Lv104 ダラダラと
「また飲みですか?」
断ればよかったんだ。
「いいっすよ。嫁と絶賛喧嘩中なんで、俺の愚痴も聞いてくださいよ先輩」
すぐに帰ればよかったんだ。
謝ればよかったんだ。
俺が悪かったんだから。
仕事の多忙を理由に怒鳴った俺が悪かったんだ。
どうして素直になれなかった。
酩酊した視界。
フェンス際。
俺の住む家の近くで、燃え上がる炎。
「天木、あれ、お前の…」
最近、Y地区側のフェンスで、黒いローブを纏った集団による人さらいが横行しているらしい。
『タナト教団』を名乗る彼ら。
小さな子をさらい、人体実験を行うとも噂される物騒な奴ら。
そんな奴らがこんなY地区やらZ地区なんて、末端地区に来るはずがない。見間違い、ではないにしろ、若者のいたずらってところだろう。
だからこそ、俺は一足遅れたんだ。
心配になってよろよろと視界を揺らして走った先。
「ア…ヤ…」
綺麗な目がむき出しに開き、端正な口元からは赤々とした血が垂れていて…
「嘘だろ…おい…アヤ!!」
腹は、臓器が出そうなくらい真っ赤に開いていた。
駆け寄ろうとした直後。
「お前!!!」
レベルは無いが、俺よりも明らかに強いと感じさせる老婆の腕で地面に抑えつけられ、阻まれた。
「お前は何をしていた…何をしていた!!!」
真上。アヤの母親、菱田トヨコが人殺しを憎むような目で俺を睨んだ。
「俺は…俺は…」
涙がこぼれる。
「お前が泣くだと…」
案の定、落涙を非難された。
「気づかなかったのか」
「え…」
「そのスキルがありながら…エナジーがありながら…気づかなかったかと聞いているのだ!!!」
アヤを殺したのは、タナト教団だった。
俺たちと同じようにレベルとスキルがあってエナジーを纏いながら、それを犯罪行為のために行使する劣悪で醜悪で、『最古の異生物』…『破壊の巨獣・タナト』を崇拝する最悪な集団。
胸倉を持ち上げられ、一発…二発と殴られる。『Lv0』とは到底思えない拳の重みが、顔面の骨を軋ませる。その強さが本当に彼女の母親であることを証明する。
「その忌々しい『光』を…自分のための防御を解かぬか!!」
『光』の防御を貫くように、差し込む激痛。
「トヨコ!! 落ち着け!」
菱田トヨコの夫・菱田コウイチの非力な太い腕が老婆を俺から引き剥がす。物理的に引き剥がしたというよりは、精神的に落ち着かせたといったように、その怪物と呼ぶに相応しい暴力が離れてくれた。
「この男をいくら殴っても、アヤは帰ってこん。抑えるんだ、トヨコ」
「分かっておる…分かっておる…!!」
老婆が殴った地面。コンクリートの表面が割れ、欠片が浮き上がった。
拳に流れる血。その痛みなどまるで気に留めない様子で、
「うああああああああ!!!」
老婆は赤子のレイナみたいに号泣した。
「ユウヤ君」
「…はい」
「もう、儂らにその顔を見せるな。不快のあまり、儂も君を殺したくなる。妻に殺されたくなければ、レイナを置いてどこか遠くへ消えることだ」
彼女の夫は、努めて冷静を装いながら、俺に言葉を突き刺した。
「…はい」
レイナを置いて、という言葉に異議を唱えることなく、俺は首を縦に振った。
恐れた。
義父の冷たい眼光・そして、菱田トヨコの暴力を。
かつて、娘の夫として認めてくれた優しい眼が、俺の本質を見抜いた途端に、大罪人を軽蔑するようなものへと豹変した。
いつかの西宮先輩も、同じような目をしていた。
…。
何やってんだ。
最低だ。
他人に落胆されるのが怖い。
自分のための恐怖で、俺は自分の娘を簡単に手放した。
