第19話 大炎上した旦那様の婚約破棄──真実を知った従者は素振りを百回こなします
レヴェヴィア様のお父上はフェルガント様だった。それはつまり、ペルシスタ様のおっしゃっていた「とびっきりの恋」のお相手が、王国一と名高い彼女の騎士であることを意味している。しかも、その方はすでに亡くなって彷徨い人となっている?
「さすがに頭が追いつきません……」
混乱しすぎて軽く熱に浮かされた私は、広間のソファに沈み込んでいた。レヴェヴィア様も遊び疲れたので帰ってきたのである。
冷やしていた目からハンカチを少し持ち上げ、フェルガント様をうかがった。彼は沈黙を貫き、棒立ちでご子息を抱きかかえていらっしゃる。
「旦那様、城の使者からこちらが届けられまして」
アドリ様も広間にいらっしゃった。この時間ならまだ中庭にいらっしゃるはずなのだが。
「どうした、アドリ。手紙?」
アドリ様が困り顔で書状をお渡しになると、今度はノクト様の顔に困惑の色が広がっていく。
「ペルシスタ嬢、あなたに手紙が届いているのだが……」
受け取った紙を手にしたまま、旦那様はそれを渡すべきか決めかねているようだった。無理に読むことはないが、とか、いや読んでいただかねば俺が、と一人で葛藤していらっしゃる。
そんな彼の手からペルシスタ様は手紙をひったくるやいなや──。
「なにをされるのですか、ペルシスタ様!?」
「うるさいわよ、野良猫。わたくしは父と同じことをしただけ」
びりびりに引き裂いて投げ捨ててしまわれたのである。紙が吹雪となって舞っている。あまりにも突飛な行動に、私は大きな声をあげてしまった。
拾い集めるため、慌てて床に屈む。そこで目に入ってきたのは、許しを乞う言葉の羅列だった。破れてしまって全容はわからない。だが、父ということは差出人は国王で間違いないだろう。
「誰も彼も愚かだわ。父も──」
ペルシスタ様はヒールの音を高く響かせて、ご自身の騎士の前にお立ちになった。そして、その腕からレヴェヴィア様を奪い取っていく。
「フェルガント、お前もね」
しばらく誰も部屋に近づくなと言い残し、彼女は客間へと戻ってしまわれた。フェルガント様はそれでも後を追っていく。
広間にはノクト様と私だけが取り残された。
「レティ。昨日ちゃんと話せなかったこと、聞いてくれるか?」
「……はい、旦那様」
まっすぐに逸らされることのない虹色の瞳。今度は私も逃げない。ノクト様からも、ペルシスタ様からも。
「えっと、どこから話せばいいんだろ。俺が婚約破棄したときのこと、覚えてる?」
「はい。三年前の豊穣祭だったと記憶しております」
三年前の豊穣祭。実りの国の王城は華麗なダンス、贅沢を尽くした食事、世界各地から集った要人たちの談笑で満たされていた。
まさにその只中で、我が主人がしでかした婚約破棄を知らぬ貴族など誰もいない。
『ペルシスタ・ツィトルス! 俺は、真実の愛を見つけたんだ!』
市場に売られている本で何度見たかわからぬ台詞を、役者のごとく両手を広げて言い放つノクト様。
真実の愛を見つけたと宣言しながらも、傍らに寄り添う相手はもちろんどこにもいない。周囲の視線が白けていることにご本人だけが気づいていなかった。
第三王女たるペルシスタ様を、一侯爵に過ぎぬノクト様が──国王陛下に無断で──婚約破棄するなど前代未聞である。治める地が高魔力者を輩出する国の要であり、月の国の特別な事情から領主として代えの利かぬ立場であったからこそ大事にならずに済んだものの……本来ならば貴族籍を剥奪されてもおかしくはなかった。
「そのときにはもう、彼女のお腹にレヴェヴィアがいたんだ」
王女と付き従う騎士の間に特別な関係があったこと。またも知らされるお二人の真実に、危うくソファから崩れ落ちそうになった。欠片も気づいていなかった自分の鈍さにも愕然とする。
「二人は幼い頃から恋仲でね。それを隠すために俺と婚約してたわけだ」
