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クラウンオブミセラ  作者: タクマ・オレンジ
1章 笑うギャング、破滅するポップコーン
16/30

4-1 ホールド・ザ・シュガー

 ロイとアトラが、クロム子爵家で働き始めて、早くも1か月が経った。


 当初は、外部の人間がアヤメの専属護衛に就いたことに、露骨な不満や疑惑の目を向ける者も多かった。

 

 だが、二人が日々の仕事で確かな実力を示し、毎日のように顔を合わせるうちに、使用人や私兵たちの頑なだった態度も徐々に軟化していった。


 特にロイの人当たりの良さは抜群で、今ではほぼ毎晩のように、同僚の私兵たちと街へ酒を呑みに繰り出すほど良好な関係を築き上げている。

 

 もっとも――当主であるロジャーや、秘書官長、警備隊長、執事長といった面々は別だ。一介の護衛であるロイが、対等に意見を述べられる相手ではない。


 だからこの会議でも、ロイは主人であるアヤメの背後で、口を閉ざして控えていた。


「ロジャー様! 何度も言いますが、ガチャ伯爵との鉱山の共同管理には反対です!」


 秘書官長のレントが、怒りを露わにしながら机に両手をつき、勢いよく立ち上がった。


 場所は、クロム邸の奥に位置する、厳重な防音が施された会議室。

 そこで今、クロム家の主要な人物たちが一堂に会し、領地が抱える様々な問題について、熱い議論を交わしている。


 上座には、領主であるロジャー・クロムが腰を下ろし、その傍らには、秘書官長レントと、未だ右太腿に包帯を巻いている警備隊長グラントが座る。


 少し離れた席には、静かに議論の行方を見守る執事長パーカーと、子爵令嬢のアヤメ。そして、その後ろの壁際で、本日の護衛役であるロイが、背筋を伸ばして静かに控えていた。


 なぜだ、と不機嫌そうにロジャーが口を開いた。


「我がクロム家は長年、隣領のガチャ伯爵家と、ダイヤモンド鉱山の採掘権を巡って不毛な争いを続けてきた。いい加減、私たちの代で綺麗さっぱり決着をつけるべきではないか。共同管理になれば、これ以上の余計な摩擦も消える」


「だからといって、なぜこちらが一方的に譲歩する必要があるのですか!」


 レントはなおも立ち上がったまま、語気を一段と強める。


「確かに、ダイヤモンドの採掘量自体は年々減少傾向にあります。――ですが、鉱業は今なお、このクロム領を支える主要産業です! もし共同管理などという甘い体制に移行すれば、ガチャ伯爵の利権に押しつぶされ、領内から多くの失業者が出るのは、目に見えているではありませんか!」


 クロム子爵家と、隣領のガチャ伯爵家は、何十年にもわたって対立を続けてきた。

 その一番大きな要因となっているのが、このダイヤモンド鉱山である。


 今から30年前には武力衝突にまで発展し、両家が属する派閥の長――中央の権力者である『ランスロ公爵家』が直接仲裁に乗り出したほどである。


 それ以来、ランスロ公爵の配慮もあってか、ガチャ伯爵側からの表立った介入や挑発は鳴りを潜めていたのだが、半年前、ガチャ伯爵家で突如として起きた当主交代によって、状況は一変した。


 新当主となった若きガチャ伯爵の就任以降、クロム領内での執拗な嫌がらせや挑発行為が相次ぎ、領民や鉱山労働者が不審な死を遂げた例も、すでに1件や2件ではない。


 長年燻り続けていた両家の歪な関係は、今、再び最悪の形で一触即発の状況へと突入しようとしていた。


「ならば、ガチャ伯爵と再び血みどろの戦争でもやるか?」


 ロジャーがレントを睨みつけ、地を這うような低い声で言った。


「再び戦争にでもなってみろ。ただでさえ斜陽の我がクロム領が、どれだけ致命的に疲弊することか。

失業者が出る程度では済まんぞ。

 いいか、かつて仲裁をしてくれたランスロ公爵は今、中央での『王位継承争い』の渦中にある。こちらを顧みる余裕などない。仲裁も期待できんのだ。何としてでも、シオンが当主になる前に、この面倒な鉱山問題には終止符を打たなければならないんだよ!」


