第45話 幻の旦那様と永遠に一緒です、よね?
トレミ様に誘われるまま、気ままな散歩へと繰り出した。足元には虹色の瞳をもつ白い猫がついてきてくれている。永遠にも等しい時間があるのだ。他愛ない思い出話に耽るのも悪くない。懐かしさが孤独を払いのけてくれる。
「フィルマは? あいつちゃんとやってる?」
「お料理は残念ながら」
「はあ〜!?」
ご自分の得意料理をそれ以上に上手く作ってほしい。トレミ様はそう言い残して月に還られた。けれど、フィルマ様がお作りになるのは、見た目だけ完璧で味がしないハンバーグとオムライス。
どういう理屈でそうなるのか見当もつかないが、おそらく料理のセンスに少し恵まれていないのだろう。アイスコーヒーや紅茶といった、淹れてくださる飲み物は絶品なのだけれど。
レシピのメモも残したのにどういうことだ、と料理人はすっかり怒っていらっしゃるので慌てて取りなす。
「ですが、催し物をたくさん企画されております。ランタン祭り、とか……」
言葉が詰まった。ノクト様と見上げた花火が鮮明に蘇る。幸せだった記憶だけを頼りに生きていかなくてはいけないのに、それが私を追い詰めてくる。
「フィルマは馬鹿だし、諦めの悪いやつなんだ。俺が彷徨い人になっても見切りなんてつけやしなかった」
喫茶ヘィメンを切り盛りしてきた料理人の大きな手。その手に頭を押さえつけられる。強引に俯かされ、わしわしと撫でられた。やめてくれと訴えても、髪がどんどん乱れていく。
「俺のダチはダチのことを諦めたりしない。だから泣くなよ、エクレティカ」
「……トレミ様? どちらに?」
ふっと頭が軽くなった。撫でられていた手の感触が消え、顔を上げればトレミ様がいない。いったいどこへ行かれたのか。
「月の国の剣士よ」
「ひっ! フェルガント様!?」
周囲をきょろきょろと見回していると、背後から声をかけられた。振り向いても顔が見えない。視線をこれでもかと上げれば、どっしりと不動の姿勢で立つフェルガント様がいた。
そんなつもりは毛頭ないのだろうが、あまりの威圧感に悲鳴が漏れてしまう。
「お前の務めは、まだ終わっていない」
「つ、務めとは?」
じっとこちらを見つめてくる。真顔が怖い。問いに答えることなく、フェルガント様はどこかへ歩き出してしまわれた。猫と顔を見合わせると、白猫もわずかに頷いてくれた気がした。追いかけなければ。
「〜〜っ、お待ちくださいませ!」
必死に後ろをついていくものの、歩幅の差があまりにも大きい。騎士の一歩は私の全力疾走だ。息が上がる。敬うべき相手だとわかってはいても、疲労のせいで腹の底に溜まっていた不満を曝け出してしまった。
「フェルガント様はどうして、こう……回りくどい言い方をされるのですか!? 偽りの月とかお前の務めとか言われてもわかりませんっ」
フェルガント様はぴたりと足を止めた。ぜえぜえと息を切らしていると、前にいる大男の肩が揺れはじめる。
「それはすまなかった」
よく笑う男だった──ペルシスタ様がおっしゃっていた通りだ。フェルガント様の笑顔が、満開の花に負けないほど咲きこぼれている。
「レヴェヴィアは強い剣士になる。ペルシスタ様とともに導いてくれ、エクレティカ・テルブルア」
「これは……! ありがとうございます。フェルガント、様?」
フェルガント様は私の手のひらを上向かせると、そこに三日月のブローチを置いてくださった。いつの間に失くしていたのか。お礼を口にする間もなく、ペルシスタ様が愛した騎士は消え失せていた。
「みんないなくなっちゃった」
残されたのは白い猫だけ。でも、会いたいと願えばまた会える。だって、お二人は私が作り上げた幻影なのだから。
手の中で鈍く光るブローチを見つめ、悪い考えが頭をよぎった。それをしてしまえば引き返せない。
『だーかーら! こんなもんぶっ壊せばいいんス。そしたら中にいるエクレティカが出てこられるでしょ?』