E地区の裏路地のバーや、J地区の高校の事務員などを転々とし、そよ風に吹かれるクズみたいにダラダラと働いて、10年後。
「見つけたよ、天木ユウヤ君。今現在、この国で唯一の『光のエレメント』」
貧弱。それが目に映る男の第一印象だった。
「私は文明玉…いや、この素性を語るのは卑怯だな」
次の言葉で俺は、こいつに襲い掛かるべきだったんだ。
「タナト教団、といえば分かるかい?」
蓋をしていた記憶が一気に蘇る。
妻を殺した憎むべきタナト教団。
それなのに、俺は。
「ここで殺し合いになっても構わないが、出来れば穏便に済ませたい」
大いなる恐怖がちっぽけな憎しみを追い越した。その証拠に、歯と歯が笑えるくらいにカチカチと音を立てる。
『Lv50』。
圧倒的なエナジー量。
感じ取る、身体干渉系のスキルの気配。
菱田トヨコに感じた時と同じ、理不尽。
「この世界を諦めている目だ。私にはわかる」
「急に話しかけてきて、何すか? …タナト教団とか、ふ、ふざけたことを…」
頭上のレベルが、冗談めいた話を冗談だと思わせてくれない。
「天木ユウヤ君。君がその気なら」
死を感じさせる細い手は、
「私たちと一緒に、この世界を平らにしてみないかい?」
天からの使いの皮を被った悪魔のように、俺の『光』へと伸びた。
世界を平らに…。
その手を、俺はつかみ取った。
掴んではいけなかっただろうに、アヤみたいに強い矜持を持てなかったから、無目的に息をして飯を食ってダラダラと生きていたから、悪に屈するのは簡単だった。
でも、この男の言うことが本当ならば。
世界を平らにしてしまえば。
「俺の悪が…」
全部、無かったことになる。
△△△
「あぁ…なんで…だろうな…」
まだ息があるのがムカつく。
完全に凍え死んでしまえば、こんなにしんどい思いをしないでいいのによ。
キノミのやつを突き飛ばしたのを少し後悔した。
ガキを見ると、咄嗟に守っちまう。良心があるようなフリをして、過去の罪を赦してもらおうとしているんだろうな。
「最後の最後まで…きたねえやつだったな…俺は…」
早く死ねよ、クソ偽善者。
アヤには会えないだろうな。
こんな生き様しといて、天国には行けない。
行く先は…。
チェーンの旦那、オクトの旦那。ウェイトの旦那。シャドウ。獅子王さん。ボス。
先に地獄で待ってるぜ。なるべく早く来てくれ、って言いたいとこだけど、納得いくまで生きてから来てくれよな。
残りのガキどもは来るなよ。ちゃんとやり直して、現世でまともに歳食いながら、たまには俺みたいなクズのことを思い出して笑ってくれ。
…なんて、かっこいいセリフを頭に思い浮かべていたのに。
「アヤ…?」
一瞬だけ目に映ったのは、現実か幻覚か。
横切る少女。アヤによく似た目の少女がドアの外を横切った瞬間。
「『│光剣』」
顕現した『光』の刃で、氷漬けにされた両手と両足の端を切り落とし、
「『治癒の光』」
何の努力もしなかった鈍い『光』で止血しながら、地面を這った。
目の前の可能性を、もう一度目に収めたくて、俺はまだ、また、ダラダラと生き残ってしまった。
菱田アヤはクソ強かったです。
藤井家の血筋の中でも、特に武器の扱いが達者で、12歳時分で剣術の中でも高難度とされる『剣閃』を『驚天動地』(奥義)以外すべて習得、武器を扱った稽古ではすでに全盛期の菱田トヨコを上回っていました。
Z地区でのタナト教団襲撃の際も、当時の最強格のメンバーに「本当に俺たちと同じ人間か」と驚かれ、「レベリングをすれば抗魔戦役時代の藤井寿太郎が再来する」と恐れられていました。




