1-2 男のロマンってやつ
「うーん。心を開かない子供の接し方かあ。そういう難しいのは、師匠に聞けよ」
横の兄弟子は眉をひそめた。
ムリムリ、と俺は即座に首を振る。
「あの人は世界一の頭脳を持っているかもしれないけど、人の心については、世界で一番分かってないから」
「確かにな」と兄弟子は破顔する。
最近二人目の子供が生まれ、三十五歳になったばかりの兄弟子は、笑うと目尻に皺ができた。
「兄弟子、娘も息子もいるだろ。子育ての先輩として、なんかいいアドバイスくれよ」
「そう言われてもなあ」
難しい顔をした兄弟子は、奥さん手製の大きなおにぎりを口いっぱいに頬張る。
それを呑み込み切ってもいないうちに、煙草を咥え、火をつけた。
いつも思うが、おにぎりと煙草の食い合わせはどうかと思う。
――騒がしい孤児院での朝食から六時間後。
サイハテ村の端に佇む、村唯一の工房《アイザワ工房》。
その屋外にある煤と油の匂いが漂う休憩所で、俺は兄弟子と並んで弁当を広げていた。
アイザワ工房の主である師匠は、かつてカミノの王室工房の頂点に君臨していた天才だ。その頭脳と技術は世界一と言っていい。
しかし、あまりに時代を先取りしすぎた思想ゆえに、異端の烙印を押され、首都からこの最果ての地へと追放された。
俺がここで叩き込まれているのは、一般的な機械の設計や爆薬の調合、薬学だけではない。
人体を鋼で補い作り替える『サイボーグ技術』や、世界の理を書き換える『刻印式』といった、国家が禁じた裏の技術のすべてが、俺の肉体と頭脳に刻み込まれている。
「まあ、放っとくのもいいんじゃないか」
おにぎりを平らげ、一服してから兄弟子が言った。
「えー、放っておくの?」
「時間が解決してくれることもあるさ。まずはその子が、新しい環境に慣れるまで見守ってやればいい」
「うーん」
新しい環境に慣れるまでかぁ。
いつかナナが、俺たちの孤児院を自分の家だと思ってくれる日は来るのだろうか。
そこまで考えて、思考がふと、自分自身の過去へと滑り落ちていく。
俺は無意識に前髪をかき上げ、光を失った左目のあたりにそっと触れた。
首都トキオから、このサイハテ村へ流されてきたあの頃の記憶が、濁流のように蘇る。
母上の公務に付き添い、首都の孤児院を慰問していたあの日。グラキエ人の武装勢力の襲撃によって、平和は一瞬にして血に染まった。
大好きだった母上は目の前で容赦なく殺され、俺は左目を無慈悲に抉り潰された。
そして、そんな地獄の果てに待っていたのは、温かな同情ではなく、療養という名の厄介払いだった。
そういえば、俺もサイハテ村に来た当初は、誰のことも拒絶して、完全に心を閉ざしていたっけ。
誰とも口を利かなかった。何を見ても腹が立った。
誰かが親切にしてくるたびに、余計に腹が立った。
世界中のすべてを憎み、すべてを壊してしまいたかった。
――けれど、ある時。
一人の女の子が、俺にポップコーンをくれた。
「あんた、バカじゃないの?」
「……は?」
いきなりの暴言だった。
つんとした目つきの、とても綺麗な女の子だった。
「あんたさ、自分が世界で一番不幸だと思ってるでしょ」
肩まで綺麗に切り揃えられた黒髪に、ぱっつんの前髪。
意志の強そうな切れ長の目が、真っすぐに俺を射抜いている。
「何も食べず、口も開かず、俺に構うなってオーラだけ振り撒いて。悲劇のヒロインでもやってるつもり?」
「……何なんだよ、お前」
「べつに、不幸なのはあんただけじゃないよ。不幸は誰にでも平等に降り注ぐ」
女の子はそう言って、紙袋に詰まったポップコーンを差し出してきた。
「ほら、あげる。食べなさい」
「いらねえよ」
拒絶のままに、俺はその手を強く振り払う。
すぐに、あっ、と思った。もしかしたら、声に出たかもしれない。
気づいたときには、紙袋は弾けて、ポップコーンが床一面に散らばっていた。
「…………」
女の子は何も言わなかった。
罵声を浴びせられる覚悟をした俺を置き去りにして、彼女は静かに膝をつき、床に落ちたポップコーンを拾い上げる。
ひとつ、またひとつ。
俺はただ、じっとその背中を眺めていることしかできない。
すべてを拾い終わると、女の子がすっと立ち上がる。こちらを向く。
――次の瞬間、視界が反転し、俺は床に押し倒されていた。
「おいっ、何すんだよっ!」
「食べな」
俺の腹に問答無用で馬乗りになった女の子が、拾い集めたポップコーンを口の中に無理やり押し込んでくる。
「甘いでしょ?」
「……ごっほ、ごっほ。……は?」
何のつもりだ――と言いかけて、反射的に奥歯でポップコーンを噛み締めた。
キャラメル味のポップコーンだった。
