第46話 ああ、旦那様は今日もうるさい!
指笛が高らかに響いた。ランタン祭りのときと同じ歓声があたりを包む。ノクト様の腕の中、私はまだ夢見心地だった。涙声のフィルマ様が走って近づいてこられる。扇から釣り上げた眉根しか見せないペルシスタ様も一緒だった。遠くにアドリ様のお姿も見える。
「エクレティカ! 無事でよかったっス」
「……こんなにたくさん、私、幻つくってないのに」
無意識だろうか。ノクト様の幻影を生み出した覚えしかない。ぼんやり呟くと、顔をくしゃくしゃにして泣くのを堪えているペルシスタ様に扇の先で優しく小突かれた。
「馬鹿ね。お前は……っ!」
「ここは月の世界ではありませんよ、エクレティカ」
アドリ様の言葉で一気に現実へと引き戻される。ここは幻灯機の中じゃない?
つまり、ここにいる人たちは幻ではなくて本当の──。
「おかえり、レティ」
破壊された幻灯機から、たくさんの蝶たちが夜空の三日月へと羽ばたいていく。両手の指を絡めてきたノクト様の唇と私の唇が重なり、広場にはカーテンコールの拍手が響き渡った。
♢♢♢
月の国、クレスツェント。この国は幻灯機を失い、月送りという仕組みがなくなったいま──彷徨い人の魔物化という問題に直面している。だが、芸術に命を懸けている人々にとって、そんなことは取るに足らないことらしい。
月の呪いを解いた従者による、十年想い続けた主人への大公開プロポーズ。格好の題材になるのは自明の理だった。翌日には脚本が書き上げられているなんて、異常だ。
幻だと思い込んでいた自分にも非があるとはいえ、そっとしておいてほしかった。街へ一歩出れば、祝福という名の熱狂的な冷やかしを受ける。ノクト様にもう一度鎖に繋いでほしいと申し出ると、なんとも気まずそうな顔で「俺は嬉しいけど、やめとこ……?」と断られた。
「お二人さん、あとちょっとで乗れるからね。楽しみに待ってるッス」
もうやけになるしかなかった。ここまできたら開き直ってやる。私たちの仲を国中の人たちにこれでもかと見せつけてやるのだ。二人の愛を月に最も近い場所で誓う──つまり、気球だ。ノクト様はといえば、情けなく私の腕にひっついているが。
「レティ〜……こんなことしなくても、俺たちずっと一緒だってぇ」
「生まれたての子鹿かしら。見苦しいったらないわね、ノクト」
「こ、これは武者ぶるいなのっ!」
前回のランタン祭りで気球を壊したお詫びだと、やけっぱち気球計画にペルシスタ様も協力してくださった。ツィトルス王家からたんまりと資金援助を受けたこともあり、フィルマ様の準備にも力が入っている。
「フィルマ様。あのとき、どうして広場にいらっしゃったんですか?」
邪魔をするつもりはなかったが、どうしても聞きたかった。ペルシスタ様が人払いをしてくださっていた広場に、なぜフィルマ様がいらっしゃったのか。そして街の人々が集まっていたのかを。
「トレミの声が聞こえた気がしたんス。魔導具をみんなでぶっ壊せ、ってね」
それに、と人差し指を鼻先に向けられる。
「エクレティカに嘘つかれるの、二回目っスから」
「……申し訳ございません」
「ほんとしょうがない子なんスから。俺が諦めの悪い人間でよかったね?」
フィルマ様が先導して街の人々を集め、全員の力を合わせた魔法で幻灯機を壊してくださった。ノクト様に似たあのお方とフィルマ様のお力がなければ、私が生きてここに帰ってくることはなかったかもしれない。
「おい、レティとあんまり喋るんじゃないっ!」
「相変わらず器の小せぇ男。あ、準備できたッスよ」
命の恩人は領主を遠慮なしに気球のかごへ押し込む。ペルシスタ様に見送られながら、私も続いて乗り込んだ。
「それじゃ、いってらっしゃーい!」
魔導バーナーが激しく炎を吐き出すと、気球はゆっくりと地面から離れた。風に揺られながら高度を上げ、見送る人々が、街並みが、すべてが、徐々に小さくなっていく。それと入れ替わりで、頭上の月がどんどん迫って大きくなっていた。
「見てください、旦那様。月に虹が……」
「ひいっ、高いっ!」
珍しい月虹を見ていただきたくてお声をかけたのに、どうやら下を覗いてしまったようだ。勢いよく抱きつかれるものだから、気球全体が大きく揺れる。その揺れにノクト様がまた怯える。負の連鎖を止めなければ。
「本当はそんなに怖がっていらっしゃらないでしょう? ふりをしているのはわかっているんですからね」
「そ、そんなことないよぉ……?」
「嘘をおっしゃらないでくださいまし!」
ノクト様を見下げ、素っ気なく突き放した。それなのに蕩けた瞳でうっとりとされてしまう。そうだ、この方に冷たくしても無意味なのだということをすっかり忘れていた。
「レティ、なぁに?」
腰に巻きついて見上げてくる旦那様の顔にそっと触れる。もうこの体に蝶の痣が刻まれることはない。よかった、本当に──。
「旦那様の運命を受け入れなくてよかった」
気球が限界高度まで到達し、景色が変わらなくなった。私を抱きしめたまま、ノクト様はご自身が出せる大声で叫ぶ。月に向かって、幻じゃない永遠の愛を約束してくださるために。
「レティ、好きだっ……愛してるーーっ!!」
「私もお慕いしております、旦那様!」
ああ、旦那様は今日もうるさい。私たちの胸元にあるブローチは月の光を反射して──七色に輝き続けていた。




