第31話 どうかお願い聞いてくださいまし、旦那様
「旦那様、街に行きましょう」
相変わらず屋敷でだらだらとお過ごしのノクト様とは正反対で、私はやる気に満ち溢れていた。
「なんでぇ?」
「情報収集に決まっています! まずはヴァン様をお探しして──いえ、資料館でクレスツェントの歴史から調べた方がいいでしょうか」
旦那様が「生きたい」と言葉にしてくれたこと。その歓喜が今も胸で燃えている。先史の時代から成し得なかったことに挑もうというのだから、道は困難を極めるだろう。だがそんなこと、知ったことではない。
私はもう受け入れないと決めたのだ。大切な人がいなくなってしまう運命を。ノクト様の死を黙って待つだけ、それが愛だなんてもう思わない。
「えぇー……」
本に顔を埋め、ノクト様は乗り気でないご様子だった。連日、執務室に二人で閉じこもってばかり。流石に嫌気が差してくるだろう。
月の国ではずっと夜が続くので日に当たることはできないが、たまには新鮮な外の空気を吸っていただかねば。熱烈な視線で圧をかけると、「わかったよぉ」と折れてくださった。
「じゃあ、着替えてきてくれ」
「はい?」
革のロングブーツに動きやすいズボン、家の品格を落とさないためのベスト。従者として失礼のない装いをしているはずだが、汚れでもついていただろうか。
「うん。前に贈った服あるだろ? ドレスじゃないやつ」
「あちらは観賞用にしようかと……」
以前いただいた服と言われても、数が多すぎてどれのことだかわからない。「必要ありません」と何度断っても、「俺が贈りたいだけだから」と押し切られてしまい──結局、山のように服をいただいてしまった。どの機会に着たらいいのかわからない、生地の良すぎる服たちはクローゼットで眠っている。
「もしかして気に入らなかった? じゃあ街で新しいの買おうか」
これ以上はまずい。旦那様は領地に関する金銭感覚はしっかりしているのに、個人的な財布の紐はゆるゆるでいらっしゃる。猫用品のときもそうだったが、必要だと思えば惜しげなく買ってしまう性質なのだ。
そして厄介なのが、自分のためではなく他人のためである点にある。着替えなければ、情報収集どころかただのお買い物で一日が終わるだろう。
「いえ、急ぎ着替えて参ります! 少々お待ちくださいませ」
慌てて自室へと戻る。毎日なにも考えずに従者の服を着ている人間にとって、自分で洋服を選ぶのは容易いことではなかった。
久しぶりに出た街は、いちだんと賑わっていた。街灯にはランタンが飾り付けられ、露店が街路に沿って並んでいる。暗闇すら押しのける明るさが、私たちを照らしていた。
「レティにはやっぱり青が似合ってるな」
「そう、でしょうか」
急いでいたため、目に入ってきた洋服を手に取った。自分の髪の色と同じ、青のコルセットワンピース。無理難題だったが、ノクト様が満足そうなのでよしとする。彼はご自分で作ったものや贈ったものを身につけてもらえるのが好きなんだろう。
屋敷から街につくまでの間も、何度「かわいい」と言われたかしれない。最初は照れたりしたものだが、あまりにしつこいので「私はかわいいという名前ではありません」と素っ気ない態度をとってしまった。
そうこうして二人並んで歩いていると、いつも贔屓にしてもらっているアイス屋の女将さんをお見かけした。
「あら、ノクトちゃんたち! アイス食べていきな」
毎度サービス精神たっぷりで、アイスがカップからはみ出すほど盛り付けてくれる。旦那様はお腹を壊しやすいので少なめにと頼んでも、聞き入れてもらえた試しがない。
「これはなんの騒ぎだ?」
「ランタン祭りだよ。ちゃんと屋敷に許可はとってたろ?」
「また新しい祭りを作ったのか!?」
自立と共助、そして自由を愛する月の民は、なによりも楽しさを優先する。劇場もそうだが、芸術が発展しているのはこの国民性によるものかもしれない。
「野暮だねえ、あんたそれでも月の国の人間かい?」
「領・主・だっ!」
とはいえ、ノクト様の言う通りお祭り騒ぎが多すぎる気もする。毎月なにかしらの催しがあるのだが、誰が企画しているのか。
「レティちゃんも可愛くしてるんだ。イベントあるから、二人で参加したらどうだい? 優勝したら豪華な景品がもらえるらしいよ!」
渡されたイベントのチラシ。そこに書かれていた景品の文字に目が奪われた。気球のペアチケット。月に最も近い場所で愛を誓えば、二人は永遠に離れない──月の国に伝わる有名なジンクスだ。そのため、この国の恋人たちはできるだけ高い場所で愛を誓う。
「景品かぁ……でも、俺たち今日は別の用事が」
「旦那様、参加しましょう!」
「ええ? 情報収集はーっ!?」
私はノクト様の腕を引っ張り、イベント会場へと向かった。別に愛だのなんだのに興味があるわけではない。永遠に離れない──月の呪いを解く方法、それを探している私たちにぴったりの願掛けではないか。決して恋人気分を味わいたいからではない。決して。
「紳士淑女の皆々様! ランタン祭りへようこそっス〜!!」
巨大な魔導具が浮かぶ広場の中心に特設ステージが組まれていた。フィルマ様が魔導拡声器を手に進行役を務めておられる。根っからのお祭り男なのだろう、大変生き生きとしていらっしゃる。
「本日の目玉イベントは心を繋いで、月虹の旅路! 二人を阻む三つの困難を乗り越えた者に、気球のペアチケットをプレゼントっス」
チラシを見ていなかったため、ノクト様は景品の内容を聞いて衝撃を受けておられた。
「気球なんて危ないし、や、やっぱり止めておかないか?」
止めてほしい、の間違いだ。なぜなら旦那様は高所恐怖症だから。重々承知しているが、こちらも引くわけにはいかない。
願掛けをしたいというのもある。しかし、散々我が主人は私の気持ちをかき乱してこられたのだ。少しくらい痛い目を見ていただこう。斬られる覚悟がなければ、斬ってはならないのだ。
「旦那様……いい子ですから、私のお願い聞いてくださいまし?」
体を軽く擦り寄せて上目遣い、そして吐息混じりに懇願してみせた。ノクト様の愛読書にあった、男性を魅了する女性の真似だ。
厳しい言葉や冷たい視線のほうがお好きだから少し不安だったが、大成功らしい。顔どころか耳まで真っ赤にして、動揺からか目がきょろきょろと忙しなく泳いでいらっしゃる。
「覚えてろよ、レティ……!」
手で口元を覆いながら絞り出されたお声は、どこか熱を帯びているようだった。




