第30話 旦那様のためならなんだってできます!
旦那様が選ぶ運命の伴侶。その方にも自分はお支えするものだとばかり思っていた。「もう花嫁は探さなくていいよ」──そう宣告されて数日が経とうとしている。私に対する態度が目に見えておかしくなったのも、その日からだ。
「なんの魔導具を作っておられるのですか?」
「んー、まだ秘密。すごいの作ってるから、完成を楽しみにしていてくれっ!」
私の膝を枕にしてノクト様は魔導具を作っておられた。ルナも乗っているから身動きがとれない。太ももの上は満員御礼、ぎゅうぎゅうである。
旦那様はこのところ領主としてのお仕事をしていらっしゃらない。午前中に必ず終わらせていた書類仕事もアドリ様に任せきり。時折、様子を見に行ったりはしておられるが。お昼からの彷徨い人を探す巡回にも出られない。屋敷で魔導具を作り、歌劇の原作を読み、他愛のない会話を楽しんで一日が終わっていく。
「旦那様、お飲み物をお持ちしましょう」
「喉、乾いてたのか? 言ってくれたらよかったのに」
「いえ、私が」
ご用意します、と言う前に、執務室の扉から飲み物を運んできたメイドが現れる。おそらく人を呼ぶ魔導具をお作りになったのだろう。なんでも作ることができて羨ましい限りだ。従者がいるのだから、そんなもの作る必要なんてないのに。
というより、体調を崩してからというもの従者らしい仕事をしていない。いや、正確に言うとさせてもらえない。メイドやアドリ様に命じてしまわれるので、私はただノクト様の横で話し相手になっているだけだ。
「あだだ……お前ぇ誰が主人かわかってるのかぁ?」
「みゃーん」
「なんだとっ、イーエン家の次期当主はルナだったのか?」
また変な設定で話しかけておられる。子猫が大きく伸びをしたせいで、ノクト様は端に追いやられお顔が潰れていた。作業も一区切りついて休憩されることにしたらしい。
ルナのふわふわした毛並みをこねくり回していると、お腹に大きな頭がぐりぐりと擦り付けられる。
「ルナだけずるい」
「猫と張り合わないでください」
「いまだけ俺も猫だ。さあ、撫でてくれ」
仕方なく触れるか触れないかの距離で撫でると、目を閉じて気持ちよさそうにされている。こうしていると、甘えん坊で寂しがり屋な変わらぬノクト様なのだが──。
不意に、動かしている私の手が掴まれた。しばらくにぎにぎと感触を楽しまれていたかと思ったら、ご自分の口元に手をもっていこうとする。
「お、おやめくださいましっ!」
声を荒げて叱責などしたくない。けれど、こうでもしないと止めてくださらないのだ。このところスキンシップが行き過ぎている。親愛の情を示す程度ならば構わないが、こんな、こんなのって……!
「どうなさったというのですか!? 急に花嫁は探さなくていいだとか、過剰に触れてきたりだとか……最近の旦那様は変でございます!」
ぴょんとルナは怯えてソファの下に隠れてしまった。ここ数日で心臓が何度飛び出しそうになったかわからない。彼の考えていることに理解が及ばなくて限界だった。こんな責める真似なんてしたくないのに。
ここでやっとノクト様は手を離してくださる。「ごめん」とおっしゃる声が甘くて、もっと聞いていたいと思う自分が嫌になった。
「やっぱりレティにはばれちゃうか」
起き上がったノクト様は窓の下に立った。月光が彼を照らしている。窓から見える今日の月はやけに赤い。
「本当は死ぬのが怖かった。月の呪いから逃げ出したいけど、そんな勇気もなくて……でも」
どこか遠くに行きたいと思ったことはありませんか。かつてそう聞いたのは自分だった。同じ窓の下で「どこにも行かない」と答えていたのは、彼なりの強がりだったのだろう。
「俺の未来を望んでくれる人が──レティがいるから、生きたいって思うんだ!」
「ああ、旦那様! 旦那様……っ!」
奇跡は本当に起こるのだ。ずっと待ち望んでいた言葉。自分のことは誰よりも後回しにしてしまう、弱くて優しい人が「生きたい」と願ってくれている。
どんな贈り物よりも嬉しくて、打ち震えた体が抑えられなかった。手を伸ばせば胸元に届く距離で、祈りを捧げるように彼を見上げた。
私はノクト様に許してもらえたんだ。私は大事な人のために足掻くことができるんだ。
「見つけてみせます、旦那様が死なない方法を、絶対にっ! 私、旦那様のためだったら──なんだってできます!」
ぐっと身を引き寄せられて、背中にノクト様の手が回される。幸せ──なのに、息ができない。骨が折れてしまいそうな力で抱きすくめられるものだから、痛くて苦しい。身を捩っても解放してもらえず、生理的な涙が滲んだ。
「二人で宝物みたいな思い出をいっぱいつくろう。なぁ、レティ……?」
手のひらを返したように生きたいと言い出したこと。妙に芝居がかった言い回しをされていたこと。少し冷静になれば違和感に気づけたはずなのに。
このときの私は自分のことばかり考えていて、ノクト様の異変など微塵も感じていなかった。




