7-2 ネタバラシ
新生クロム伯爵家の邸宅、当主の書斎。
次期当主であるシオンと、当主代理であるアヤメが机を並べて座り、入り口の扉の脇には、新たな警備長となったロイが門番のように直立不動で控えている。
11時ちょうどになり、小気味よいノックの音が書斎に響いた。
ロイが扉を開けると、そこには新しい秘書官の男が端然と立っていた。
男は一礼し、静かに口を開く。
「失礼いたします。本日付で、クロム伯爵家にお仕えすることになりました、ジュールス・オースティンと申します。新たに雇い入れられた者たちを代表して、ご挨拶に参りました」
「ああ、あんたが」
シオンは椅子の背もたれに身体を預けて、品定めするように男を見つめる。
「優秀なんだってな。前もこの屋敷で働いていたんだろ?」
「はい。少し前までガチャ伯爵家の筆頭秘書官を務めておりました。その経験を活かし、一日でも早く皆様のお役に立てるよう尽力いたします」
ジュールスは、立派な髭を蓄え、長いもみあげが特徴的な黒人の男だった。
仕立ての良い黒いスーツを着こなしており、その佇まいは、隙のない殺し屋にも、敬虔な神父にも見えた。
「念のための確認だが、セラフィムとの繋がりはないってことでいいんだよな?」
シオンは口元に薄い笑みを浮かべ、あえて探るように訊ねる。
「無論です」
ジュールスは眉ひとつ動かさず、無表情で頷いた。
「セラフィムとの繋がりがあったのは、亡きガチャ伯爵のみ。我々は、そのことについて何も知りませんでした」
「本当だろうな?」
「私は嘘をつきません。神に誓って。……主に命じられれば、話は別ですが」
「ふうん。じゃあ、俺が嘘をつけっていったら、嘘つくのか?」
「シオン様が嘘をつけと言うのならば、その時は神にも叛きましょう」
「いいねえ」
シオンは満足げに笑う。
「じゃあ、さっそく働いてもらおうか」
「かしこまりました」
いつも無表情な男は、その時ばかりは笑顔を見せた。
◇◆◇◆◇
ジュールスは極めて有能な人間だった。
執務能力が高いのは勿論のこと、責任感と主体性を兼ね備え、何より忠実で、どこまでも真面目だ。真に仕事ができる人間には自然と人がついてくる。
子爵から伯爵へ陞爵し、さらに旧ガチャ領を統合した『新クロム家』は、現在深刻な人手不足に陥っていた。
そのため、シオンは、ガチャ伯爵家の取り潰しによって職を失った使用人や役人たちを、この2か月で積極的に雇い入れる方針を取っている。
そして、その寄せ集めの集団を束ねる中心に据えたのが、このジュールスである。
優秀な彼が加わったおかげで、領地経営の雑務は見違えるほど効率よく処理されるようになり、シオンとアヤメの負担が大幅に減った。
ロジャーの死後、この2か月間はまともに眠れた日など数えるほどしかなかった。
だからこそ、ジュールスのおかげで仕事が早く片付いた今日ばかりは、夜が更けると同時にさっさと寝床についた。
――同日、22時。
1階にある主寝室の広いベッドの上、シオンは規則正しい寝息を立てている。
ベッドのサイドテーブルには、またいつものように睡眠薬が入った筒状のケースがぽつんと置かれていた。
主寝室の扉がゆっくりと開く。
物音を立てず、気配を消して部屋に入ってきたのは、ジュールスだった。
部屋に入ってきたことに気づいていないのか、ベッドの上ではシオンが相変わらず規則正しい寝息を立てている。
ジュールスはベッドの傍に立ち、その寝顔を無表情で見下ろしてから窓辺へと歩いた。
カーテンを静かに引き、大きな上げ下げ窓を開く。
12月の風はひゅんと冷たく吹き込み、一瞬だけシオンが眉を寄せた。
が、目は開けない。寝息も変わらずに聞こえてくる。
ジュールスは振り返り、シオンが眠っていることを確認すると、ポケットから小型の懐中電灯を取り出した。そして合図を送るように、外に向けて2回ほど光を点滅させる。
その直後、闇夜の中にきらりと金髪が煌めいた。
裏庭に潜んでいた人影が、瞬く間にこちらに近づき、テラスを越えて、開け放たれた窓から侵入してくる。
いつものようにイエローのトラックジャケットを着て、刀を背負っていた。
「おせーよ。めちゃ寒かったぞ」
エルラはしかめっ面で不機嫌に吐き捨ててから、ベッドの上に視線を向ける。
「で、そいつは寝てんのか?」
「自分で確かめるといい」
