第34話 明日から元通りの生活に戻りますからね、旦那様
イベントの最後を彩る花火を見事打ち上げることに成功し、ランタン祭りを盛り上げた私たち。あとは待ち望んでいた気球に乗るだけ──のはずだった。
「ほんとーにっ! ごめん、二人とも!」
フィルマ様が地面に頭を擦り続けている。ここまで謝罪の意を示していただくと、逆に居心地が悪い。そろそろ額から煙が上がりそうな勢いだ。
「球皮はちょっとやそっとじゃ破れない素材のはずなんス……いったい誰がこんなこと」
私たちは気球に乗れなかった。理由は単純明快、壊れてしまったからである。正確には何者かの手によって壊された、だが。魔力の残滓はあったものの、秘匿魔法まで使われていたようで犯人を特定できないらしい。
「もういいですから、フィルマ様。顔を上げてください」
同じことを何度言えばいいのか。やっと顔を上げてくださって、「ごめんね、エクレティカぁ」と力なく呟いておられた。
フィルマ様の計画では、今日のうちに気球を上げたかったのだろう。月の国の領主──と、オマケで従者──を乗せればイベントの宣伝効果は抜群だ。いまも関係者の方々が尽力してくださっている。それでも修理を間に合わせるのは難しいようだった。
「謝っても謝りきれねぇ。お詫びにできることがあればなんでも言ってほしいっス」
「って言われてもなぁ。レティ、どうしたい?」
「そうですね……」
お詫びなどしていただかなくても。とはいえ、フィルマ様の申し出を断ると、再び謝罪地獄になる予感がした。ノクト様は高いところが苦手でいらっしゃるから、景品がなくなってもあまり気にしておられない。内心では心底安心しておられるのだろう。
「あっ」
きょろきょろと周りを見渡していると、散乱した木箱の中に入っているものが目に入った。色鮮やかなそれを私は手に取る。
「こちらをいただきます、フィルマ様」
「そんなんでいいの? 露店の余りっスよ?」
「差し上げたい方がいるので」
私がそう言うと、フィルマ様は即席でプレゼント用に包装してくださった。かわいらしいリボンが器用に結ばれていく。
ノクト様がしきりに誰に渡すのかと聞いてこられるが答えない。静かになったと思ったらソワソワしている。自分にもらえると期待しているみたいだ。まだ種明かしはしないでおこう。
「エクレティカ、今後は同じことがないようにするから。原因の解明を急いで、対策を講じるっス」
「そこまでなさらなくても」
「ノクトには後日、報告書を提出するっス」
「ひっ! お前が書いた報告書ヤだ!」
いつだったか、雪崩を起こした書類を前に悲鳴を上げていらっしゃるときがあった。あれはフィルマ様が書かれたものだったのか。人柄と仕事に対する取り組み方がこれほど一致していない方も珍しい。
ノクト様は口酸っぱく報告書は簡潔にするよう言い残し、そうして私たちはランタン祭りを後にした。心地よい疲れとともに屋敷へ戻ると、ちょうどお仕事を終えられたアドリ様が迎えてくださる。
「お帰りなさいませ、旦那様。エクレティカも、楽しかったですか?」
「はい、とっても。アドリ様、受け取っていただきたいものがあるのです」
ランタン祭りを楽しんできたことはお見通しのようだった。個人的に楽しんでいたのも見抜かれているに違いない。
私は恥ずかしさを隠すように、ベルトポーチから包んでいただいた贈り物を取り出す。お渡しすると「ほっ?」と首を傾けておられた。これはアドリ様が驚いたときのお声。サプライズ成功だ。
「これはバスボム、ですか?」
「はい。お疲れを癒していただきたくて。どこかの領主様がお仕事をサボっておられますから」
「さ、サボってるわけじゃ……」
背筋を伸ばし、後ろで手を組みながらわざとらしく大きな声で言ってやった。ノクト様を片目に見ながら。
お休みすることが大事なのは重々承知している。一緒にいる時間が増えるのも嬉しい。しかし、お元気であるにも関わらずアドリ様にお仕事を押しつけるのはいかがなものか。従者として主人に釘をさすのは久しぶりだった。
「……すまない、アドリ。ちゃんと明日からは仕事する」
「ほっほっ、なにを謝ることがありましょうか。旦那様が心安らかであれば、わたくしはそれでよいのです」
ごにょごにょと口の中で言い訳をしておられたが、ご自分でも後ろめたかったのだろう。きちんとアドリ様に謝っておられた。家令はまるで息子を褒めるようにノクト様の頭を撫でる。これで明日からイーエン家は元通りの生活が戻ってくるだろう。
「エクレティカ、わたくしのことなど気遣わなくともよいのです。お前はただ旦那様のお側にいることだけを考えなさい」
「はい。アドリ、様」
なにか余計なことをしてしまったのだろうか。喜んでいただきたかっただけなのに。アドリ様の言わんとするところは、わからないままだった。
「レティ、なんであんな気球に乗りたがってたんだ?」
湯浴みを終えたノクト様がナイトガウンを羽織る。わざわざ聞かないでほしかった。子どもじみていると笑われるかもしれない。ベッドを整えつつ、私は正直に答えるかどうか迷っていた。
「……願掛けをしたかったのです。月の呪いを解く方法を見つけられるように」
ただ、黙っていてあらぬ勘違いをされてもいけない。少しばかり勇気を振り絞ってお伝えしたのに、「そっかあ」とあまり興味がなさそうなお返事だった。
むっとして振り返ると、目に飛び込んできたのは蝶。突然のことで、頭が真っ白になる。
「旦那様、それ」
「ん? ああ、痣な。ずいぶん広がったよなぁ」
月の呪い──その名前の由来はこの痣からきている。月送りを重ねるたび、彷徨い人から生まれる蝶と同じ痣が体中にできるのだ。それがとうとう首元にまであらわれはじめていた。カウントダウンだ。もう時間がないぞと痣が告げている。
「顔まで蝶の模様とかあったら、男前に磨きがかかっちゃうよなぁ」
ランタン祭りなんて行かなきゃよかった。あれだけ楽しかったはずなのに後悔がいまさら襲ってくる。なにも言えずに俯いていると、旦那様が「笑ってよ、レティ」と頬を掴んできて、パンのように捏ねられる。
「やめてっ、くださいましっ」
「泣き止んでくれたらやめてあげる」
「泣いてなどいません!」
人の顔を満足するまで存分に弄んでから、ノクト様は解放してくださった。どさくさに紛れて顔中にキスも降らせてくるから、腹いせに枕をお顔に叩きつけておいた。お仕置きである。
「旦那様。花火が上がったとき──」
「ん?」
なんとおっしゃったのですか。無理やり寝かしつけたあと、寝室を出る前になぜか突然、聞きたくなった。だが、それこそ野暮というものだろうと、すんでのところで思いとどまる。
ノクト様は明日からお仕事があるのだ。いまはしっかり休んでいただかなければ。
「いえ、なんでもありません。おやすみなさいませ、旦那様」




