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第7話 魔法使いの修行

部屋を探しに行ったのは、彼が仕事に出て、娘が保育園に行っている時間だった。

不動産屋の椅子に座りながら、私は妙に落ち着いていた。緊張はなかった。泣きそうでもなかった。ただ、やることをやっている、という感覚だった。いくつか候補を見て、1件に決めた。車で行ける距離だった。それだけは、条件として決めていた。

娘のそばを、完全に離れるつもりはなかった。

でも娘は、彼と暮らすべきだと思っていた。

娘はお父さんっ子だった。彼が何をしたか、娘は何も知らない。知らないまま、お父さんが大好きなままでいる方が、この子は幸せだと思った。それは本当にそう思っていた。

同時に、もう一つの気持ちもあった。

彼が何の制裁も受けないまま、何事もなかったように生きていくことが、許せなかった。娘を置いていくことで、彼に責任を持たせたかった。逃げたかったわけじゃない。自分の人生をやり直したかった。母親の資格がないと思ったのも本当だった。優先順位を考えた時に、自分を守ることを選んだ。

いくつもの気持ちが、混ざり合っていた。

どれが本当か、今でもわからない。全部、本当だったのだと思う。

娘に話す日を、決めた。

保育園の帰りに、新しいアパートまでドライブに行った。娘を助手席に乗せて、車を走らせた。到着して、建物を一緒に見た。娘は「ここどこ?」と言った。

私は娘の顔を見た。

「ごめんね」と言った。「お母さんのわがままで、離れて暮らすことになるの」

娘が私を見た。

「お母さんね、魔法使いになりたいから、修行するんだ。お母さんの勝手でごめんね。大好きなのは変わらないから」幼い娘に伝えるために、思いついた言い訳だった。

娘の顔が、くしゃっと歪んだ。

声を上げずに泣いた。小さい子どもが、声を上げずに泣く時の顔というのは、大人が泣く顔より、ずっと辛い。我慢しているのがわかるから。

私は抱きしめた。

その瞬間が、人生で一番辛かった。

後悔したかと言われれば、していない。でも罪悪感は今でもある。消えない種類のものだと思う。消えなくていいとも思っている。

心を鬼にして、進めた。

ある朝、彼をいつものように見送った。娘を保育園に送った。それから3人で暮らすマンションに戻って、最低限の荷物をまとめた。

夕方、仕事から帰ってきた彼を、玄関に呼んだ。

「私、引っ越すから」

彼が固まった。

「荷物はあとで取りに来る」と言って、新しいアパートの物件資料を渡した。驚く彼に、私は言った。

「じゃあ!」

ドアを閉めた。

外に出た。空気が冷たかった。ドキドキしていた。でも足は止まらなかった。清々しかった。本当に清々しかった。泣かなかった。走りたいくらいだった。

新しい部屋に着いた。

荷物は少なかった。でも、十分だった。自分で選んだ場所に、自分だけの静けさがあった。

その夜、1人で天井を見た。

泣くかと思ったけど、泣かなかった。ただ、静かだった。頭の中が、久しぶりに静かだった。

娘のことを思った。今頃、ご飯を食べているかな。お風呂に入っているかな。お父さんと2人で、何を話しているかな。

会いに行ける距離にいる。それだけで、十分だと思った。

魔法使いの修行、という言葉を娘に言いながら、私は本気でそう思っていた。これは逃げじゃない。自分を取り戻すための、修行だ。

ぐちゃぐちゃになった自分を、もう一度、自分の手で作り直す。

それが、始まった夜だった。

次話→第8話「おじいちゃんが怖かった」

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