116 ユズリハ紋
46日目。
朝に低レベルダンジョンを潰して、その後、弟妹を引き連れてミズイロのところに顔を出した。
香りの少ない花の籠やゼリーの手土産を携えたのは、アリアンたちから目出度いニュースを聞いたからだ。
「ミズイロ先生、ご結婚おめでとう御座います」
「「「おめでとう、御座います」」」
「ありがとう。無事な貴方たちの顔が、また見れて、嬉しいです。
大変なお務めでしたね。勇者たちに感謝と敬意を」
花のように唇を綻ばせたミズイロは、それぞれの肩にマントを掛けていく。
表は白地でシックなものだが、裏が凄い。赤の裏地には銀糸でびっしりと吉祥文様や『守護』が縫い取られている。刺繍は噛っただけだが、はっきりわかった。掛けた技術と労力だけで大したものだ。
対価なしに受け取れるようなものではない。
「拙の感謝の気持ちです。
冷たく深い地面の底にいる貴方たちを思って、針を動かしました。
これからまだ背が伸びても使えるように、マントにしましたが。新しい洋服も作らせて下さいね」
……これは、断れない。
心をろくに開けぬ子どもを心配してくれていた、優しい人の心を受けとってしまった。
「ありがとう御座います。でも、先生。仕事をしても平気なんですか?
…体調とか」
ミズイロは、またふわりと笑う。
思えば、この人も覚悟を決めてこちらの世界に飛び込んできた異邦人だ。
あの頃は毎日、緊張していたのだろう。こんな柔らかな顔は初めて見る。
「わあ、先生、綺麗」
「お幸せなんですね。良かったですわ」
「…はい。とても。
仕事はセーブしていますが、今まで大変なお務めをされていた皆さんの服を縫うくらいはさせて下さいませ。
体調はつわりもなく、すこぶる快調なのですよ。
3食におやつを食べる生活なので、すっかり太ってしまいました」
この人以外が言ったのならどこが?と聞きたくなっただろうが、痩けていた頬のあたりがふっくらして別人のように美しくなっていた。
枯れていた泉に水が戻ったように、内側から潤う生命力を感じる。
この人は良い2年を過ごせたんだな。
ミズイロは魔力吸収の首輪の代わりに、大きく目立つユズリハの文様が入った肩かけをしていた。
ユズリハは若葉が生え揃った後に、古い葉っぱが枯れる。子孫繁栄の象徴だ。
だからか撹拌世界では、【この人はお腹に赤ちゃんがいるお母さんですよ】という専用マークになっている。
若い女の人だけではなく、男も着ていることがあるのは撹拌世界ならではだ。
「ねえ、先生。赤ちゃんは男の子ですか、女の子ですか?」
マリーはわくわくと訪ねる。
「どちらでも構いませんが、彼女によく似た綺麗な鱗が生えていると嬉しいですね。こればかりは運です。
結婚してから頑張って位階は上げたんですけど、100には少し届かなくて」
おおう。恋する夢魔ってゴリラにならなきゃ気がすまんのか。
「先生の奥さまは鱗族の方でしたか。軍人さんとだけは伺いましたが」
「はい、そうですよルートさん。彼女は責任ある立場ですので、今は軍務を抜けられなくて。
先に拙が子供を産むことにしました」
位階上げしてるなら女性同士のカップルも珍しくないけど、知り合いだとやはり驚くな。ぱっと見だけなら夢魔は女性ばかりだし。
「お産はこちらで?
もし、よければ人手を寄越すよう、うちの者に話を通しておきますが」
「ありがとう御座います。ですけど、お義父さまとお義母さまが是非と仰ってくださったので、そちらに甘えてみようかと思います。
子供の体質は叶う限り伴侶に寄せて産むつもりなので、拙の知識不足でこの子に不幸があってはなりませんから」
そっと腹を押さえるその姿は、既に母親のものだった。
「それは大事ですわね!でも、なにかあったら教えて下さいましね。
赤ちゃんは皆に祝福されて生まれてくるべきですもの。お手伝いしたいですわ」
「ノベルでは離乳食の販売もしてたよー。後ね、教官に赤ちゃん用の製品とか、売ってるとこで評判がいいとこ聞いてきた。
メモのままだけど、どうぞです!参考までに!」
「お仕事に完全復帰したら、また教室に通わせてくださいね」
「はい。…はい。喜んで」
ささやかな未来の約束をして、撤収する。妊婦に負担をかけてはいかん。
…ちゃんと祝福出来て良かった。
リュアルテくんも夢魔族は苦手意識が強かったから、もっと複雑になるかなと思っていたが、この2年で踏ん切りがついていたようだ。
その一助として、撹拌世界の男は妊婦をちやほやしがちだから、オレも例外じゃなかったっぽい。それも良かった。
凄いな本能って。
ユズリハの文様を見たとたん、大事にしなきゃってスイッチが入ったもん。
「おにい、今日は挨拶回り?」
「いや、わたしたちのような者に大勢で押し掛けられるのも困るだろう。
先生のところにも、伺って平気かアポイントメントをとったぞ?」
うん。取ってくれたんだ、メイドさんが。
妊婦さんのとこに、いきなり大勢で押し掛けたりしない。
「商売してたりすると、人脈が多くなりますし、カチ合いますか」
プレイヤーの人脈なら、同業者か商売人か職人か。地元密着型なら、一般人の知り合いも増えるがそんなとこだ。
「わたしが直ぐに顔を出さなくてはいけないのは南海くらいだ。
こちらは午後に予定を入れてある。
後少し時間があるから、お前たちのレベル上げをしてしまおう」