仮面夫婦ならぬ、仮面婚約だったなんて。旦那様に想いを伝えられぬ私をペルシスタ様が笑っておられたのは、騎士様と比べておられたからだったのか。
「突然、旦那様が婚約を破棄されたのは……」
「子どもができたから、ペルシスタ嬢は駆け落ちをするつもりだったんだ。そこで大袈裟な婚約破棄をして、俺に注目を集めたんだけど」
許されぬ恋路を歩む二人に残された道は、駆け落ちという強引な一手しかなかったのだろう。王国が誇る騎士とはいえ、王女に手をつければ死罪を免れない。
「やっぱりバレてしまって。激昂した国王陛下は、彼を落花の先遣隊の隊長にしてしまった」
落花の先遣隊──それは世界を救うために編成された部隊。四方を海に囲まれた呪いを振り撒く国があり、その地を浄化すればあらゆる厄災から解放される。
「フェルガント殿は命令に従った。ペルシスタ嬢に伝えないまま」
だが、聖女と呼ばれる存在がなくては生きて辿り着くことすら叶わないのだ。溢れ出す呪いのせいで。言うまでもなく、今も昔も実りの国に力のある聖女はいない。世界救済などただの詭弁で、落花の先遣隊を待つのは確実な──死。
「……待ってください。では、なぜあの方はここにいらっしゃるのですか?」
「彼は月の国出身だった。だから帰ってこられたんだよ、彷徨い人になってね」
なんというお方だろう。あの地から戻った人間など聞いたことがない。
「戻ってきたフェルガント殿は、なぜか月送りをしても還らなくて。療養という名目を借りて俺が保護することになったんだ。身重だったペルシスタ嬢も一緒に」
それからレヴェヴィア様を無事にお産みになったのだろう。月の国の修道院で家族三人、穏やかに暮らしておられた。
これが旦那様が隠していた真相。すべてが、自分のなかで繋がっていく。
「二人の名誉のこともあったから、言えなくて。ごめんね」
「なにも知らない身でありながら、勝手なことばかり考えておりました……心からお詫び申し上げます」
レヴェヴィア様の存在にあれほど取り乱していた自分が恥ずかしい。申し訳なさに耐えかね、ノクト様の顔を直視できなかった。硝子の机に映る自分の顔をじっと睨みつけることしかできない。
「彼が最後に書いた手紙。ペルシスタ嬢が読む前に国王陛下が燃やしてしまってね」
ノクト様は机の上に破り捨てられた紙を、パズルのように組み合わせていく。国王陛下の後悔と懺悔は、もう二度と彼女のもとへ届くことはない。
「彼女はなにもかも許せないんだと思う。国王陛下も、子どもと自分を置いていったフェルガント殿も」
愛する人と生きたいと願ったペルシスタ様。その人を失い独りになったペルシスタ様。自分にできることが、もうなに一つ残されていないと知ったとき──。
彼女はいったいどんな思いで、生きていたというのか。
「私、ペルシスタ様のお側に行って参ります!」
ペルシスタ様にも謝罪したくて仕方がなかった。ソファから立ち上がり、急ぎ客間へと向かう。部屋の前でフェルガント様は佇んでいらっしゃった。
その足元でルナが猫の挨拶とばかりに頭を擦り付けているが、彼は微動だにしない。彷徨い人となって長い時間が経っているのなら、記憶も感情もほとんど残っていないのだろうか。
ノックをする前に、扉の向こうからペルシスタ様のお声が聞こえてきた。
「ヴィアが寝てるの。入ってこないでね」
早々に牽制されてしまったが、それも承知の上だ。ここで待つのみである。旦那様や騎士様と同じく、私も待つことは得意なのだ。
魔法を使われたら、心の声が彼女に聞こえてしまう。迷惑になるだろうから、精神を集中して素振りを百回こなそう。
「そんなことしたら本気で怒るわよ」
ドアの隙間からペルシスタ様がひょっこり姿を見せるなり、扇で軽く頭を叩かれた。
「お前はノクトの従者でしょう。わたくしに構わないで」
「今はペルシスタ様のお付きですので」
「ああ言えばこう言うのね」
従者は主人に似てしまうものです、と返すと彼女は仕方なく中へと招いてくれる。漏れたため息は、やはりどこか嬉しそうだった。




