第6話 【悲報】イーエン家の番猫が旦那様を襲撃しました
「ヴァン様。旦那様にあまり意地悪をしないでくださいまし」
「へいへい、悪うござんした」
たまらずヴァン様をたしなめるが、彼の謝罪にはまったく心がこもっていなかった。子猫の捜索にノクト様も加わり、三人で街の人々に尋ね回っても誰一人として猫の行方を知る者はいない。
「俺もぼちぼち探すから、見つけたら保護してやってくれよ」
結局、子猫を見つけられないまま解散する運びとなった。屋敷へと戻る道すがらでも、つい探してしまう。
「帰ったぞ〜」
「お帰りなさいませ、旦那様」
屋敷へ着くと、庭先にいらしたアドリ様が出迎えてくださる。いつもは挨拶を交わして通り過ぎるだけなのだが、今日ばかりはそうもいかなかった。
「アドリ様、お召し物が……」
「ほっほ、バレてしまいましたか。実は先ほどまで、赤いリボンがお似合いのご婦人と逢瀬を重ねておりましてな」
アドリ様の衣服は土ではなく、動物の毛にまみれていた。黒い毛に赤いリボン──となれば、ご婦人の正体は明白だ。ノクト様も察したのか、すぐに問いかけた。
「で、その猫はどこにいるんだ?」
「菜園の方へいきましたぞ」
アドリ様の言葉を頼りに、私たち二人はその場所へと向かった。菜園の端、茂みの奥から子猫特有の細い鳴き声が聞こえてくる。
上から覗き込んで怯えさせてはいけないと、ノクト様は地面に這いつくばって子猫の姿を確認していた。
「いた!」
主が手を伸ばそうとすると、消え入りそうなほど小さいシャーという威嚇の声が返ってくる。無理に捕まえようとして逃げられては元も子もない。
「すっごく警戒されてる……」
しょんぼりするノクト様と交代して茂みを覗き込むと、隙間から赤いリボンが見え隠れしていた。震える子猫へとゆっくり手を差し出す。触れる直前、「怖くないですよ」と声をかけて。
人の言葉が通じるとは思わない。けれど、気持ちなら伝わるはずだ。もう独りではないということ。あなたを大切にしたいということが。
そっと子猫を両手で包み込む。暴れることも引っ掻くこともなかった。ただ大人しく、手の中でミャと鳴いていた。
「おお、さすがだな! レティ」
「旦那様と同じことをしたまでです」
「俺ぇ?」
彼は与えたものを覚えていないのだ。ノクト様にとってはなんでもないことでも、私は絶対に拾ってくれた恩を忘れない。自分がもらった優しさをこの子にも分けてやりたかった。
子猫のくりくりとした瞳が、ゆっくりと瞬きを繰り返している。
「いま綺麗にしてあげますからね」
まずは子猫をお風呂に入れることにした。土と泥と埃にまみれた体のまま、屋敷の中を走らせるわけにはいかない。
水に濡れた子猫は小さい体がさらに小さくなった。まるで別の生き物みたいに。水を苦手とする生き物のはずだが、子猫は驚くほど大人しくしていた。延々と鳴き続けていたけれど。
広間のソファの上に座らせて、弱めた生活魔法の温風を当ててやる。すっかり乾くと、ふわふわの毛並みが蘇った。ぬいぐるみがそこに鎮座しているのかと錯覚する。抱きしめるとほのかに石鹸の香りが漂ってきた。
「あら。寝てしまいました……」
はじめてのお風呂と鳴き疲れたせいだろう。子猫はそのまま眠りに落ちてしまった。
私の膝の上でくるりと丸まり、完全な球体になっている。起こさぬように両手で抱え、毛布の上に移動させても、すぐに目を覚まして膝へと登り直してしまう。そして再び体を丸め、すやすやと眠ってしまうのだ。
か、可愛い、ずっとお世話をしてあげたい。あるはずのない母性が芽生えそうだった。
「旦那様、どちらに?」
「ちょっと待ってろ」
猫を眺めていたノクト様が唐突に立ち上がり、足早に屋敷を出ていってしまった。追いかけたい気持ちはあったものの、膝の上には尊い重みがある。立ち上がるわけにいかなかった。
しばらくして、アドリ様も屋敷に戻ってこられた。庭仕事を終えたらしい。彼は猫と私を交互に見つめ、無言で子猫の上に手触りのいいハンカチを乗せる。なんて贅沢な睡眠環境だろう。
「お前がこの家に来た、あの雪の日を思い出しますな」
「この子も月に導かれたんです」
夕食の準備のためキッチンへ向かわれたアドリ様と入れ替わるようにノクト様が帰ってこられた。両肩からも両手からも溢れんばかりの大きな買い物袋を提げていた。ドサドサと重たげな音を立てながら、荷物を床へ放り出す。
「それは一体」
「とりあえず勧められたもの全部買ってきた」
ノクト様は買ってきた品々の良さを一つひとつ熱心に語りながら、袋から取り出していく。そこには猫の餌やおもちゃはもちろん、猫用のベッド、食器類、猫砂からキャリーケースに至るまで全てが揃っていた。同じ品でも色違いまで用意されている。
「ヴァンにも報告しといたぞ。そいつは俺の屋敷で面倒見るって」
さも当然だと言わんばかりに、この子を飼う流れだ。特別、彼は動物がお好きというわけでもないのに。
「どうして」
「ん? レティ、飼いたいんだろう?」
きょとんとされているが、その顔をしたいのはこちらの方だ。本当にこの人にはかなわない。言葉にしていないのに、いとも簡単に人の望みを叶えてしまわれるのだから。
出会った日から変わらない。私はこの人にずっと救われ続けている。一生をかけても、受けたご恩を返せる気がしない。
「やはり旦那様は世界で一番……素敵なお方です」
「急になんだよ〜! まあ、当然だけどな!」
普段は動かない顔が自然とゆるんでいった。めったに見せない私の笑みに、ノクト様もつられて照れくさそうに笑う。寝息を立てる子猫を撫でていると、私たちは大事なことを忘れているのに気づいた。
「そうだ、名前を決めてやらないと」
シンプルに靴下でいいか、と言い出す。壊滅的なネーミングセンスの主人を止めなければ。謎の使命感に襲われつつも、すでに心に浮かぶ名があった。私と同じ、旦那様という月に導かれた猫。
「ルナ、がいいです」
名付けに異論はないようで、大きく頷いてくださった。眠るルナを持ち上げて、イーエン家の当主として言い聞かせる。
「いいか、ルナ。お前はイーエン家の番犬ならぬ、番猫になるんだぞ?」
無理やり起こされて機嫌を損ねたルナに、我が主は思い切り引っ掻かれていた。




