第38話 幻が旦那様の真実を教えてくれます
自分の人生で一番あり得ないこと。それはノクト様のお側を離れる未来。心が読めるペルシスタ様は、もちろん私の秘めた気持ちをご存知だ。
それでも旦那様と離れるように言ってくるのには必ずご事情がある──けれど、やはり。
「い、嫌、です。私は旦那様のお側に」
「ノクトのこと、怖いと思っている癖に」
表情に出してはいけない。取り繕おうとしたが、勝手に肩がビクッと跳ねてしまった。ひとたび微笑まれると、この方の前では言い訳も隠し事も無意味なのだと思い知らされる。
「その直感は正しいのよ。お前の体調不良、誰が仕組んだのかもうわかっているのではなくて?」
「笑えない冗談はおやめくださいませ。旦那様は私を看病してくださって、お薬も……」
否定すればするほど証明されていく。ペルシスタ様からいただいた中和剤が劇的に効いた。魔力酔いが起こる条件は、よほど莫大な力に晒されるか、魔力が溶け込んだもの──おおよそは酒だ──を口にするかのどちらか。
私のことを看病できるのが嬉しいとノクト様は言ってくださった。あれから具合が悪くなる日が増えて、その度に飲ませていただいたお薬。それに魔力が混入していたとしたら?
寝込んだ従者に魔力酔いを引き起こす薬を飲ませれば、また体調を崩す。それを繰り返していれば、面倒を見てくださるノクト様は屋敷にいられるのだ。私と、ずっと二人で。
「自分からお前を離れさせないようにするためだったら手段は問わない。ノクト・イーエンはそういう男よ」
「違う……違います、旦那様はそんなことしません! 誰よりも、優しいお方なんですから!」
乾いた音とともに頬が熱くなる。追いかけてくる痛みで、ペルシスタ様に頬をはたかれたのだとわかった。
「逃げないで、エクレティカ。お前はちゃんとノクトのことを知らなければいけない」
気弱で優しい、大好きな旦那様。なにも知らない方が幸せなのかもしれない。でも、私はこのままじゃ怖くて一歩も動けない。
知らなければ。大切な方を守る未来を選び取るためにも。
包み込むように握ってくださる温かな手。私は目を閉じて、ペルシスタ様の記憶から幻を作り出す。真実が──霧の向こうから見えてきた。
♢♢♢
エクレティカ、代々イーエン家の領主たちがどこで最期を迎えるのか知っていて?
街の広場にある巨大な魔導具、幻灯機といったかしら。そこに身を捧げるのよ。ノクトが父親を見届けたのは八つのときだったわね。
『ち、父上……嫌だ、俺』
先の当主が身罷ると月の呪いはすぐに次代の当主へと引き継がれる。自分の腕に蝶の痣が浮かびあがった絶望たるや、想像もできないわね。
すでにわたくしと婚約していたから、実りの国を訪問してくるのだけれど……毎度、酷い有り様だった。
『いけません、旦那様』
『アドリだけ帰れよぉ! 俺はここに残るっ、あの国には帰らない!』
『領民を見殺しにするおつもりですか? さあ、はやく立って!』
『嫌だ、嫌だぁ! 死にたくないっ、なんで、なんで俺が死ななきゃいけないんだよぉ!!』
無様で、哀れで、とても見ていられなかった。わたくしの国で暮らしたい、と泣きながら懇願していたわ。家令に引きずられながら、約束された死に怯える──そんなノクトが錯乱しなくなったの、ある日ぱたりと。
あれだけ月の国にいたくないと駄々を捏ねていた男が、そそくさと帰るようになった。五年という月日がそうさせたのかもしれないけれど、さすがに気になってわたくしは聞いたの。
『あら、帰るの? もう少しいたらいいじゃない』
『あー……猫を拾ったんだ。ずっと俺の後を追ってきて、かわいくてさ。寂しがらせちゃいけないから』
わたくしが心を読めるということを忘れるくらいにはご執心だったわ。フェルガントとの関係を隠すための仮初とはいえ、表向きは婚約者。だからお忍びで様子を見に行ったの。どんな泥棒猫が誑かしているのかしらって。
『だんなさま、おまちくださいませっ! もぉっ!』
『はは、ごめんごめん。レティ、大丈夫?』
イーエン家の整えられた庭。そこで逃げる主人を追いかけていたのは、拾われたばかりのお前だった。まだ五歳か六歳くらいだったかしらね。
無理やりサイズを合わせた従者の服を着て、必死に家令の言葉遣いを真似ているのが滑稽だったわ。派手に転んだエクレティカをあやしているノクトの顔は、とても穏やかだった。
『このままでは、だんなさまとお月さまに行けません……足のたんれんをしなければ!』
昔からお前はどこかズレていた。思い込んだら変な方向へ一直線に進んでいく。でも、それがノクトにとっては救いだったんでしょうね。
お月様に行く、というのがどんな意味合いを持っているのか。幼い子どもに理解できるはずもないというのに。
『だんなさま、お月さまにはアイスはありますか?』
『んー、どうだろ。あるんじゃないかな』
『やったぁ! レティ、まいにちアイスたべたいです! ハンバーグも!』
『そんな食べたらお腹壊しちゃうぞ』
膝の上にエクレティカを乗せて花冠を作っていたノクトの様子がおかしいと、わたくしが気づいたのはこのときだった。
『本当について来てくれるのか?』
『はい、どこまでだっておともいたします。おそばにいるのがじゅーしゃでございます!』
そっか、と小さくこぼしたノクトは、宝物みたいにお前を抱きしめていたわ。大切なものは大事に大事に、そして誰にも取られないように奥底へしまい込むのよ、あの人間は。
『お月さまに行ける日がたのしみですね、だんなさま!』
『……うん。レティがいるなら怖くないや』
エクレティカ、ノクトは生きたいと言っていたでしょう。その言葉に偽りはないけれど意味が違うの。お前は未来を見ているけれど、あの男は終わりを見ている。
二十五の年で必ず死に至る、その運命をすでに克服してしまっているから。酷く醜く歪んだ形で。
『レティ、俺と一緒に月の世界に行こうな』




