第40話 月の世界を夢見る旦那様と堕ちていきます
「かくれんぼ、でございますか?」
あまりにも唐突だったが、冗談でもないらしい。屋敷を華やかに彩りながら優雅さを湛えている庭を見渡し、ノクト様は薔薇を一本手折る。顔が埋まるほど近づけて、香りを楽しんでいらっしゃった。
すべての絵の具を溶かして混ぜ合わせたら黒に行き着くように、花の間から覗く虹色の瞳が赤黒く染まっている。
「昔、二人でよく遊んだよな」
「ですが……」
「俺が見つけられなかったら、ちゃんとレティの言うこと聞く」
お願いはもちろん叶えたい。でも、ペルシスタ様がご自分の屋敷に招いてくださったのは、こうして二人きりにならないため。
一歩近づかれたら、私も一歩後ろに下がる。縮まらない距離に気づかれたのか、手折った薔薇がぐしゃりと握り潰された。茎にあった棘のせいで手から血が滲んでいる。
「わがままはこれで最後にするから。お願い」
「……わかりました。かくれんぼをいたしましょう、旦那様」
そんな風に縋られたら断れない。しばしの別れですら惜しいのは自分も同じだ。この状況がよくないのも重々承知している。それでも「かくれんぼをしたい」というささやかなお願いくらい、付き合わせてほしい。
「隠れるのはこの庭の中だけだぞっ。十まで数えたら、俺がレティを探すから」
こくんと頷けば、ノクト様は顔を伏せて数えはじめる。私は隠れる場所を見つけるため、庭園の中を走りだした。あれがちょうどいい。身を潜めるのにうってつけだ。全身を覆ってくれる茂みに隠れ、息を殺した。
ガサ、と足音が聞こえてきた。幼いころを思い出して「ふふ」と笑ってしまう。昔から自分はかくれんぼが得意だった。気配を消すのはもちろん、相手の接近にいち早く気づいて逃げられるからだ。
「レティ、どこだー? レティー?」
いつまでたっても従者を見つけられず、半泣きで必死になっているお顔が好きだった。レティ、と何度も名前を呼ばれることも。
「いたら返、事し……て、レティ……ごほっ」
喘鳴と草の上に人が倒れ込む音が聞こえてくる。発作だ。しばらくなかったのに。薬と水を携帯しているベルトポーチもない。それでもローズアーチの下でうずくまっているノクト様の元に駆け寄っていく。
「旦那様! 私はこちらに──いっ!?」
手を思い切り引っ張られる。体勢を崩し、気づけばノクト様に捕まっていた。散りばめられた星が降ってくるみたいな笑顔で。
「みーつけた!」
旦那様は私を抱きしめながら、子ども顔負けではしゃいでおられる。そんなのずるいじゃないか、と抗議する前に唇を塞がれてしまった。咄嗟に顔を背けても、後頭部が押さえつけられて逃げられない。
苦しい、うまく息ができない。胸を何度も叩いても離してくれなくて、やっと解放されたときには息も絶え絶えだった。ちりんと音がしても、酸欠でぼんやりした頭ではすぐに理解できない。
──首に、なにかついている?
「昔から変わらないな、レティ。俺が泣いたふりをしたら飛び出してくるの」
ぶつん、と意識はそこで途切れた。
♢♢♢
遠くで鼻歌が聞こえる。旦那様だ。機嫌がよくなるといつも歌い出す。うるさくはないけれど、透き通った声がよく響く。隣でいつまでも聞いていたいと思っていた。
「だ……な、ま……?」
ゆっくりと目を開けた。旦那様と言ったつもりだったのに、乾いて掠れた声しか出ない。
「起きた? 声、まだ出しにくそうだな」
目が覚めた私に気づいて、ベッドの傍で魔石を削っていたノクト様が水を飲ませてくださる。傾けられた水飲み器から喉に落ちていく水で、いくらか頭がはっきりとしてきた。
「ここは、どこですか?」
「んー、俺の部屋」
ここが旦那様の寝室であるはずがない。窓がないせいか、ずいぶんと薄暗い部屋だった。なんとか体を起こすと、首から鈴の音がする。意識を失う前も聞こえてきたような。
首元になにがついているのかを確かめるため、腕を動かそうとした。今度はじゃりと金属が擦れる音がした。
「ひっ! こ、これ、なに……っ!?」
首輪がつけられ、両手首も鎖で繋がれている。もちろん両足も。ベッドの脚にくくりつけられており、長さはあるものの体の自由を奪われている。恐怖を覚えた私は力任せに引っ張って外そうとした。
じゃらじゃらと鎖を暴れさせていると、ノクト様は削っていた魔石を首輪に取り付けてきた。その瞬間、全身に走る痺れ。痛みはないけれど動きを強制的に止められる。暴れるのを止めると、痺れも連動して流れてこなくなった。
「こーら、おとなしくしないと。傷になったらどうするんだ?」
「は、外してくださいませ!」
「……俺はレティをちゃんと見つけただろ?」
相手を油断させて、確実に自分が望むものを手に入れる。ペルシスタ様のご忠告を今更ながらに痛感する。確かに、見つけられなかったら言うことを聞くとおっしゃっていた。けど、こんなのって。
「レティ、なんで泣いてるんだ?」
「だって、だってこのままじゃ、探しにいけない……っ! 旦那様に死んでほしくないのにっ」
ノクト様はいつも邪魔をしてくる。運命の花嫁探しのときだって、いまだってそう。どうしてわかってくれないのだろう。私のすべては、全部全部あなた様のためだというのに。いままでだって、これからだって!
「月の呪いは勝手に解けるんだ。二十五歳で俺は死ぬんじゃない、月の世界に行くだけ」
「そんなの……違う……違います……」
悔しくて涙が勝手に溢れてくる。ノクト様は私が悲しんでいるのだと勘違いして、慰めるような手つきで目尻を拭ってくれる。
「ああ、やっとだ。ずーっとこうしたかった」
首輪の鈴を指で転がし、幸せそうに笑っていらっしゃる。大切な宝物をやっと箱の中にしまうことができたのだ。その中から、私はもうどこにもいけない。
ベッドに縫いつけられるように押し倒されて、震えが止まらなかった。私だって幸せなはずなのに。幾度も夢見たノクト様と交わす口づけは、息ができなくて苦しい。
「い、いや……どうか、元の……旦那様に……っ」
「怖がらないで? 俺はいつだってレティの望むノクトだよ」
黒く染まった偽りの月が堕ちてくる。逃げ場など、どこにもあるはずがなかった。




