第5話 放っておけないのは子猫ですか? それとも旦那様ですか?
ヴァン様はいつも街の外れの公園にいらっしゃる。アレルギーをお持ちでありながら猫をこよなく愛するお方で、立派な猫集会の一員なのだ。餌と猫じゃらしを片手に休むことなく毛玉たちと戯れている。自警団のお仕事はおそらくサボっておいでだろうけれども。
「実は最近、新入りを見かけなくてな。弱ってたから世話してたんだが……」
「それは心配ですね」
ヴァン様曰く、靴下柄の黒い毛並みをした子猫らしい。首には赤いリボンが結んであるという。それほど目立つなら、すぐにでも見つかりそうなものだが。
街で猫が好んで潜みそうな狭い裏路地や隠れ場所にうってつけの空き箱に目を凝らすものの見つからない。
「一応なんだけどさ、気づいてないわけじゃないよな?」
「もちろん。違う猫ならすでに見つけております」
ノクト様という大きな猫が、一定の距離を保ちながら後をついてきていた。今も物陰から射殺さんばかりの視線をヴァン様に送られている。
そんなに気にかけていただけるのなら、ご一緒に探してくださればよいものを。彼はご依頼を受けることを頑として拒んでおられた。
『猫探しなんてするわけないだろ。俺、領主ぞ?』
『どうせおめーも今から街に出るんだからいいじゃねーの』
『俺とレティは忙しいんだ、すっっごく!』
彷徨い人が現れたとき、すぐ月送りができるよう私たちは毎日街へ出ている。とはいえ実際のところは、買い物をしたり、街の人たちの手伝いをしたり、世間話をしたりするだけで一日が終わることも多い。本当に忙しいのかと問われると、少々怪しいところだ。
『では、夕刻には戻りますので』
『だろ〜? じゃあレティは俺と……えっ?』
言葉が飲み込めなかったのか、ノクト様は「えっ」を繰り返すだけの魔導具と化してしまった。
『依頼を受けたのは私ですし』
『俺を一人で行かせる気!?』
『街にそんな危険はありません』
月の国の治安はノクト様の御身が危うくなるほど悪くはない。四六時中お側に控えていなくとも、何ら問題はないのだ。いつもご一緒しているのはあくまで私個人の都合にすぎない。
主人を一人にするなんて、とか、なにかあったらどうするんだ、とか早口でまくし立てられる。あまりに早口で八割ほどしか聞き取れなかったものの、時間も有限だ。
『参りましょう、ヴァン様』
『いいの? あれほっといて』
『ちょっと待って! 置いていかないで、レティ、レティってば!!』
──と、主人の叫びを劇伴に私は屋敷を出発した次第である。
「ま、お邪魔虫はいるけど……デートには違いないか」
並んで歩くヴァン様の笑顔はどことなくノクト様に似ている。お二人は犬猿の仲でいらっしゃるが、それも似た者同士だからなのかもしれない。いつものことだと受け流し、適当に相槌を返しておいた。
「冗談だと思ってる? 結構、本気なんだけど」
手の甲に唇を寄せられ、うす緑の瞳から視線がまっすぐ自分に注がれる。残念だが、そのようなことをされても心ときめかせることはできなかった。どれだけ迫られても、彼に対して恋愛的な好意を抱くことなどない──自分の心には旦那様しかいないのだから。返答に困っていると、間にノクト様の手刀が振り下ろされる。
「いい加減にしろっ!」
ノクト様は私をご自分の背に隠してヴァン様を睨みつけておられる。まるで本物の大きな猫のようだ。毛があれば逆立って、尻尾も膨らんでいたに違いない。
「アプローチかけることくらい、いいんでねぇの?」
「俺の従者に手を出すな!」
「だから?」
ヴァン様はなおも詰め寄ってくる。主はいつもなら後ずさるところだが、背後に私がいるため一歩も引き下がれなかった。
「ただの従者、だろ」
たった一言。それはどれほどの重みだったのだろうか。ノクト様は下を向いて黙り込んでしまわれた。自信がなくなったとき、彼は言葉を閉ざしてしまう癖がある。
胸を張ってご自分を誇ってくださればいいのに。私にとって、あなた様はただの主人ではないのだから。
『おい、大丈夫かっ!?』
親を亡くした孤児に寄り添ってくれるのは月しかなかった。寒さと飢えの中、このまま独り寂しく死んでゆくのだと路地の陰にうずくまっていた。そんな私をノクト様は見つけてくださったのだ。
『いけません……汚れて、しまいます』
ぼんやりと光をたたえたノクト様は本当にお美しかった。死を目前にして、月の精霊が迎えに来られたのだと錯覚したほどに。そんなお方を、捨てられた猫のように薄汚れた自分のせいで穢したくなかった。
『君のほうが大事だ! アドリ、早く屋敷に連れて帰ろう』
『ほっほ。承知いたしました、旦那様』
抱きしめてくださったあの温もりを生涯忘れることはないだろう。手厚く介抱された私はアドリ様の養子となり、テルブルア家の人間として忠誠を誓うことになったのだ。
「レティは……俺の大切な従者だから」
あの日から私は彼だけに仕える身となった。それ以上など望んではならない。大切な従者だと言っていただけるだけで十分すぎるほどだった。