「……それは勿論わかっています」


 レントも決して引き下がらなかった。


「ですが、共同管理以外にも何か手はあるはずです! それを考えるための会議でしょう!」


「ありもしない答えを探したところで、何の意味もないではないか。――それに」


 ロジャーの濁った視線が一瞬、会議室の末席に静かに座るアヤメへと向けられた。


「アヤメという、せっかくの婚姻のカードも、もう使えなくなったのだろう?」


「……実の娘を、都合のいい政治の駒扱いするなんて、ずいぶんですね。お父様」


 アヤメは表情を一切変えず、冷ややかな声音で言った。


「口を挟むな」


 ロジャーは不機嫌になり、実の娘を睨みつける。


「お前には発言を許していない。黙っているというから、この場への同席を認めてやったのを忘れたのか?」


「申し訳ありません。てっきり発言を求められているものかと」


「その勝手な判断が、事態を悪化させていると、まだ理解できんのか!」


 ロジャーはついに怒りに耐えかね、机を強く叩いた。


「私に一切無断で、ガチャ伯爵との密会など取り付けおって! だから、セラフィムに殺されかけるような事態になるのだ!」


「許可を取ろうにも、お父様は愛人との逢瀬で忙しそうでしたので」


 クロム子爵家と、ガチャ伯爵家が数十年にわたって対立しているように、この親子の関係もまた、完全に修復不可能なほどに冷え切っていた。


 ――アヤメは幼い頃から、実の母親にだけ深く懐いていた。


 母はいつも優しくて、聡明で、そして誰よりも美しい人だった。

 濡羽色の長い髪は勿論のこと、アヤメが持つ気品や美貌も、すべては母の血を色濃く受け継いだものだ。


 幼いアヤメが特に好きだったのは、夜、ベッドの傍らで母が静かに語ってくれる、彼女の遥かなる故郷の話だった。

 

 春には薄紅色の桜が狂おしいほどに咲き乱れ、夏には無数の星々が夜空を渡る。

 秋には幻想的な雲海に包まれカミノ城が天空に浮かび、冬には静謐な湖畔と荘厳な霊峰が美しい白銀に染まる。

 

 母はいつも、遠い空へ焦がれるような哀愁を瞳に宿しながら、その夢のように美しい景色のことを愛おしそうに教えてくれた。

 

 だからこそ、病床で日に日に衰弱していく母を見捨て、外で愛人を囲い続ける父親のことを、アヤメは子供心に決して好きになれなかった。


 そして、母が静かに息を引き取った日、その溝は決定的な断絶へと至る。

 

 父は涙ひとつ流さず、あろうことか葬儀の場にその愛人を伴って現れたのだ。


 許せなかった。


 愛人を母の傍へ近づけたくなかった。もう何も言えない母の代わりに、思いつく限りの罵声を浴びせてやりたかった。


 父が世間体を取り繕うためにこれ見よがしに手向けた豪華な献花は、葬儀の夜、裏庭で全て灰になるまで焼き捨てた。

 

 さらに、その感情を憎悪へと変貌させたのが、カミノ戦争だった。


 アヤメは、三大国がもっともらしく掲げる大義名分を鵜呑みにするほど愚かではなかった。

 あの戦争が、利権と権力のために仕掛けられた残酷極まりない侵略であることは、明白だったからだ。


 だが、彼女が何度諫めても、父は鼻で笑うばかりで耳を貸そうとはしなかった。


 それどころか、戦争から凱旋してきた父は、母が何より愛し、アヤメが憧れ続けたあの美しい故郷を、自らの手で灰燼に帰したことを武勇伝として語るようになったのだ。


 今も父は、書斎に飾られている自慢の短剣を持ち出しては、「この短剣でカミノ人の敗残兵を四人も殺した」と下卑た顔で誇らしげに笑う。

 

