイヤモンド鉱山よりも、伯爵という『上級貴族の地位』こそが何よりも重要だった。
紙面から顔を上げる。
すかさずアヤメから、「のんびりしてる暇はないですよ!」と鋭い声が飛んでくる。
「早く着替えて、朝食をとってください!」
「はーい」
「はいは、伸ばさない!」
「はいっ!」
ぴしっと右手の義手で敬礼したシオンは、「よろしい」とアヤメのお許しをもらい、いつのまにか準備された服を受け取り、机の上に紙面を戻す。
タトゥーだらけの身体を見られたくないからと、いつまでも部屋に居続ける姉を追い出し、寝間着から着替えた。




