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第23話 旦那様の仮病なんてすぐにわかるんですからね

 すりおろした林檎、冷たい水を張った(たらい)とそれにかけられた白い布。アドリ様が無言で押し付けてくる「よくばり看病セット」を人生で何度見たかしれない。両手がふさがった私の代わりに、イーエン家の家令は旦那様の寝室の扉を開けてくださった。

 ノクト様は部屋でシーツにくるまっていた。目から上だけを出して、こちらを見ている。


「体調が、良くないんだ」


 デートに行かせたくないからといって強硬手段にも程がある。なんとわがままな猫だろう。子猫のルナのほうが物分かりがいいかもしれない。


「……体温を測りましょうか」


 私がどれだけ介抱してきたと思っていらっしゃるのか。熱に浮かされたときの目の潤みも赤みもない。肩で息をする様子も、寒気からくる震えもない──完全な仮病だ。だが、一つだけ厄介なことがあった。


「微熱、ですね」


 旦那様は基本的によく動き回り、活発な方だ。とはいえ月の呪いに体を蝕まれていることもあり、根はひどく虚弱でいらっしゃる。あまり喜ばしいことではないが、微熱くらいならすぐに出てしまうのだった。


「でも頭が痛いっ」


 そう言われてしまえば手詰まりだ。ノクト様の執務を、今日はアドリ様が代理でお務めになるだろう。都合がつかなくなった旨を、メイドからヴァン様に伝えてもらうしかない。


「今日はゆっくり休みましょう、旦那様。看病いたします」

「いつも悪いな、レティ。出かけたかっただろうけど……熱だからしょうがないよな!」


 それはもう満面の笑顔だった。私がどこにも行かないとなった途端、すりおろしたりんごを勢いよく食べはじめる。おでこを冷やす布を絞りながら、私は鼻で小さくため息をついた。

 はじめは観劇のお話をされたり、読書を楽しまれたりと元気そうになさっていたが、しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてきた。昔に比べて随分と体力が落ちてしまわれた。こうやって寝込むことも増え、旦那様の終わりのときは刻一刻と近づいている。


『私は偽りの月には還らない』


 フェルガント様はノクト様のお体に還らなかった。月送りには、月の呪いには、隠された仕組みがあるのではないか?

 もしそこに助けられる道があるのなら、私は──。


「レティ、迎えにきたぜ〜」


 ノックもなしに扉が開くと、そこに立っていたのはヴァン様だった。大きな物音に「んん……」と、ノクト様が寝返りを打たれる。


「ヴァン様、申し訳ございません。本日は旦那様の体調が優れず」

「ああ、メイドから聞いた聞いた。どうせ仮病だろ? 図体でかい子どもの世話は大変だな」


 眠るノクト様の鼻を、ヴァン様は思いきりつまむ。ふがっと声が漏れるのを見て、にんまりと悪い笑みを浮かべておられた。付き合いが長いのもあり、デートを阻止するための仮病だとあっさり見抜いていらっしゃる。


「看病くらい、それこそメイドに任せときゃいいでしょーよ」

「ですが」

「ノクトの花嫁、探すんじゃねーの?」


 旦那様は眠られたばかりだ。きっとまだ起きない。抜け出しても、予定どおり昼前に戻ればお気づきになることもないだろう。


「……わかりました。支度をしますので、少しお待ちいただけますか?」


 目の端で、ブローチが光を反射したのが見えた。これをつけていると居場所が筒抜けになってしまう。どうしようかと迷ったが、自室に置いていくことにした。私がいなくなっても、旦那様は大丈夫なはずだ……きっと。


「いざ初デート! 参りましょう、ヴァン様!」

「戦いにでも行く感じ?」


 街に繰り出した私たちが最初に向かったのは酒場だった。


「いらっしゃい、ヴァン! 今日もまた違う子と来てるのかしら?」

「人聞き悪いこと言うなよなぁ。今日のダンスも楽しみにしてる」


 中に入ると、ヴァン様とお知り合いらしい快活な女性が私たちを案内してくれる。なんとも親しみやすい雰囲気をお持ちの方だ。やはり、数多の女性と縁のあるヴァン様を頼ったのは正解だった。


「あの踊ってる子。気立てよくて、面倒見いいし……なにより美人だろ?」


 実のところ、この街でノクト様のお相手を探すのは容易ではない。彼は領民と仲が良すぎるのだ。お人柄が筒抜けなので、お嫁に来ませんかと言っても「遠慮します」で終わってしまうのである。

 奢っていただいたクリームソーダを飲みながら、自作の釣書を作る。魔導カメラなど高価なものは持ち合わせていないので、下手ながらも人相を絵に描き起こした。


「レティってさ、独特な絵を描くね」

「あまり得意ではないんです」


 ヴァン様が口元を手で隠し、ふふと息を漏らす。笑わないでいただきたいが……文字も絵も昔から苦手なのだ。アドリ様に厳しく仕込まれたにもかかわらず、なにが悪いのか、自分でもわからないほどに下手である。

 手で「かして」と合図されたので、紙とペンを渡した。ヴァン様の指先がさらさらと動き、紙の上に踊り子の女性が生み出されていく。出来映えの差は歴然だった。


「ヴァン様は手先が器用ですね」

「まあね〜? この魔導銃も俺が作ったんだ」


 魔石を組み込んだ武器までお作りになれるとは。ここまで旦那様と似ていらっしゃると生き別れのご兄弟かなにかだったりするのかもしれない、なんて。


「じゃ、次は仕立て屋にでも行こっか」


 店を出る前に、酒場の看板料理であるサブレを購入する。ノクト様へお土産──きっと喜んでくださるはずだ。会計を待つ間、ヴァン様はなぜかずっと苦笑いを浮かべておられた。

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