Lv106 笑え
兄弟のいじめ問題。
先に中学に入った長子による、レベリング未完了の弟や妹に対するスキルやエナジーを使った暴力が、国家が抱える大きな問題の一つとなっている。
僕の家も、その典型だった。
「漫画本一つにどんだけ時間かけてんだよ、ユウト!」
兄に、腹を蹴られた。
「ホントにお前は、どんくせえな」
それなら兄ちゃんが買ってくればいいのに。
そんな反論をしようものなら、スキルで身体を軽く熱されていただろう。
先に中学に上がり、レベリングをした兄。小学生のまま、まだレベルを持たなかった僕。
見守る親も、止めてくれる親も、24時間付きっきりではない。
両親は共働きで、兄弟間の軋轢を見て見ぬふりをしながら、そそくさと玄関を出ていく毎日。朝ごはんと着替えを毎日入念に用意してくれるのが、僕らの面倒を見れないことへの免罪符のようにも思えてくる。
「お前、いつまで泣いてんだよ!」
次は僕の頬を張る。
痛い。
レベリングをする前からずっと、兄は僕の心身をいたぶり続けた。
それにはまだ、耐えられた。
しかし。
レベリングをしてからは、兄の力の制御が雑になれば、僕は死ぬ。
考えたくもない。
逃げる?
逃げられない。
こんな子供が外を出て行っても、警察に保護されて家に帰されるだけだ。そしたら、親にも事情が知れ渡り、兄に報復を加えられる。
どうすればいいのか。
向かう先がない。
うっかり殺される可能性に怯える毎日に、身も心も擦り切れ、消えてなくなりそうな思いだった。
声に出して、誰かに助けを求めたい。
声を出したって、きっと誰も、完全には助けてくれない。
強くなる方法。仲良くする方法。そんな無責任な持論を言うだけ言って、面倒事から逃げていくんだ。
なんで僕だけ、こんな思いをしなければいけないのか。
なんで僕の兄だけ、こんなにクズなんだ。
「だから! 守んなっつってんだよ!」
痛すぎる腹を抱えて、次の蹴りから身を守る僕の太腿に、兄の足が当たる。
助けて。
嫌だ。
もう、死にたい。
…。
ある日の夕方。
1人で歩く公園。
「あんまり調子乗んなよ、ガキ!」
兄の怒号に、心臓が跳ね上がった。「ごめんなさい」と、やったのは僕じゃないのに、反射的に謝罪が出てしまう。
相手は小学生だった。
ボールをぶつけたと思われる子の隣で、リーダー格のようなしっかり者の子が兄を説得する。
「でも、こいつはちゃんと謝っただろ? あんたも特に、怪我もしてない」
「そういう問題じゃねえんだよ! 謝っただけで許されると思うなよ!」
「ううっ、ごめんなさい…」
「だから、許さねえつってんだろうが!」
そして兄は…。
「こいつには、お仕置きが必要だな。この『スキル』でなっ!」
スキルを発動した。
軽く殴った先刻とは違う。
後天的に与えられた異能。僕を脅す時によく見せる『炎のエレメント』。
相手の首を掴んでいない方の左手に、拳ぐらいの大きさのそれを灯す。
魔物や例外的な対人戦以外では使ってはいけない異能。そんなの、小学生の僕でも知っていたのに、兄は、自分よりも明らかに弱い人間に、小さな私怨でスキルを発動しようとしている。
喜んでしまった。
兄が暴力を振るうのは僕だけじゃないんだと。
僕だけが兄に暴力を振るわれる孤独が、少しは解消された。
それに、クズ同然の兄が、よその子たちへの非行で警察に捕まってしまえばいいとさえ思った。
こんな汚い発想をしてしまうのが僕だった。
真っ向から立ち向かうのが怖い僕の、卑怯で下衆な期待。
漫画の主人公みたいに、強くて真っすぐになりたかったのに。
僕がひそかに願っていた理想の僕は、兄の短絡的な暴力によって、いつしか弱者の卑屈へと捻じ曲げられていた。
…もういいよ。
それでもいい。
「まずは、お前からだ! 優等生のクソガキ!」
誰も助けてくれなかった。
安全な場所から誰かが不幸になることを見ながら笑う人生でいいや。
早く目に焼き付けたい。
スキルで火傷を負わされる小学生たち。
それで警察に捕まって人生がダメになる兄。
早く…早く…!