 刃についた微かな傷さえも、まるで栄光の勲章であるかのように愛でる姿に、アヤメは心の底から激しい吐き気を覚えた。


 軽蔑は嫌悪となり、嫌悪は今や憎悪へと変わっていた。



「よろしいですか」


 ここで、それまで沈黙を守っていた警備隊長のグラントが手を挙げた。


「なんでしょう? グラント殿?」


「鉱山問題はすぐ結論の出る話ではありません。先に領内の治安の件を議論すべきかと。ガチャ伯爵が、犯罪組織セラフィムを抱え込んだ以上、こちらの方が喫緊の問題です」


「セラフィムが関わってくるとなれば、王家の軍が動いてくれるのでは?」


 そう疑問を口にしたのは、古参の執事長パーカーだ。

 

 だが、それは難しいだろう、とグラントが苦々しくかぶりを振った。


「ガチャ伯爵とセラフィムが繋がっているという確固たる証拠がない限り、王家は腰を上げません。そして、あの用意周到なセラフィムが、その証拠を残すとはとても思えない」


「何をそんなに心配する必要がある。王家などハナから必要ないだろう」


 ロジャーが片眉を吊り上げながら言い切った。


「セラフィムについてなら、何も問題ないだろう。我が家にはアトラがいるではないか。あいつは、前回の襲撃で、セラフィムの権能持ちを一人で退けたのだろう? アトラに任せておけば、すべて安泰ではないか」


「――ロジャー様、お言葉ですが考えが甘すぎます!」


 グラントが弾かれたように身を乗り出し、強く反論した。顔は怒りで引き攣っている。


「あの小僧がセラフィムを退けたことは、ただの偶然に過ぎません! あのような素性の知れない男を、決して信用してはいけない!」


「なんだ、グラント。やけに突っかかるではないか」


「当然です!」

 

 グラントは声を張り上げる。


「私は……あの男が、他国の工作員ではないかと疑っています! いくら奴の素性を調べさせても、過去の経歴が全く出てこない。どう考えても不自然極まりないでしょう! 

 ――それにあの男の、常に人を食ったような軽薄な態度! お嬢様の護衛として、相応しいとは到底思えません!」


「はははっ、何を馬鹿なことを言っている。あんな堂々としたスパイがいるものか」

 

 ロジャーは愉快そうに肩を揺らして笑い飛ばし、「おい」とアヤメに声をかける。


「お前も、アトラのことは気に入っているのだろう?」


 この不意の問いかけには、アヤメも、「そうですね」と素直に頷いてみせた。


「アトラくんはとても有能です。礼儀についても、私はこの一か月間、一度として不快に思ったことはありません」


「なら、よいではないか。私も、あいつは有能だと思うぞ。機械の知識は私以上だしな」


 そう語るロジャーの顔は、とても満足げだった。

 

 意外なことに、アトラは領主であるロジャーにずいぶんと気に入られていた。

 

