第39話 私の知らない旦那様がかくれんぼに誘ってきます
幼いころの自分と旦那様の幻が消えていく。ランタン祭りの花火で聞こえなかったノクト様の言葉を残して。私は間違えていたのだ。あのとき、絶対に笑顔で応えてはいけなかった。
「こんな昔のこと……覚えていませんでした」
自分の記憶力のなさに肩を落としていると、当然だとばかりにペルシスタ様は鼻で笑った。
「所詮、子どもの戯言だもの。けれど、妄執に囚われたノクトはお前の望む領主であり続けた」
気弱で優しい旦那様は私が作り出した幻。ペルシスタ様の口から語られる「月の国の領主、ノクト・イーエン」の姿は、知っているはずのお方とまるで別人だった。
「ノクトは月の国から武力を捨てさせ、芸術が花開く劇場都市にした。それが実りの国にとってどれほどの功績か、わかる?」
ペルシスタ様との一方的な婚約破棄。その責を国王陛下は不問とされた。民衆の支持を一身に集める旦那様が、実りの国に反旗を翻すなどと言い出したなら──地獄が待っていることを誰よりもご存知だったから。
この国の領民は大多数が高魔力者であり、月送りをしなければ彷徨い人となる。その気になれば、延々と戦い続けることができるのだ。フェルガント様のように。
「あれは愚者を演じているのよ。相手を油断させて、その間に逃げ道をゆるゆると塞いで潰す……そして確実に自分が望むものを手に入れる」
ペルシスタ様は長い人差し指で、私の額を軽くお突きになった。
「ノクトはそんな化けの皮が剥がれかけている。大方、鼠になにか吹き込まれたんでしょうけど」
「ヴァン様は……なにをご存知なのでしょうか」
「さあ。いけすかないのは確かね」
ノクト様と一緒になって、ヴァン様が隠し事をしていらっしゃるのは間違いない。お屋敷に訪ねて来られる頻度が異様なほど増えていた。動かぬ証拠の現場に自分は鉢合わせている。
月の呪いを解く方法を探すにしても、いまはノクト様と二人きりになるのが非常に危険らしい。私はしばらくペルシスタ様の屋敷でお世話になることとなった。手際よくお部屋を用意していただき、寝巻き同然の姿だった女に着替えまで貸してくださった。
心配と手厚いもてなしを受けてもなお、鬱々とした気持ちがいつまでも晴れない。
「私が間違っていたんでしょうか。旦那様のお気持ちを考えず、自分の信念も曲げたから……」
ペルシスタ様は黙りこくったまま、たくさんの手紙をテーブルの上に広げられる。
「返事を出したの、父に」
そのうちの一通を手渡してくださった。以前、破り捨てられたものと同じ筆跡。そこにはもう謝罪と悔恨はない。ペルシスタ様の暮らしぶりを問うていたり、レヴェヴィア様に会いたがっていたり。娘を想う親の気持ちがつらつらと綴られていた。
国王陛下からの手紙を見つめていた王女殿下は目を細め、ご自分が愛されていたことを思い出しておられるようだった。
「二度と関わるつもりはなかったわ、お互いのために。でも、そんなのは嘘。わたくしは変わることが怖かっただけなのよ」
ふわりと抱きしめられた。お前は間違っていない、そう言ってくださっている。力を抜くと涙が出てしまいそう。
ずっと、ずっと不安だった。アドリ様にも、ヴァン様にも、なによりノクト様にも──変わらないでいいと言われる。それは私になにも望まれていない気がして。
「勇気をもって、変わることを選んだ自分を誇りなさい。エクレティカ」
結局、ペルシスタ様の胸で泣いてしまった。二人を無理やり引き裂く真似をしてごめんなさい、と謝られて、また泣いた。
夜が深くなっても私は眠れなかった。月の呪いは言うまでもなく、旦那様のことばかり考えている。
夜風に当たって頭を冷やそう。静かに屋敷の外へ出ると、眼前に広がるのは薔薇園。それを見ていると、毎日アドリ様が手入れをしておられるイーエン家のハーブ園に帰りたくなった。でも帰れない。ああ、ノクト様の声が無性に聞きたい。
「レティ」
空耳かと驚いて振り返る。今にも落ちてきそうな三日月を背に、自分の命よりも大事な方が立っていらっしゃった。
「旦那様!? どうして、こちらに……」
「迎えにきたんだ。一緒に帰ろう?」
はい、旦那様。そう答えてしまいそうになるのを、ぐっと我慢した。私はノクト様の願いに背いてでも、自分の選んだ道を貫き通すと決めたのだ。甘えてはいけない、と自らを鼓舞するために胸元を強く握りしめる。
「私は月の呪いを解いてみせます。その方法を見つけて帰りますから……どうか、信じてお待ちくださいませ」
自分で旦那様から離れると決めたのは生まれてはじめてだった。それがこんなにも苦しくて、辛いことだなんて。
「そっか。わかった」
覚悟が伝わったのだろう、すんなりと了承してくださった。嫌だと喚いて、地団駄を踏んで、引き留められるかもと思っていたから拍子抜けしてしまう。
ノクト様の指先が、私の頬から首筋にかけて滑り落ちていく。まるで鎖に繋がれたかのような感覚に身を震わせてしまった。
「なぁ、レティ。久しぶりにかくれんぼしないか?」