甘い。
甘いけど、どこかしょっぱい。
「不幸はね、ポップコーンみたいに家族で分け合うの」
女の子が、ふと柔らかく笑った。
気づけば、俺は細い腕に強く抱きしめられている。鼻の奥が、つーんとして熱くなる。
「分け合った不幸は、形を変えて、いつかは幸せになる。あんたの不幸、少しだけなら、私がもらってあげるよ」
「……え?」
俺は涙を拭って、顔を上げる。
「今日からあんたも、私たちの家族だよ」
その時、初めて知った。
つんとした美人が笑うと、胸の奥が少しだけ軽くなることを。
世界が一瞬にして、鮮やかに色づくことを。
兄弟子は二本目の煙草に火をつける。
「それだけ真剣に考えてんだ。お前の気持ちは、その子にもちゃんと伝わるだろうよ」
紫煙の向こうでそう言った兄弟子の目尻には、深い皺が刻まれていた。
その優しげな眼差しが、どこか誇らしげに俺を捉えている。
「アシュラ、お前、いくつになった?」
「15」
「ライカちゃんも同い年だっけ?」
「うん」
「すげえよ、お前ら」兄弟子は感心したように言う。「その年で、しっかり親やってんだからな」
「いや……」
そう言われても、素直に誇らしい気分にはなれない。
俺はライカほど強くはないし、あいつほど大人になれてもいない。
「本当に凄いのは、ライカだけだよ」
あの時、ポップコーンを口にねじ込まれた暴挙は、今でも思い出すとクスッと笑える。
やっぱりあいつ、横暴がすぎるだろう、と。
でも、その思い出はいつも、俺の胸を少しだけ軽くしてくれた。
「ああ、そうだそうだ」
兄弟子がふと思い出したように声を上げる。
「ちょっと待ってろ」と言って席を立つなり工房へ戻り、すぐに一台のサイボーグ義手を抱えて戻ってきた。俺が試作したものだ。
「お前が作った義手、ちょっといじらせてもらったぞ」
「……なんか、やたらとごつくなってない?」
よく見れば、俺の設計よりも、遥かに無骨で凶悪な造りに変貌している。
「指で銃の形を作ってみな」
「こう?」
言われた通りに、義手の指で銃の形を作る。
「おい、こっちには向けんな! あぶねえだろ!」
「はあ? なんだよ、危ないって」
あまりにも本気で慌てるものだから、俺は義手の指先を脇へと向けた。
「その状態で、中指を弾いてみな」にやりと悪ガキのように笑う兄弟子。
まさかな、と思いながら義手の中指を弾いてみる。
――ズドンッ! と凄まじい発砲音が響き、硝煙の匂いが鼻腔を掠める。
突然の反動に、危うく自分の顔に義手をぶつけそうになる。
「……おい」
「まあ、待て。これだけじゃないぜ!」
俺が苦情を言う前に、兄弟子は誇らしげに胸を張り、続ける。
「手刀を作って振り下ろせば剣が出るし、手のひらを広げて肘を二回叩けば、変形してガトリング砲になる! 行く行くは、音声認識にするつもりだ!」
義手の内部を覗いてみれば、刻印式がびっしりと刻み込まれている。
「……こんな物騒なもの仕込んでいつ使うんだよ。こんな平和ボケした国でさ」
呆れながら言うと、兄弟子は俺以上に呆れた様子で、わざとらしくため息をつく。
「お前にはロマンがない」
「……なんだよ、ロマンって」
「サイボーグ義手って言ったら、普通は武器を仕込むだろうが! 剣に銃、チェーンソーにガトリング! それが男のロマンってもんだろ!」
「……男のロマンねえ」俺は腕を組み、真面目に考えてみる。
「じゃあさ、好きな女の子にメイド服を着せたいってのも、男のロマン?」
「それはただの性癖だ」
「そっか」
なるほど、それはただの性癖なのか。
改造、いや改悪されたサイボーグ義手を兄弟子に返す。これはもう俺の作品ではない。
義手を受け取った兄弟子は、指の駆動をチェックしながら、ふと真面目な声音を落とした。
「でも、本当この義手はよくできてるよ。骨組みが丈夫だし、何より神経との同調が自然で使いやすい。たとえ、腕を切り落とされたとしても、これがあれば何不自由なく生活できるだろうな」
「腕を切り落とされたくはないけどね」
「アシュラ。お前は間違いなく、天才だよ」
「……なんだよ、急に。……気持ち悪いな」
「いいじゃねえか。兄弟子として誇らしいんだよ。たまには素直に褒めさせろ」
そう言って、兄弟子は俺の頭を犬のようにわしゃわしゃと撫で回す。
完全に子ども扱いされている気分になって、俺はその手を力任せに振り払った。
「……べつに、俺の力だけじゃないし。……師匠が開発したサイボーグ義眼の技術を応用しただけだよ」
「お、照れてやんの。可愛いな、お前」
「うるせえ。ガキ扱いすんじゃねえ」
そこで、なんだかデジャブを感じて、俺は思わず笑ってしまった。