 ロジャーは筋金入りの機械マニアで、彼の広大な書斎には、一般市民ではお目にかかれないような世界最先端の精密機械が所狭しと並んでいる。

 最高級のオーディオシステム、高額なショルダーホン、最新型のパソコン、二十九インチの大型テレビ、最新規格のレーザーディスクプレーヤー等、どれも高価な品ばかりだ。


 そして元機械技師であるアトラは、こうした精密機器の扱いに異様なほど長けていた。少しくらいの故障や不具合なら、その場で簡単に直してしまう。


 そのおかげで、ロジャーにはすっかり重宝され、今では頻繁に彼の書斎に呼ばれるようになっていた。



 まあ安心しろ、とロジャーは必死の形相のグラントに意地悪く笑いかけた。


「いくらアトラが有能といっても、経験では中尉だったお前には敵わんさ。たとえ、手合わせで少しばかり後れを取ったとしても、警備隊長の座を奪うつもりはない」


「私は……ッ、後れなど取っていません!」


「よく言う。あの後、一週間もベッドから動けなかった男の台詞とは思えんな」


「お二人とも、おやめください!」


 醜い言い争いに発展する前に、レントが無理やり二人の間に割って入った。


「水掛け論など時間の無駄です。グラント殿も、私情を挟まないように。……議論に戻りましょう」


 レントの冷ややかな一言で、会議室は再び元の張り詰めた空気に包まれた。


 そこから再び、淡々とした、だが互いの思惑が交錯する議論が延々と続けられた。



◇◆◇◆◇



 結局、すべての議論が終わった頃には、窓の外はすっかり帳が下り、濃い夜の闇に包まれていた。


 当主であるロジャーが重い腰を上げて席を立つ。


 彼に続くようにしてレントやグラントたちも早足に部屋を後にしていったが、ロジャーは会議室の扉を出て行く直前に、ふと足を止め、壁際に控えていたロイへと声をかけた。


「調子はどうだ? ここでの暮らしには、もう慣れたか?」


 はい、と応えるロイは、背筋を正したまま、穏やかな笑みを返す。


「おかげさまで、何不自由なく快適にやらせていただいております」


「それならよかった。……時に、今日アトラはどこに? 奴は、屋敷にいるのか?」


「いえ。アトラは本日、非番をいただいておりますので、おそらく今頃は、街へ羽を伸ばしに出ているかと」


「なんだ、そうか」


 ロジャーはあからさまに肩を落とした。


「何か、アトラに御用でもございましたか?」


「いや、こないだ修理してもらったばっかりなんだが……どうもまた、ショルダーホンの調子が悪くてな」


 ロジャーは肩を竦める。


「――悪いが、アトラが街から戻ってきたら、私の書斎まで顔を出すよう伝えておいてくれないか」


「かしこまりました」


「では、頼んだぞ」


 そう気安く言い残すと、ロジャーはロイの肩を親しげに軽く叩き、満足げな足取りで会議室を出ていく。


「まったく。お父様は、私の大事な護衛を、都合のいい便利屋か何かと勘違いしていませんか?」


 ロジャーと入れ違うようにして、不満げに眉をひそめたアヤメが近づいてきた。


 そうかもしれませんね、とロイは困ったように肩を竦めて、苦笑する。


「ですが、アトラの技師としての腕は本物ですからね。ロジャー様が頼りたくなるのも無理はありませんよ。おそらくクロム領のどこを探しても、あいつ以上の機械技師はいないでしょうから」


「うーん。それほどの腕があるのなら、王都で働いた方が、よっぽど彼のためになりそうですけど」


「本人は、もう機械技師を本職として働くつもりはないそうですよ」


「……そうなんですか」


 そうぽつりと呟いて、アヤメは少しだけ残念そうに目を伏せた。


「護衛としての役目だけではなく、カミノ語まで親切に教えていただいている私としては、本当にありがたいんですけれど。……なんだか、それは、アトラくんにとって少し勿体ない気もしますね」


「ええ。ですが結局のところ、アトラの人生ですから」


「……あ、そうですよね。ごめんなさい」


 アヤメは自身の思慮の浅さを反省するように、握った拳でコツンと頭を叩いてみせる。


「……私が無責任に口を出すことでは、ありませんでしたね」


 そのどこか子供っぽく愛らしい仕草に、ロイはクスッと小さく笑った。


「もうすっかり弟扱いですね、アトラも」


「ふふっ。なぜかアトラくんのこと、どうしても放っておけなくて」


「ええ、よくわかりますよ」


 二人はパーカーに会議室の施錠を任せると、並んで静かな廊下を歩き始める。


「今日はこのあと、外出する予定もありませんし、私は自室で議事録をまとめるだけですので、ロイさん、貴方ももう休んでいただいて構いませんよ」


「かしこまりました。それでは、お言葉に甘えて」


「今日も一日ありがとうございました。今晩もこれから、街へ行かれるんですか?」


「ええ、大事なルーティンですからね。夜の街を中心に、しっかり見回りに励んできます。やっぱり、美しい女性の平和を守るのが、僕の使命ですから」


 白い歯を見せ、ロイは答える。

 呆れたように小さくため息をついたアヤメは、じとっとした冷ややかな視線を、軽薄な護衛に向けた。


「では、その見回り中は、決して女性に声をかけたりしないでくださいね」


「おっと。それは無理な相談です。僕は一匹のミツバチ。女性という美しい蜜を常に吸い続けていなければ、あっという間に餓死してしまう」


「……まったく意味はわかりませんけど。あまり羽目を外さないようにしてくださいね」


「安心してください。僕はこれでも真の紳士ですからね。毒針をむやみやたらに振り回すような野蛮な真似はいたしませんよ」


 それでは、とロイは軽く頭を下げ、呆れ顔のアヤメと別れた。

 

 壁掛け時計へ目を向ける。時刻は、19時になろうとしていた。


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