第29話 旦那様の花嫁探しはもうしなくていいってどういうことですか!?
「ルナ、いけませんよ。来客中ですから」
我儘な子猫のお姫様が求めていたのはご飯ではなかった。ノクト様の執務室の前で、律儀に座って小さく鳴いている。扉が開いていれば興味のなさそうな顔で動こうともしないのに、閉まった途端「開けろ」と催促してくる。猫の七不思議である。
自室に連れ帰ろう。ルナを抱き上げればいいだけなのに、息を殺している自分がいた。中から聞こえてくる話し声がどうしても気になってしまう。盗み聞きなんていけないと思いつつも、ぴたりと耳をドアにつけた。
「ほい。今月分の討伐報告書だぞ」
「六件、か。増えてるな……すまない、ヴァン」
ヴァン様が討伐報告書を領主であるノクト様に提出されているようだった。私たちがどれだけ街を見回ろうとも、生きている人間とさほど変わらない彷徨い人を見つけ出すのは至難の業だ。間に合わず、魔物化することも往々にしてある。
そうなってしまったとき、自警団が人々を守るために魔物を討伐するのだ。
「そんな遠慮、別にいいって。仕事だし?」
なんの変哲もない日常会話。好奇心に負けて聞き耳を立ててしまったが、やはり大人しく部屋に戻った方がいいだろうか。
足元ではルナがお腹を出しながら甘えていた。可愛らしい姿を見せれば思い通りになることを学習している。
「最近は体調もいいんだ」
「そりゃなにより。あと二年なんだからご褒美は堪能しとけ〜?」
「月送りのことヴァンが教えてくれたおかげだよ。他にも、いろいろ」
なんてことだろう。月送りの真実、それをご存知なのはアドリ様だけではなかったのか。ご褒美とはなにか、なぜヴァン様が知っておられるのか。そんな瑣末なこと、いまはどうでもいい。
『迷いがあるのなら知ろうとしてはいけません』
もちろん迷いはあります、と心の中でアドリ様に話りかける。それでも教えていただきたい。ノクト様の助かる道が確かにあるのなら。カリカリとルナが爪で扉を引っ掻きだした。私もノックをするため拳を作って腕を上げた──と、同時にドアが開かれる。
「レティ?」
きょとんとした顔で、ドアノブを片手に握るノクト様と目が合った。ルナの爪の音に気づかれたらしい。彼の足をすり抜けて子猫は中に侵入していく。すぐに奥からヴァン様の豪快なくしゃみが聞こえてきた。
「ダメじゃないか、寝てないと!」
「申し訳ございません。ですが、私……」
「ほら、部屋に戻るぞっ」
くるりと肩を掴まれて体ごと向きを変えられる。ぐいぐいと背中を押されるものだから、足を止めることができない。振り向くと、ひらひらとヴァン様が手を振っていた。
「レティ、はやく元気になってねー」
自室のベッドに逆戻りさせられた私はやきもきしていた。追いかければヴァン様にお話を聞けるのに。それを見抜いておられるのか、ノクト様は厳しい監視の目を光らせている。水で濡らした布を絞って、べしっと勢いよく額にそれを乗せてこられた。
「すーぐに脱走するんだから、レティは」
「私は猫ではありません」
ご自分のほうがいつも猫みたいなことをしている癖に。ふてくされて顔を背けると、首に冷たさを感じて体が思わず跳ねた。触れられている?
「あんまり離れるんだったら鎖でつないでもいいんだぞ」
首の細さを確かめるように手が這っていた。調子は普段のノクト様となんら変わりはない。だが、何度も首筋を往復する手のひらが冗談ではないぞと脅してくるみたいで──怖い。
「嫌、です」
「じゃあ、ちゃんと薬飲んで寝るんだっ」
ゆっくりと名残惜しそうに指先が離れていく。記憶の中の主人は、どれだけ機嫌が悪くなろうとも拗ねるくらいだ。明らかに様子がおかしい。ただ、なにがおかしいのかはっきりと言葉にできない。
「ヴァン様となにを話されていたのですか?」
「……あー、討伐報告聞いてただけだよ」
はぐらかされた。素知らぬ顔で、薬と水の準備をしてくださっている。
「はい、レティ」
薬を飲むために体を起こし、水で流し込んだ。きちんと飲めて偉いぞ、と頭を撫でられる。完全に子ども扱いだ。それなのに、褒められて嬉んでいる自分は相当単純な人間らしい。
月送りのことはヴァン様に直接お聞きしよう──ああ、そういえばすっかり忘れていた。サイドテーブルの引き出しから、彼と出かけた日に書いた女性たちの釣書を取り出す。
「旦那様、こちらを見ていただけませんか」
「なにこれ?」
「街にいる女性たちの釣書でございます。私が書いたものですが」
釣書を見たノクト様は、くくくと笑いを堪えている。私の描いた人相書きがよほどお気に召したらしい。
「相変わらず味のある絵を描くなあ」
「画力なんて幻をつくるのに関係ありませんので」
お眼鏡にかなう方がいらっしゃれば、その女性の幻をつくり上げて観劇デートをする。あのとき私が感じた幸せな気持ちも、忠実に再現すれば失態は繰り返されないはずだ。
「お好みの方はいらっしゃいますか? どの女性も素晴らしい方で」
「ごめん、レティ」
ぼっ、と燃える音がした。ノクト様の手にあった釣書が魔法の赤い炎に包まれていく。一瞬で灰となった紙の燃え滓は、床に落ちるよりはやく、風に囚われて消えた。
目の前で起きたことも言われたことも飲み込めない。なにか気に障ることをしでかしてしまったのだろうか。それにしては旦那様の表情はぞっとするほど穏やかだった。
「もう花嫁は探さなくていいよ」




