閑話 犯行
――火曜日、19時40分。
第2部のショーが始まる前にキャバレーを出て、クロム家の邸宅へと帰ってきた。
アトラは車庫の隅に大型バイクを停めて、静かにエンジンを切る。
ひんやりとした空気が満ちるエントランスホールへ足を踏み入れると、ちょうど今から出かけようとしていたロイと鉢合わせた。
「あ、アトラ、おかえり」
「おう。……また呑みか? 毎晩よくやる」
「パトロールだよ」
そう言って、もっともらしく肩を竦めてみせるロイは、スニーカーにデニム、白シャツという公務とは程遠い随分とラフな恰好だった。
ロイはアトラよりも遥かに社交的で、邸宅の使用人や私兵たちともすぐに打ち解けていた。今では毎晩のように歓楽街へ繰り出しては、飽きもせずパブで女性を口説いている。
とはいえ、こいつは無駄に容姿が整っているくせに、狙った女性よりも、むさ苦しい男にばかり妙に慕われる性質のようだが。
パブで女性に下手なことを言って呆気なく振られては、同僚の兵士たちと傷を舐め合う。そんなロイの情けない姿が容易に想像できた。
もっとも、クロム家を乗っ取る計画を水面下で進めるアトラにとって、同居人のロイがこうして毎夜、都合よく部屋を空けてくれるのは、願ってもないことだった。
「ちょうどよかった。さっきまた、ロジャー様が書斎に呼んでたよ」
またかよ、とアトラは露骨に嫌そうな顔を作ってみせる。
「……今度は、何が壊れたって?」
「確か、ショルダーホンって言ってたかな」
「は? ショルダーホン? こないだ直したばっかだぞ。本当、あの人、機械好きのくせして、使い方が乱暴なんだよ。……ったく。これだから、金持ちは」
アトラは心底うんざりしたように、わざとらしく大きなため息をついてみせた。
――もちろん、すべては演技だ。
実際には、前回そのショルダーホンの修理を頼まれた際、ちょうど今日故障するように、内部に精密な細工を施しておいた。
世界一の機械技師を師に持つアトラにとって、壊れた機械を直すことなど造作もない。
そして同様に、外見には一切の痕跡を残さず、内部の基板だけを狙った時間に焼き切る。
そんな精密な細工すら、彼にとっては手慣れた仕事の一つに過ぎなかった。
ロイと別れて階段を上り、一度自室へと戻る。
クローゼットから工具箱を取り出す。
続けて、机の引き出しの奥から、一本の睡眠薬入りのスティックシュガーを抜き取った。何気ない手つきで右ポケットへと滑り込ませる。
錠剤の睡眠薬をプラスチックのカードで細かく刻み、砂糖と混ぜ合わせた特製品だ。
これを口にすれば、抗うことのできない睡魔に襲われ、そのまま意識を失うように深い眠りへと落ちる。一度眠りに就けば、強く揺り起こされない限り、朝まで絶対に目を覚まさない。
工具箱を脇に抱えて、アトラは部屋を出る。
ロジャーの待つ書斎へと向かった。
殺す準備は、随分と前からできていた。
◇◆◇◆◇
時刻は、20時40分。
アヤメ、グラント、レントの三人は、それぞれの部屋に籠っていることだろう。
定例会議の後、あの生真面目な連中が決まって膨大な書類仕事に追われるのはいつものことだった。
――だからこそ、犯行日を今夜に選んだのだが。
普段は人が近づかない重厚な書斎には、最近若者の間で流行しているロックバンドの曲が、少し大きめの音量で流れている。
アトラが以前、「クラシックもいいけど、ロックもいいですよ」とロジャーに薦めておいた曲だ。
レザーチェアに深く身を沈め、オットマンに足を投げ出して、ロジャーは高級ウイスキーを嗜んでいる。
「たまには、こういう大衆音楽を聴くのもいいな」
ロジャーは目を瞑り、指をパチンパチンと鳴らしては、小刻みにリズムを取っていた。
アトラはその背後で、ショルダーホンのネジをドライバーで締めている。
「でしょう?」
金具がカチリと噛み合う僅かな手ごたえを感じながら、アトラは言った。
「時には、新しいものに触れておかないと、感性が鈍っていきますよ」
「確かに、その通りだ。……それは女も同じだよな」
ロジャーは濁った目を薄く開け、にやりと下衆な笑みをその顔に浮かべた。
「たまには新しい若い女とヤらないと、あそこの反応が鈍っていきやがる」
「あの愛人とは、上手くいっていないんですか?」
「おいおい、愛人とかはっきり言うなよ、お前は」
ロジャーは、アトラの明け透けな物言いを本気で咎めるでもなく、愉快そうに笑う。
「私は、新しいモノが好きなんだよ。機械でも、女でもな」
「へえ。ロジャー様らしいですね」
アトラは完璧な笑みを崩さないまま、最後のネジを締め上げる。
そして、手元の工具を静かに工具箱へと収めた。
「――直りましたよ」
「おっ。早いな。さすがは一流技師だ」
ロジャーはオットマンから足を下ろし、機嫌よくアトラの前まで歩いてくる。