甘い誘惑に呑まれかけていると、言い争う声が聞こえてくる。幻灯機からだ。トレミ様とフェルガント様に導かれるまま、たどり着いたのはノクト様と永遠の別れを告げた広場だった。
『お前もしつこいわね、無駄よ。魔力がある限り修復されるのだから』
『ここにいるやつら全員で魔法ぶっ放せば修復なんて追いつかないっスよ。腐っても月の国の人間なんだから、それくらいできるって』
巨大な魔石は鏡のようになっていて、ペルシスタ様とフィルマ様が口論を繰り広げておられる様が映し出されていた。月の国の住人たちが幻灯機を取り囲んで集まっている。見慣れた顔ぶれが、そこかしこに見えた。
「いいなぁ」
そして、魔石に寄りかかっているノクト様のお姿も。私もまた鏡合わせに石へともたれかかった。無機質な塊は冷たい。けれど、こうしていれば旦那様を近くに感じられる気がした。
後をついてきてくれていた白猫が、足に頭を擦りつけてくる。心配そうに小さく何度もにゃあと鳴いては、くるくると周りを回っていた。きっとこの子は傍にいてくれる。でも──。
「旦那様の運命の花嫁になりたかったなぁ」
それだけが心残りだった。十年間、自分の気持ちを隠し、表情を動かさない鍛錬をしてきた。これからはそんなことしなくていいのか。目を閉じると、涙が一筋こぼれ落ちた。
「ありがとう」
聞き覚えのない声で感謝の言葉が届いた。今度は誰だろうと目を開ければ、七色の虹をたたえた瞳があった。旦那様──そう呼ぶところだった。
白金の髪、目尻が下がった優しい表情の男性はノクト様に驚くほど似ていた。ヴァン様の比ではないほどに。でも、違う。私が贈った満月のブローチが胸元にない。
「君のおかげで、やっと私たちは本当の月に還ることができる」
白い猫も、足元からいなくなっている。
「あの子のこと、どうか見放さないでやってね」
まるで誰かの父親みたいな言葉だった。その人はそっと魔導具に触れる。ショートマントが風にはためいたかと思うと、魔石に亀裂が走った。映し出された向こう側の月の国からも轟音と真っ白な光があふれ出す。ピシピシと幾筋もの亀裂が伸びていき──やがてパキンと高い音が響いた、その瞬間。
幻灯機が弾けた。
無数の結晶が降り注ぐ。逃げられるはずもなく、無駄な足掻きだとわかっていながら身を伏せた。だが、切り刻まれる痛みがいつまで経っても襲ってこない。
「レティ、レティなのか……!?」
「旦那、様?」
不思議に思いながら体を起こす。きらきらと砕けた魔石は明滅する光の粒となって、その中に輝きを返すノクト様が立っていた。今度こそご本人だ。躓きそうになりながら駆け寄ってきて、何度も頬や顔を撫でてこられる。従者がここにいるのが現実なのかと確かめるように。
「旦那様。ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
ああ。とうとう私は、してはいけないことをしてしまった。頬に触れてくる手を両手で掴み、泣きながら謝ることしかできない。
自分の魔法で幻のノクト様を作り出してしまった。私はこれほどまでに堪え性のない女だったのだ。
「本当は嫌だったんです。一人になるのも、旦那様の花嫁様を探すのも……っ!!」
胸の内に秘めてきたことを、幻になら打ち明けることを許してもらえるだろうか。
「どうか私をっ、旦那様の運命の……花嫁にしてくださいませ……っ!」
ぼろぼろと、二人して泣いた。無様に鼻をすする私を、ノクト様は強く抱きしめてくださった。ずっと待ち望んでいた温もりに包まれて、互いに嗚咽を上げる。
「うん、うんっ! 俺もレティじゃなきゃ嫌だぁ!」
「嬉しい……私、幻でも……幸せ……」
幻がこんなにも優しいものだったなんて。もう寂しくなんてない。愛しい幻影の旦那様が、永遠の月の国で私と一緒にいてくれる。
「なに言ってるんだ、レティ。俺の運命は──幻なんかじゃない!」