ジュールスがベッドに向かって顎をしゃくると、エルラは肩を竦めて、足音を殺してベッドに近づき、シオンの顔を覗き込んだ。
「随分とぐっすり眠ってんじゃん」
部屋の灯をつけ、これだけ普通に喋っていても、睡眠薬の効果からかシオンは一向に目を覚ます気配がない。
「毎晩、睡眠薬を呑んでるってのは、情報通りみたいだな。ほんと間抜けな寝顔だ」
その呑気に眠る姿は、エルラにとって腹立たしいものであると同時に、この上ない好機としても映った。
「……これでやっと、だ」
エルラの顔に自然と笑みがこぼれる。
「やっと殺せる」
三度目の正直だ。
ここで殺せば、失ってしまったボスからの信用も多少は取り返せるだろう。
セラフィムに粛清される恐怖からも解放されるはず。
エルラは音もなくベッドに上がると、シオンの腹の上に跨った。
「次、目を覚ますときはきっと地獄だろうよ」
笑いながらそう吐き捨て、ゆっくりと鞘から刀を抜いた。
冷たい刃が剥き出しになり、シオンの首筋にその刀身を突きつける。
その時、刀身がカタカタと微かに震えていることに気づいた。自分の手が震えているのだ。
それほど気持ちが高ぶっているのだと自覚する。
落ち着け、心を乱すな、と大きく深呼吸するため、息を吸い込んだ。
――その刹那、ぱちりとシオンの目が開いた。
「残念。まだ地獄に行くつもりはない」
シオンは、にやりと余裕の笑みを浮かべながら言った。
いつのまにか義手の指で銃の形を作っており、下から腕を伸ばして、エルラの額に銃口を定めていた。
「動くなよ。少しでも動いたら撃つ。ご存知のとおり、俺の義手は特別製だ」
「……なんだ、寝たふりしてたのかよ。……とことんキモイ野郎だな」
だが、エルラは怯まない。
刀の切っ先は依然としてシオンの首筋に触れている。
優位な状況が覆ったわけではない。エルラは強気に鼻を鳴らした。
「あんた、チャカとダンビラどっちが強いと思う?」
「さあ、知らねえ」
シオンの答えは素っ気ない。「でも」と言葉を続ける。
「でも、さすがのあんたも、ゼロ距離じゃ弾丸は斬れねえだろ?」
「まあ、そうだな」
エルラは意外にもあっさりそれを認めた。
「だが、たとえあたしが、あんたを殺し損ねたところで、ジュールスがあんたを殺す。言っておくが、こいつはただの秘書なんかじゃない。殺し屋で、――あたしの味方だ」
「いや、俺の味方だよ」
「は?」
その時、エルラの後ろから、カチッ、と撃鉄が起こされる音が響いた。
「……どういうことだよ?」
エルラは冷や汗をかき、シオンを見据えたまま、後ろにいるジュールスに問いかける。
「どういうことだと思う?」
ジュールスは淡々とそう聞き返し、黒く冷たい銃口をエルラの後頭部に突きつけた。
「……まさか。……ジュールス、お前寝返ったのか?」
「違う」
ジュールスは即答する。
「私は最初から、この方の部下だ」
「……何を言ってる?」
エルラの理解が追いつかない。
混乱し、完全に思考が止まる。
頭を激しく掻いて、大声で叫び出したい衝動に駆られる。
「鈍いな」
シオンが言った。
「あァん?」
エルラが凄む。
刀を握る手に思わず力が入り、刀身が触れているシオンの首筋から、すぅーっと血が流れる。
次の瞬間、――パンッ、と発砲音が鳴り響いた。
「え……っ?」
エルラの表情が固まる。口がぽかんと開いている。
指先の銃口から飛び出したのは、鉛の弾丸ではなく、色鮮やかな紙吹雪だった。
祝福するように宙を舞い、エルラの前でひらひらと華やかに舞い落ちていく。
「おめでとう」
シオンは満足げな笑みを浮かべている。悪戯が成功した無邪気な子供のようにも見える。
「――エルラ、お前、合格な」
「……ま、まさか」
エルラは床に放り出すように刀から手を離すと、シオンの服を乱暴に捲り上げた。
無数のタトゥーが刻まれたシオンの身体。
その中でも一際目立つ、左胸のタトゥー。
六つの翼と、中央に宿る一つの目。
それは、セラフィムのシンボルだった。
「お前、俺に会いたかったんだろ? ――俺が、セラフィムのボスだよ」
◇◆◇◆◇
ベッドから下りる。主寝室のソファに移動する。
上座のソファにシオンがゆったりと腰を下ろし、その対面にエルラが小さくなって座った。
ジュールスは当然のようにシオンの背後に控えている。
エルラは困惑と戦慄を隠せない表情で押し黙っていた。
いつもの傍若無人さは微塵もなく、どこかしおらしさを感じる。
