第21話 蝶は旦那様に還らず、愛しい人のもとへ飛んでいきます
「なぜ泣いておられるのです、ペルシスタ様」
胸に勢いよく飛び込まれても、フェルガント様はよろめくことすらない。ずっと望んでいたことが叶ったというお顔で、ペルシスタ様を抱きしめていた。
名前を呼ぶ声は、彷徨い人の騎士を見つめていた彼女と同じで──ただただ優しい。
「お前のせいよ!」
記憶を失い、感情までも欠け落ちてしまった愛しい人。積もり積もったペルシスタ様の想いが、堰を切って涙とともに溢れ出す。
「死んで証明できる愛などないって! 生きてわたくしを守るって、言ったのはお前なのにっ!」
騎士の胸元を王女は何度も拳で打った。それを受けてもフェルガント様は微笑を絶やすことなく、腕の中の彼女を離さない。
「どうして、わたくしを一人にしたの!!」
嗚咽だけが中庭に響いた。取り乱す母の姿を見るのが、きっと初めてだったのだろう。レヴェヴィア様もつられて泣き始めてしまった。声を上げ、母親に縋りついていく。
「ままぁ、ままぁ!」
「……っ! ごめんなさい、ヴィア、ごめんなさい……っ」
ペルシスタ様はお一人ではないのだ。泣きじゃくるご子息の顔を見て、それを思い出してしまわれた。彼女は崩れ落ち、その場に座り込んでしまう。
「ヴィア。お母様をお守りできるね?」
息子のかたわらで父は片膝をつき、確かめるように視線を合わせた。
「うん、ぱぱ! ぼく、ままのきしだもん!」
「それでこそ、私の息子だ」
レヴェヴィア様の頭を大きな手のひらが何度も往復する。フェルガント様は満足した面持ちで立ち上がり、こちらへ──私とノクト様の方へと歩いてこられた。
「エクレティカ、凛然たる月の剣士よ」
「はっ!」
自分の名を呼ばれただけで、ぐっと背筋が伸びる。同時に、身構えてしまった。月送りをしたあと、旦那様の体調が戻るまでの時間がどんどん長くなっている。これほどの魔力を持つ彷徨い人を還せば、血を吐くだけでは済まないかもしれない。
そんな不安を見透かしたのか、フェルガント様はフッと表情を緩められた。
「安心しろ、私は偽りの月に還らない。この魂は愛しい方とともにある」
偽りの、月──?
ノクト様なら知っているのだろうかと目を合わせれば、彼もまた分からないといった風に首を振る。問い返す間もなく、フェルガント様の体が光を帯び始めた。
とうとう還ってしまわれるのだ。ペルシスタ様が再び駆け寄ろうとするも、足がもつれて動けなくなってしまっている。
「私の愛しいお姫様、どうか笑ってくださいませ」
「フェルガント!」
腕を伸ばしても、ペルシスタ様は彼を抱きしめることができなかった。周囲をおびただしい数の蝶が舞う。騎士の魂は黄金色の蝶となり、確かに二人のもとへ降り立った。
「ちょーちょだー! まてまてー!」
レヴァヴィア様は無邪気に蝶を追いかけている。フェルガント様であった魔力の塊が、例によってノクト様に向かってきた。咄嗟に体が動いた。月送りができるのはイーエン家の当主だけ。私が立ちはだかったところで意味はない。
それでも、大切な人が苦しむのを見ているだけなんて嫌!
