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第42話 旦那様はもう月の呪いに苦しまなくていいんですよ

 ふわりと揺れる純白のスカート。久しく外気に触れていなかった体は、吹き抜けていく風にすら驚きを覚えていた。空気が澄んでいるのは、冷え込みが厳しいせいだろう。

 自分ではしっかりと地を踏みしめているつもりなのに、衰えた筋肉が言うことを聞かない。ふとした拍子に体がよろめき、ノクト様が差し出してくださる腕にすがりながら歩く。


「やっぱりかわいいな、レティ」


 今日の装いはすべてノクト様がご用意してくださったものだ。誕生日なのだから好きにさせてほしい、とのことだった。お出かけのたびに、ご自身の趣味を存分に発揮していらっしゃる気がしてならないのだけれど。

 旦那様への贈り物を探しながら、当てもなく歩いているとフィルマ様のお姿が目に入った。買い出しの途中らしい。彼もこちらに気づき、「エクレティカ!」と目を丸くして、豪快に手を振ってくる。


「ノクトから体調崩してる、って聞いてたけど。元気そうで安心したっス!」

「……ご心配をおかけいたしました」


 繋ぎ止めるように肩を抱き寄せられた。フィルマ様に助けを求めるとでも思っていらっしゃるのだろうか。そんなに怯えなくても離れないのに。その手に、ぐっと力が入るのがわかった。


「時間あるならへィメンに寄っていかないっスか?」

「俺たち買わなきゃいけないものがあるからさ。またにするよ」

「あちゃー、残念っス」


 一刻も早くこの場を立ち去りたい、というノクト様の焦りが表情ににじみ出ている。けれど、私はどうしてもフィルマ様に伝えておきたいことがあった。


「フィルマ様が淹れてくださるアイスコーヒー。私、大好きでした」

「エクレティカ……?」


 お約束を果たせそうになくて申し訳ございません、という言葉は続けられなかった。我慢の限界を迎えたのか、ノクト様に体ごと抱き寄せられる。せめて感謝の言葉だけでも、届けられたらそれでいい。首をかしげるフィルマ様を置き去りにしたまま、私たちは通りの人混みへと紛れていった。

 ふらふらと歩き続け、ふと目に留まった月の形を模したブローチ。路地の奥にひっそりと佇む宝飾店でそれは私を待っていた。以前、作ってくださった三日月とは違い、こちらは満月をかたどっている。デザインが少し違うだけで、大きさも宝石の色合いもよく似ていた。


「旦那様、これを」

「……うん、わかった」


 旦那様も気づかれたのか、壊さないようにブローチを手に取った。私からの贈り物のはずだったのに、あっという間に会計を済まされてしまう。


「選んでくれたことが大事だから」


 丁寧に包まれた包装紙を再び開けるのは少し心苦しかった。中身を取り出し、ノクト様の胸元に留める。少し屈んでくださったおかげでお顔が近づいてきた。首元にとどまっていた蝶の痣は、いつの間にか右頬にまで浮かび上がっている。手のひらで触れると、嬉しそうに頬を擦り寄せてこられた。

 そして、今度は自分の胸元にも同じものがつけられる。壊れてしまったはずの三日月のブローチだった。お互いのプレゼントが被ってしまって、少し照れくさそうだ。


「大切にする。十七歳の誕生日おめでとう、レティ」


 さあここからだ、エクレティカ。私が旦那様の運命になれるかどうか、すべてはこれから。気取られぬよう、そっとその手を取った。


「旦那様。実はもう一つ贈り物があるのです」

「ええっ、いつの間に用意したんだ?」

「ここではお渡しできません。広場まできていただけますか?」


 頬はほんのりと赤く染まり、虹色の瞳が細められる。「いいよ、行こっか」と手を引かれて歩き出せば、月も、この街も、ノクト様も──すべてが煌めいて見えた。ああ、幸せだ。時間が止まってしまえばいい。愛しいものだけを、この目に焼きつけておきたかった。

 幻灯機(ファンタスマゴリオ)が見下ろす広場にたどり着くと、私たちは向かい合う。周囲に人の姿はない。すべて予定通りだ。


「旦那様。目を閉じてください」

「う、うん」


 さっきから、ずっと落ち着きがない。目を閉じていてもそわそわしている。私から口づけをされると思っているのだろう。どうして人からされるときは恥ずかしがるのに、ご自分のときは平気なのか。不思議だ。


「私からのサプライズプレゼントでございます。どうか受け取ってくださいまし」


 私も目を閉じて祈った。両手を組み、幻灯機にありったけの魔力を流し込む。魔石がほのかに光り出すと、ノクト様の体も同じように光を帯びはじめた。


「えっ、え? なに、これ……!?」


 明々(あかあか)とした蝶の痣はまるで羽化をするかの如く、ノクト様の肌から離れていく。痣から蝶が一匹残らず幻灯機へ飛び立っていくと、お体を包んでいた光が薄くなって──そして消えた。


 呪いが、消えたのだ。


「旦那様……これからはもう、月の呪いに苦しまなくていいんですよ……っ!」


 感情を抑えることができなくて、呆然と立ち尽くしているノクト様に抱きついた。どうせ、信じていなかったのでしょう。従者は主人のためだったら、なんだってできる。


 たとえ今日が、私という人生の幕引きになろうとも。

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