定まらず泳ぐ視線が、時折、様子を窺うようにちらりとシオンに向けられていた。
「びっくりしたか?」
シオンが訊ねる。
「……あ、ああ、うん。……いや、はい」
エルラは明らかに緊張し、声を強張らせている。
「悪かったな」
シオンはちっとも悪びれた様子もなく謝罪した。
「ジュールスが、推薦したい期待の新人がいるから一度見てほしいって言うからな。色々とテストさせてもらった」
「テ、スト?」
エルラはしどろもどろといった様子だ。
「……もしかして、レストランや列車で、あたしに襲わせたのも……全部テストするため、ですか?」
「まあ、そうだな。ほかにも色々理由はあったが。アヤメに近づくためだったり、アヤメの信頼を勝ち取るためだったり」
「無事、目標は達成できたようですね。さすがです」
後ろからジュールスが、至高の主へ向けて賞賛を送った。
「アヤメ嬢は、その絶大な信頼が、すべて貴方様のマッチポンプによるものだとは微塵も思っていないでしょう」
「この国の貴族連中は本当に騙しやすくて助かるよ」
「ガチャ伯爵についても同様でした」
ジュールスは無表情で淡々と続ける。
「彼は死の間際まで、我々に裏切られ、すべての罪を被らされるとは夢にも思っていない様子でした」
「笑えるよ」
そう言ったシオンは、ソファの背もたれに腕を乗せ、振り返る。
「で、ガチャ領でしっかり領地経営については学べたか?」
はい、とジュールスは笑みを作り、愛想よく頷いた。
「部下たちにとっても、実に身のある経験になりました。この経験を活かせば、新クロム領の管理や運営につきましても、一切の滞りなく引き継いでいけるかと」
「それならよかったよ。わざわざ面倒なコストを支払ってまで、多くの奴らを潜入させた甲斐があった。いくら優秀なお前らでも、一から伯爵クラスの領地経営は無理だからな」
「はい。新クロム領についても、三年以内には、必ず黒字にまで持って行ってみせます」
「ああ、期待してるよ」
「……本当に、貴方が、セラフィムのボスなの、ですか?」
二人のやり取りをじっと黙って見届けていたエルラが、意を決したように訊ねた。
その瞳は揺れており、目の前の現実をまだ半信半疑で受け止めきれていないのが、ありありと伝わってくる。
シオンは正面に向き直る。
「なんだ、まだ信じられないのか?」
と半笑いで問う。
「……だって」
エルラは恐る恐るシオンを見つめた。
「……あ、あまりにも若すぎる」
「お前は、セラフィムについて、どこまで知っている?」
「……えーっと」
エルラはさっとシオンから目を逸らした。
普段の獲物をいたぶるような獰猛さはどこへやら、小さな唇をぱくぱくとさせて言葉を探した。
「……せ、世界を、た、正しく、導く組織……みたいな?」
最後は消え入りそうな声だった。上目遣いでシオンの顔色を窺う。
「何だよ、それ。新興宗教かよ」
シオンは堪えきれないといった様子で、あははははっ、と声を上げて笑った。
エルラの顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「ち、ちがうのかよ!」
「いや、違わないよ」
シオンの目はどこか優しかった。
「セラフィムの歴史は古く、かつてのミセラ大帝国時代にまで遡る。元は、帝国の秩序を裏から維持するための影の組織。――諜報、防諜、そして不穏分子の粛清。それが彼らに与えられた役割だった。権能を授かり、各地に散らばり、闇に潜んだ精鋭たちが、『解放の王』を陰から支えた。……だが、時が流れ、大いなる主を失い、国が割れたことで、表舞台から姿を消して、実質的な解散へと追い込まれた」
シオンは自身の右腕を静かに愛撫するように押さえ、上を仰ぎながら言葉を重ねる。
その声に、いつもの軽薄さはない。
冷ややかで、聖職者のような威厳すらあった。
「しかし、主を失ったセラフィムは、国が滅び、数百年の時が流れようとも、暗闇の中でただひたすらに待ち続けた。再び自分たちを率いる、新たな主が生まれることを。セラフィムが忠誠を捧げる絶対の主は、いつの時代もただ一人。――解放の王の正当な継承者であり、世界の権能をその手に宿す、『ミセラの支配者』のみだ」
「それじゃあ、まさか……?」
エルラはごくりと唾を呑み込む。
「ああ、そのまさか。――俺が、ミセラの支配者だ」
シオンは小さく笑い、得意げに胸を張った。