「おおおらあああああ!!!!」
叫び声が近づいて来た。
その声を目にした。
レベルがなかった。
なのに…。
自転車を全速力で漕いだ少年。
「 リョウ! 避けろぉぉ!!」
リョウと呼ばれた優等生の子が兄から距離を取った。
「おい…、お前、本気か—」
「本気に決まってんだ…」
さすがにぶつかって来ないだろうと、高を括っていた兄だが、もう遅かった。
「ろうがぁぁぁ!!!」
先ほど小学生を殴ったのとは非にならない程の衝撃音が、公園に鳴り響き、兄が、文字通り吹っ飛んだ。
「へへん、ざっとこんなもんだぜ!」
茶色がかった癖毛の少年が、やってやったぜと言わんばかりに、ほくそ笑んだ。
うるさい希望が、ねじ曲がった卑屈な僕の望みを台無しにしてくれた。
せっかく諦めようとしたのに。楽になろうとしたのに。
なんで、邪魔するんだよ。
勇敢な彼のせいで、僕はまた、強さを目指してしまった。
あの人みたいに、笑い飛ばして、怖いものに立ち向かってみたかった。
△△△
「勝者、上杉ユウト」
中学に入り、レベリングされて初めての試験。
希望がまた、僕を諦めさせなかった。
スキル・『神速』。
100年に1度の頻度で発現するスキル。
そんな才能に、僕なんかが選ばれた。
授かった才能で、
「お前、調子乗んなよ!」
向かってくる兄の顎を、
「勝ちたいなら…強くなりたいなら…あの人みたいに、笑え…笑え…、っはは!!」
『神速』で蹴り上げ、気絶させた。
「はは! ごめんね、兄ちゃん」
長らく続いた、死をちらつかせる暴力に終止符を打った。
「私のチームに入らないかい? 『神速』の上杉ユウト君」
「その才能、アタチらに預けてみんかの?」
上位者に選ばれた僕は、すべての学内チームに勧誘された。神器使いと『妖狐』を飼いならす逸材に声を掛けられるなんて夢にも思わなかった。
けど、
「ありがたいお誘いですが、お断りさせていただきます。すみません」
僕の求める先は、もう決まっているから。
「轟先輩」
「あん? おめえはクソ速え野郎か。はいはい、海崎のとこなり紺野のとこなり、オボロのとこなり行ってろよ、エリート君。無理やり誘っちまったが、やっぱおめえの教育はあいつらの方が適任だろ。撤回させてくれや」
「僕を、イエロースパークに入れてください」
「ほえ? お前、頭おかしいんじゃねえの?」
「はい。狂気で言ってます。弱い僕を荒くれ集団に染めてください」
即答すると、不良然とした男が、
「っははははははは!!!!! お前、おもしれえ! 採用だ!」
豪快に笑った。
そして、さっそくチームのフロアへと連れていかれる。
「上杉ユウトです。よろしく、水無月さん」
「は、はい…よろしくお願いします」
自身が無さそうな女の子。それでも『月』の彼女は、才能だな。
「お、ちょうどいいな。空気読めてんじゃねえか、ガキども」
…いた。
僕の運命を変えた。
絶望的な僕を、絶望させてくれなかった。
あの日から、変わっていない面影。
根拠のない自信に満ちた、『Lv1』の我が物顔。
藤井カナト。
僕に立ち向かう勇気を与えてくれた、運命そのもの。
△△△
選んだ道は、正解だった。
模擬戦闘で滝本君たちを守り、インターンシップでタナト教団を『太陽』とともに撃退し、ついには抗魔大祭で司祭玉を倒し、『月』を救い出した。
きっと今も。
正解なんだ。
「グァァァァァァ」
親友と僕らを守るためにタナトに身を預けた彼を、今は信じる。
だから、
「…っあはは! 本気を出させていただきます」
笑え。
来たる勝利に。
「へえ、言うじゃん言うじゃん! さっきの菱田の孫もそうだけど、最近の子たちってビックマウスなのね! チューチュー! あ、そうだ! お姉さんがチミの口内にチューチュー吸いつきながら、舌を嚙みちぎってあげようか?」
僕は、今の僕にできることを全うするだけだ。