デスクに置かれたショルダーホンを持ち上げ、顔を顰めながら自身の肩に担いだ。
「……しかし、この重さ、どうにかならないか。持ち運ぶだけで肩が凝って仕方ない」
「それなら、最近が、カミノから盗んだ技術を用いて、携帯電話というものを開発したらしいですよ。それはショルダーホンの十分の一の重さだとか」
「なんだよそれ、最高じゃないか。欲しいな。どうにかして、手に入らないか?」
「あと、半年もすれば、きっとこの国にも流れてきますよ」
ロジャーはショルダーホンを机の上に放り出すと、次は何を呑もうかとキャビネットに並んだ酒瓶を吟味し始める。
そういえば、と背後にいるアトラに話しかけた。
「今日非番だったんだろ? どこに行ってたんだ?」
「あのキャバレーに。一部のショーだけを観て、帰ってきましたけど」
「なんでだよ、私のVIP席を使ったんだろう? 女の一人もひっかけて来なかったのか?」
アトラは首を横に振る。
「あいにく、そういう目的で行ったわけじゃありませんから」
「なんだよそれ。情けないな」
ロジャーはからかうように笑った。
「それとも、なんだ。どこぞの女に、律儀に操でも立てているのか?」
「……ええ、そうですね」
アトラは目を伏せる。
「……そうかもしれません」
左手で、金属の義手に触れる。
気づけば、ぎりぎりと軋むほど強く押さえつけていた。
「なんだよ、そうかもしれませんって、随分と曖昧だな。もしかして、その女とは、別れたのか?」
「……さあ、どうでしょうね」
無くなったはずの右腕が酷く痛む。
脳髄を焼き切らんばかりの幻痛に耐えながら、アトラはゆっくりと顔を上げ、満面の笑みを作ってみせた。
「でも、いつかまたきっと会えますから」
ロジャーは一瞬だけ振り返り、なんだよそれと苦笑し、肩を竦めた。
「たまには、ウイスキーじゃなくて、神埜酒でも呑むかな」
やっと次の一杯が決まったらしく、ロジャーはキャビネットの奥から、神埜酒のボトルを取り出す。
「そうだ。修理の報酬は何がいい? お前が望むなら、警備隊長の座でもいいぞ」
グラスに氷を放り込みながら、ロジャーが冗談めかして言う。
「勘弁してくださいよ。これ以上、警備隊長に恨まれたくないっての」
アトラはげんなりした顔で席を立った。
「報酬をいただけるのなら、俺にもその酒、一杯作ってくれませんか?」
「なんだ」
ロジャーは意外そうに振り返る。
「酒は呑まないんじゃなかったのか?」
「たまには挑戦してみようかと思いまして」
「感性が腐らないようにか? まあ、酒を呑んだら、脳みそが腐るがな」
上手いことを言ったと自画自賛するように、ロジャーは豪快に声を上げて笑った。
「そういえば、お前も半分は、カミノの血が入っているんだったな」
「はい」
「きっとそれなら、この酒を気に入るだろうよ。故郷の水は身体に合うって言うからな」
そう言って、ロジャーは棚からもう一つ、アトラの分のグラスを取り出す。
そして、ロックミュージックに合わせて、ご機嫌に鼻歌を歌いながら氷を砕き始める。
その背後で、アトラは壁に飾られた古風な短剣に目を向け、手に取った。
「何度見ても、この短剣いいですよね。趣がある」
本心であるはずがなかった。
が、ロジャーは、そうだろうと嬉しそうに声を弾ませる。
「親父の形見なんだよ。カミノ戦争にも一応、御守りとして持って行ったんだが……まさか、本当に命を救われることになるとはな」
「四人、殺したんでしたっけ?」
そうだ、とロジャーは得意げに頷く。
「銃も弾切れになり、カミノの敗残兵共に囲まれて窮地に陥ったところを、この短剣を引き抜いて、片っ端から首を掻っ切ってやったんだ。……あれほど興奮した日は、私の人生において、もう二度と訪れないだろうな」
「確かに――もう二度と訪れることはないでしょうね」
オーディオから流れる曲が変わる。
アトラは静かに歩み寄り、オーディオのつまみをゆっくりと回す。
音量が段々と上がっていく。
激しいロックの重低音が部屋に響き渡り、あらゆる音を掻き消していく。
壁から外した短剣を握り締め、足音を立てずにロジャーの背後へと肉薄する。
狙うは、首の付け根――延髄。
アトラは流れるような動作で、ロジャーの背後から短剣を深く突き刺した。
「――――ッ⁉」
ロジャーの身体がびくりと跳ねる。
そして、最期の言葉を紡ぐことなく、ドサリ、と派手に崩れ落ちる。
絨毯の上へ、じわじわとどす黒い血だまりが広がり、亡骸がそこに沈んでいく。
「……安心しな。クロム家は俺が発展させてやるから」
アトラはオーディオの電源を落とす。
部屋は突然、静寂を取り戻した。工具箱に血塗られた短剣を収める。
そのまま何事もなかったように書斎を後にする。
計画は、極めて順調だった。――今はまだ。




