Lv91 目元
「大人しくしてて」
「んん! ふがぁ…!!」
言葉の通じない…なんて言ったらさすがに酷すぎるか。言葉の響かない藤井カナト君は、やっぱり荒々しく暴れている。
『お前らはどうなんだよ!』
さっき、この人が円卓で言った言葉が、胸に張り付いて取れない。
『こんな下らねえことやってる大人と一緒でいいのかよ! 義務とか命題とか知らねえよ! てめえらのやりてえことは何だ!? 仲間を裏切って心は痛まねえのかよ! 大人ぶって、器用に振舞ってるふりしてカッコつけてんじゃねえ!!』
「…心は、痛んでる」
「んがぁ?」
「当たり前じゃん。でも、でもね。飽田くんだって私だって、昔から心を殺さなきゃ生きられない環境で育ってきた」
「んんん!」
拘束具で言葉を聞き取れなくても、目の前の彼の意思は痛いほど伝わる。
でも、分かんないよね?
「誰かを犠牲にしてでも主義を貫き通す。そんな家の子供として生まれてきた。その気持ちが分かる? …ごめん、君には分かんないよね」
どうして私は、今も生きているんだろう。
△△△
『災禍の箱』。
4代に1人の確率で相伝するスキル。
「ごめんね、サイハ。ごめんね」
レベリングもしてない7歳の私は、確定したそのスキルが覚醒する前に、莫大な金と引き換えに陽月教に引き渡された。
何度も謝る母親の顔を、今でも覚えている。
その顔は、泣いていたならどれだけ救われただろうか。
「ありがとうございます、司祭様」
乾いた目元は、厄介払いでも済ませたかのように。
機械的な表情のまま消え去った。
そしてそのまま、文明玉の研究所へと連れて行かれた。
早期レベリングは、肉体への重い負担から、対象年齢は11歳以上だと法律で定められている。
そんな法律など、まるで初めから無かったもののように8歳の身体は拘束され、異能の覚醒を強要された。
「あっ…がぁっ!!」
身体中が破裂する感覚。
痛いなんて言葉も、ああ、なんて喘ぎもできない。
出てくるのは、噴き出る汗と流れる涙と垂れる糞尿だけ。
台に乗せられた一糸も纏わない裸。それを、知らない親子に晒される恥辱も感じることすらできない。
理性も知性も生も全て遮断して消えてしまいたいほどの苦痛は、丸1日続いたらしい。
「すばらしい。やはり私の計算通り。生まれた時点で選ばれた才能。器も強固。これが普通の子供なら、身体は粉々に霧散していただろう」
飽田くんの父親。痩せぎすの男…世界を終わらせることを目的とする男の口元が綻ぶ。
「箱守サイハ。君はこれから『パンドラ』と名乗りなさい。『災禍の箱』の権利を手に入れた少女よ」
私が操る『箱』に、男は出会って初めて感嘆に目を丸くする。
「帰れるの?」
聞いてみたかった。
「おうちに、お父さんとお母さんのところに、帰れるの?」
聞かなきゃよかった。
「帰れるよ」
「本当?」
「ああ、本当さ。君が我々とともに世界を平らにしてくれたなら」
10歳時分の私でも、嫌というほど理解した。
帰れない。
もう、あの家には帰れない。
お父さんにもお母さんにも会えない。
「今日からは我々が家族だ」
親子の後ろから3つの大人の影。真っ黒なローブを纏っている。
「ようこそ、タナト教団へ。あともう少し増えるから楽しみにしているといい」
それから1年後。
『箱』を熟知した私に任務が下された。
「転校生の、箱守サイハちゃんです! みんなこれから仲良くしてねー!」
A地区の私立小学校。
早期レベリングをした生徒を受け入れ、高等教育を施す。
観察。
それが私に与えられた任務。
ボス…飽田洋一郎の祖先が設立したエナジー実験地区『ゾーン・アキタ』。
伝統の長い血統・優れた才能のみを集めた区画で、人類の進化を促し、1000年前のタナトのような脅威に立ち向かえる人材を作り上げることが目的。