そして、「……と言いたいところだが」と肩を竦め、おもむろに自身の右腕の義手を外す。
「まあ、今はこの通り、王冠はないけどな」
エルラは何も言えなかった。
ただただ圧倒され、声もなく息を呑むばかりだ。
シオンはカチリと音を立てて義手を嵌め直すと、再び後ろを向いて口を開いた。
「これからは、より本格的に動く。エルラは俺の直属にする」
「直属ですか?」
ジュールスの表情が、僅かに曇った。
「……確かに、私が推薦した人材ではありますが、彼女はまだ新人です。貴方様の直属に据えるには、あまりにも時期尚早かと。……ほかの幹部たちからも不満が出るでしょう。今しばらく様子を見るべきかと愚考いたします」
「知らねえよ」
シオンの顔から、一切の笑みが消えた。
「誰に意見してんだ、てめえ」
部屋の空気が一瞬で凍りつき、歪むほど重苦しい殺気が放たれる。
ジュールスの顔色が目に見えて変わる。
「――失礼しました」
それ以上言葉を重ねることなく、即座に深々と頭を下げる。
「頭を上げろ」
シオンはジュールスを見ようともせずに言い放つ。
「……次はない」
「肝に銘じます」
ジュールスはゆっくりと顔を上げた。
「お前も座れ。これからの話をするぞ」
「はっ」
ジュールスは再び恭しく一礼し、一人分の隙間を空けてエルラの隣に腰掛けた。
「とりあえず俺は、来年9月の王立学院への入学に向けての準備に入る。クロム領を離れることも多いだろう。留守中、領地については、お前たちに一任する。ダイヤ鉱山の件で王家との折衝も必要になるだろうし、しっかりとアヤメを支えてやれ」
「かしこまりました」
ジュールスは深々と頷く。
そして続けて、「……一つ、質問をよろしいでしょうか」と恐る恐るシオンに訊ねた。
「なんだ?」
「ダイヤモンド鉱山についてですが……あれほどの権益を王家に譲渡されたのは、どういう意図があったのでしょうか?」
「ああ、なるべく早く、伯爵になりたかったんだよ。何としてでも上級貴族という地位が欲しかった。
――さあ、なんでだと思う? はい、エルラ」
突然名指しされ、びくんとエルラの背筋が跳ねるように伸びた。
「……わ、わかりません」
声は消え入りそうなほど、とても小さい。
「少しは考えてみろよ」
シオンは苦笑した。
「俺の直属になるんだ。脳筋のままじゃやっていけないぞ。ほら、上級貴族になることで、何ができるようになると思う?」
「……えーっと」
エルラは助けを求めるように、横に座るジュールスを見る。
しかし、ジュールスはため息を吐き、自分で答えろと静かに首を振るだけだった。
その様子を見て、シオンは楽しそうに笑っていた。
「何ならお前も、学院に通うか? ……組織に馬鹿はいらないぞ。明日から、毎日本を読め。いいな?」
「は、はいっ!」
エルラはぶんぶんと何度も、千切れんばかりに首を縦に振った。
「さあ」
シオンの視線が、ジュールスに戻る。
「代わりに、ジュールス。お前が答えろ」
「議会への参加でしょうか?」
「まあ、それもある。ほかには?」
「ほか、ですか?」
ジュールスが眉根を寄せる。
シオンは口元をにやりと歪めた。
「ヒントは、来年、王立学院には、第一王女が入学する」
「な……っ」
ジュールスの目が大きく見開かれる。
「ま、まさか……王族との婚姻に名乗りを上げるために……?」
「正解」
シオンは満足げに笑みを深めた。
「今、アルトリアは王位継承権争いの真っ只中だ。保守派の第一王子、中道の第二王子、革新派の第一王女。アルトリア王は、未だ次代の王を指名していない。――そして、件の王女は、婚約者を決めかねている」
「それでは、膨大な資産を捨ててまで伯爵の地位を得て、学院へ入学するのは……」
「王女との恋愛ゲームも、なかなか楽しそうだろ?」
シオンは愉快げに笑う。
その細められた瞳の奥には、底知れない残虐さが確かに孕んでいた。
「――さあ、世界を変えるための第一歩だ。まずはアルトリアを乗っ取るぞ」
1章はとりあえずここで完結。
PV数少なすぎてげろ吐きそう。反応ゼロでげろ吐きそう。
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続きについては、やる気次第で更新します。
どうか。どうか皆さん、わたくしのやる気と承認欲求を満たしてください。
てか、褒めて。