ひゅう、と聞こえたかと思うと、強い風が頬を掠めた。無数の蝶が通り過ぎていく。あまりにも勢いが猛烈で、私はノクト様が連れて行かれないように、彼もまた私が飛んで行かないようにと、お互いをきつく抱きしめた。
しばらくすると風が止んだ。目を開けると、そこには見たこともない光景が広がっている。蝶は列をなし、空に浮かぶ巨大な三日月へと吸い込まれ──その群れは夜空に光の川を作り出していた。
「旦那様、お体は!?」
「なんともない。フェルガント殿は、本当に月へ還ったのか……?」
これまで幾度となく月送りの場に立ち会ってきたが、こんなことは初めてだった。
フェルガント様が旦那様を守ってくださったのかもしれない。あの方は騎士であり続けたのだ、最後まで。
「フェルガント」
かたくなに傍らを離れなかった一匹に、ペルシスタ様は呼びかける。そして、そっと口づけた。
「さよなら。わたくしの愛しい騎士」
別れの言葉とともに、蝶はその手を離れて月に飛んでいく。空を仰ぐペルシスタ様の横顔は見えなかった。
けれど、フェルガント様が願った笑顔でいらっしゃる。そう思いたかった。
「野良猫……いいえ、エクレティカ。ありがとう──お前のおかげで、やっとフェルガントに別れを言えました」
「もったいないお言葉にございます、ペルシスタ様」
過分な言葉に頭を下げていると、肩に強い衝撃が襲ってくる。そこには頭だけが見え、彼女の全身は小刻みに震えていた。
「我慢して、意地を張って、後悔して。お前がわたくしと同じことをしたら許さないから」
「……はい……っ」
「わたくしとの約束、守りなさい、。お前も絶対に守りなさい……っ」
私は一緒に泣くことしかできない。互いの肩に顔をうずめ、涙を隠して。ふと、背中に手が添えられているのを感じた。ノクト様が大きな腕で、私たちをまるごと包み込んでくださっている。
フェルガント様、見ておられますか。ペルシスタ様とのお約束を、私も必ずや守って見せます。誇り高き騎士であった、あなた様と同じように──。
♢♢♢
「にゃんにゃん! どいて、どいてよお!」
「ヴィア、静かにしないとこの子がびっくりしてしまうわ」
お屋敷の広間ではルナがすやすやと眠っている。ソファに腰掛ける第三王女の膝の上で、である。自分がそこに座りたいのに、子猫に先を越されてレヴェヴィア様はご機嫌が斜めになっていく。
「ペルシスタ様、紅茶にございます。レヴェヴィア様にはクッキーですよ」
私が二人をもてなしていると、仕事を終えたノクト様も不貞腐れた様子でソファに腰を下ろされた。抜かりなく用意していた彼の分の紅茶をお出しする。
「いくらなんでも遊びに来すぎじゃないか?」
「友人に会いに来ているだけじゃない」
月送りが終わってから、彼女はイーエン家を出られた。屋敷の客間で暮らしてもいいとノクト様は勧めておられたのだが、街の一角にある小さな屋敷で居を構えられたのだ。距離が近いこともあり、結局ほぼ毎日顔を出されている。
「そうだ、ペルシスタ嬢。これ、レティから頼まれていたものなんだけど」
ノクト様が短剣を机に置き、彼女の前へずいと突き出した。決闘の際、私が二つに切断してしまった大剣──そのわずかに残った刀身から、短剣を作ってほしいと旦那様にお願いしていたのだ。
「余計かとは思ったのですが……形見にと」
一度折れた剣は武器として使うことはできない。だが、持ち主とともに戦ってきた記憶は消えることなく美しさへと昇華される。
黒皮の鞘には金の装飾が施され、縁には小粒のガーネットが散りばめられていた。フェルガント様とペルシスタ様を彷彿とさせる装飾。
さすがとしか言いようがなかった。こと、物作りに関してノクト様の右に出る者はいない。
「本当にお前は可愛い野良猫だわ」
大切にするわね、と呟いて、彼女は短剣を撫でた。繰り返し、繰り返し撫でていた。
「俺には!? 加工したの俺なんだけど!」
「そうだわ、エクレティカ。ノクトの従者なんかやめて、わたくしの従者になりなさいな」
喚き散らす旦那様をものの見事に受け流し、王女様は私を隣に座らせて顎を持ち上げながら誘惑してこられる。対して、ノクト様はレヴェヴィア様の癇癪など比にならないほど、みるみる機嫌を悪くしていった。
「もおぉ、すぐこうなるんだから! レティの人たらしーっ!!」
以前、へィメンでフィルマ様とお話ししていたときとまったく同じ顔で、拳で机を叩いていらっしゃる。今度は機嫌を直していただくのに、いったい何日かかるだろうか。