第一人類史では『秋田』という同じ発音の地域が存在していたらしいが、地理的には全く違う場所らしい。『関東』という『日本国』の首都近郊があった場所に、この『ゾーン・アキタ』が存在する。
飽田の頭文字を取り『A地区』とも呼ばれた区域は、長い歴史の中で本来の存在意義を忘れられ、エリートの『A地区』とも呼ばれた。
それに伴うように他の地域も『B地区』、『C地区』など、地域の戦力を格付けするように呼ばれ始めた。
そんなエリートのA地区で、『タナト』が保護されている。
初代イージスの子孫にして抗魔戦役では2000を超える魔物を単身で惨殺した男に、『タナト』の身柄は奪われている。
余力があれば奪還せよ、とのことだが、到底そんな暴挙に出ることなど不可能だった。
「じいちゃん! 今日こそは剣術の稽古してくれるんだよな!」
「んん? まーだまだじゃ。カナト。レベリングしてからじゃないと教えても意味ないぞぉ? 今は焦らず、じっくりと筋肉を鍛える。立派な野菜は立派な土壌でしか育たんからなあ」
「またそれかよ、ケチ!」
まるで血のつながった祖父と孫のような距離感。
じわじわと、嫉妬が胸の奥を刺激した。
中学もA地区に入学。飽田洋一郎の息子、飽田ヨウジが入学するまでの1年間までは在学することになっている。
レベリング式典から1ヶ月。
「箱守さんは、早期レベリングなんだよね? どんなスキルなの?」
「『土のエレメント』」
『箱』のことは伏せておいた方がいいだろう。なるべく感情も殺して淡々と。
特別仲のいい存在は作らない方がいい。任務に支障が出るし、もう大切な人と別れたくないから。
そして、戦闘の授業が始まる。
10歳の頃、早期レベリングしたにもかかわらず『Lv5』。強すぎると目立ってしまうので、あまり上げないようにしていた。陽月教の忍と同じく、警戒されないための低レベル維持。
レベルが低くても、『土』だけでも、『箱』の強さは常軌を逸していた。小さな土塊1つで大きな熊型の魔物の頭を吹き飛ばした。
「箱守さんも結構強いな!」
周囲が私の評価を見誤る。強い、の前に『結構』という言葉がついてよかった。
私よりも格上になってくれる男がいてくれて助かった。
同じクラスの水無月オボロには感謝だ。
あれが、あの水無月オボロ。
長い年月をかけて研鑽しただろう巧みな剣術は、『月光』を使いこなせていないにも関わらず、堅牢な魔物を豆腐のように切り刻む。
彼はあっという間に学年最強と呼ばれるようになった。
一方で。
「うわあ!!」
明らかに非力と見てとれる体格が振るう剣。
スライム1匹殺せない男の子は、そのスライムに突進され、尻餅をつく。
「またあいつだよ」
「弱すぎだろ」
「鍵〜。スライム1匹も倒せてないのクラスでお前だけだぞ〜」
男子たちに笑い物にされ、目に涙を浮かべる男の子。
「鍵くんがんばれ〜」
「きゃはは!」
女子の余計な声援が更に彼の立場を蝕む。
「なんで僕が、こんな目に…」
みっともなく涙を垂れ流し、スライム1匹に出鱈目な剣を何度も外しながら、チャイムが鳴った。
「なんで僕だけ…なんで…」
先生もクラスメートも水無月オボロも出て行ったグラウンドに、たった1人、砂利に崩れ落ち泣き崩れる男の子。
特別仲のいい存在は作らない方がいい。任務に支障が出るし、もう大切な人と別れたくないから。
分かってる。
こんなことをしたら、飽田洋一郎に何をされるか分かったものではないことくらい。
タナトを復活させるのに、必要なことは必要最低限してはいけない。
分かってるのに。
「大丈夫?」
小さなピンクのハンカチ。
かわいらしいウサギのキャラクターがプリントされたハンカチ。
お母さんが、人生で一度だけ買ってくれたもの。
「うう、うっ…! うん…」
今まで自分の手にしか使わなかったそれを、初めて他人の涙を拭くために使った。
「うう…うぁぁぁ…」
「…ええと…次の授業、始まっちゃうよ?」
彼の濡れた目元は、なかなか乾かなかった。




