6-3 憤怒の炎
「憤怒の炎――焔斬り!」
エルラは瞬時に刀身へ炎を纏わせると、足元に力を込め、川へ落ちた三人に向けて烈火の斬撃を振り下ろす。
しかし、30m下の水面には届かない。炎は空中で虚しく霧散していった。
「――ファックッ!」
その怒声すら駆動音にかき消され、列車は鉄橋を駆け抜けていく。
もう、三人の姿はどこにも見えない。
エルラは刀を鞘に納め、背負ったクラブケースに戻す。
屋根の上からデッキへと飛び降りた。
列車は速度を少しも落とさぬまま、鉄路をひた走る。
このまま進めば、飛び降りた三人との距離は開く一方だ。
次に停車する駅まで、約40分。
これは列車を強制停止させ、引き返すしかない。
だが、それで今から追いつけるのか。
失敗――最悪の二文字が脳裏を過る。
ジュールスの「次はない」という冷徹な台詞が、頭の中で何度もリフレインする。
吐き気がして、両膝に手をつき、思わず蹲る。
そこで初めて、自分の両脚がガタガタと無様に震えていることに気づいた。
そんな、馬鹿な。……ありえない。
このあたしが恐怖している? そんなわけがない。あたしは何も恐れない。屈しない。
エルラは己の弱さを拒絶するように、拳で自分の太腿を激しく殴りつける。
震えるな、怖がるな、恐れるな。
そう言い聞かせるように、何度も、何度も太腿を殴りつける。
自分は、もう用済みとしてセラフィムに消されるのか。
結局、あたしは、何も成し遂げられぬまま、死ぬのか。
その根源的な恐怖がどうしても消えてくれない。
彼女が今まで積み上げてきたプライドは、内側から粉々に砕けていく。
抑えきれない暗い衝動を抱えたまま三号車に入り、自分の指定席に戻る。
過呼吸気味の荒い呼吸をなんとか抑えながら、椅子に腰を下ろす。
そこでようやく、ピピッ、ピピッ、という甲高い電子音が鳴っていることに気づいた。
何の音だ、と一瞬眉をひそめるが、任務前にジュールスに手渡された、小型の最新電話機の存在を思い出す。
クラブケースのポケットを探り、無線機に酷似した四角い機械を取り出す。
耳に当てながらアンテナを素早く伸ばした。
「……もしもし」
『状況はどうだ?』
ジュールスの声だった。
自分が失敗することなど疾うに予期していたのか、声は酷く冷めきっている。
「………………」
エルラは悔しさや恐怖に耐えるように唇を強く噛み締め、つい押し黙ってしまう。
その沈黙だけで全てを察したのか、電話の向こうで、『逃げられたのか』とジュールスは言った。
「……ああ」
エルラは声の震えを必死に抑えて答える。
失望の言葉や、死の宣告を覚悟した。
しかし、ジュールスの口調は拍子抜けするほど、あっさりしたものだった。
『そうか。まあ、想定内だ』
「……どういう意味だよ」
悔しさが溢れ、目頭が熱くなる。
「あたしには最初から期待してなかったって言いたいのか?」
『そうじゃない。相手が悪かっただけだ。……もう終わりだ』
「ふざけんな……ッ!」
エルラは怨嗟を絞り出すように声を低めた。
「まだ終わっていない……! 今から列車を止めて、引き返す! そんで、あの義手野郎をぶっ殺してやる!」
『その必要はない』
ジュールスはぴしゃりと言い放った。
冷酷な拒絶に、エルラの心臓が跳ねる。
「……なんだよ。……あたしはもう、用済みってか?」
『いや。テストは終わりだ。お前には、別の仕事をしてもらう』
テストという妙な言葉にエルラは一瞬首を傾げる。
だがそれ以上に、まだ自分にチャンスが残されている事実に深い安堵を覚えた。
「何をすればいいっ?」
エルラは飢えた獣のように前のめりになって訊ねる。
「誰を殺せばいい……っ⁉」
電話越しにジュールスは小さく笑った。
『その列車に、クロム家の執事長と秘書官長も乗ってるはずだ。そいつらを見つけ出して、殺せ』
「――わかった」
エルラは電話を切り、立ち上がった。