ワールドウォークで管理ダンジョンの予約一覧や魔物の沸き具合が視れるようになったので、レベル上げには空いているところを選ぶ。
他所ではリアルと同じく魔物の沸き待ちをしなくてはいけないが、サリアータでは無縁の話だ。
訪れたのは【雨上がりの蜘蛛の巣】。サリアータの老舗ダンジョンだ。
このダンジョンはギミックとして、冒険者が入る前まで霧のような小雨が降っている。
糸に雨の滴が光の珠になって、美しい。
つまり蜘蛛の糸の視認性を上げてくれる造りだ。
「絹蜘蛛かあ。普通の蜘蛛は退治しちゃダメだけど魔物だもんね」
マリーはダンジョン受付売りの棒きれでせっせと蜘蛛の糸を巻き取っては『体内倉庫』に仕舞っていく。
夢魔の『糸紡ぎ』は一度張られた蜘蛛の巣にも対応してくれるので便利だ。
国交が結ばれた成果で、ミズイロの店で『糸紡ぎ』の発動体が買えるようになったので手に入れてきた。
今日のダンジョン選択はそういうことだ。
ちなみに絹蜘蛛だと魔物名で、蜘蛛絹だと糸や布の分類だったりする。
「チェルさんも、マリーさんも虫は平気なんですね。僕は少し苦手です」
「手のひらサイズまでの虫はあまり得意ではないですけど、ここまで大きくなると別物ですわね」
チェルの眼差しは完全に食材を選ぶ目だ。
そうだな。小さいと食べるところがないもんな。
「昼はカニのバイキングに行こうと思ったが、違うところにしようか?」
皆、カニとは言っているが撹拌世界の食事処のカニはほぼ蜘蛛だったりする。
カペリンはししゃもの名前で顔を売るような真似をしているが、それよりもずっと偽物臭が漂うやつだ。カペリンはカラフトシシャモの名前もあるから一応嘘ではないことだし。
ただ、旨いことは保証する。身は肉厚で滋味豊か。
あまり細かいことは気にならない人。もしくは甲殻類が大好きで、うんざりするほど食べたい人向けの店だ。
「いいえ、折角なのでチャレンジしたいです。そういうとこに、自分からは行きそうにないですから」
ぐっと拳を握る決意表明。
ルートは苦手なものにも嫌がらず、一度は参加してみるあたり好奇心と人付き合いが良い。
「では、いこうか。『アイスピラー』」
「「「『アイスピラー!』」」」
蜘蛛狩りは糸線保護の観点から、『アイスピラー』一択だ。
緊縛プレイしてくる絹蜘蛛相手に、弟妹を接近戦させるとかナイナイ。
ルートならやれる気がしないでもないが、蜘蛛専用に杖を作成したから使って欲しい兄心だ。
他所さまのうちの弟だけど、こうお育ちが良くて素直で可愛いのなんて近所のガキんちょにいなかったからルートは対応に迷うんだよな。つい甘くなってしまう。
「杖だとアイスピラー6発かなあ」
「6発目からは頭を狙いましょうか。それまでは面積の広いボディで」
「ええ!胴体や脚はなるべく確保ですわね!」
蜘蛛は動きがそこそこ速いから、新人さんは連れてきてない。
事故は未遂でも起こしたくないんで自重した。
こいつらだけならいざとなったらメイドさんが担いで撤退してくれるからの選択だ。
「『アイスピラー!』」
威力を高めた氷の槍でHPを削り取り、それがそのまま突き刺さる。
大顎を開けて迫る姿に高く飛んだ。
「せいっ!」
止めに打刀で頭部を刺し抜く。
割れた頭を蹴りつけた足で、そのまま横に飛びすさった。
今となっては蜘蛛に撥ね飛ばされても耐えられるだろうが、無駄にHPを減らすこともないだろう。
絹蜘蛛は真っ二つに割れた頭のまま、走り去る。Uターンしてこないので、あれで一応は死んでいるようだ。虫や蜘蛛は魔物になっても生命力が強い。
「お見事!」
パチパチとルートが手を叩いてくれる。
エンフィの弟に誉められると照れるな。アバターの体が小さいから長剣は持っていないが、リアルじゃルートも凄腕だ。きっと。
「新しい打刀はどうですか?」
得物を準備してくれたハラノが尋ねる。
「前の脇差しより少し長くて重い分、今の体だと取り回しがしやすいようだ。もう少し身長が伸びたら、太刀にするのもいいかもな」
腰の長物は護身用だ。
緊急時にも使えるように、適正位階ダンジョンより下のクラスでは練習している。
絹蜘蛛はHPを削り取った後なら柔らかい部類の魔物だから、刃物の目立てに丁度いい。
「180を越えたら、そちらの方が使いやすいかもですね。でもサプリによると、太刀は馬上用だそうですよ。
エドの方は少し小柄な方が多いみたいで、護身用なら打刀や脇差しがマストみたいな供述がありました。
………凄いですよね、日の本出版。なんでこう豊かな世界観を描き出せるのでしょう。
鍛冶師の面々なんて追加情報が出る度に、とても創作物とは思えない、術理に叶っている!と、フィーバーしてますし」
そりゃ日本は歴史は長いもん。美味しいとこだけつまみ食いしてもネタは豊富だ。
「『鋭利』持ちは良く切れる得物があると使い勝手がいい。この手の刃物は人気が出たのでは?」
「うちも鍛造の技法で作った包丁とかを使ってますけど、切れ味が違いますものね。これはいいものです」
日本刀の技法で包丁が作られてしまうのはあるあるなのかな。
この2年で鍛造の研究は進んだとかで、新しい打刀は刃紋の浮き上がりが色っぽくなっている。……っと。
「『アイスピラー』」
団体客がおいでなすったので、氷柱を増やして出迎える。
1匹は弟妹に残すが、悪いが後は総取りだ。
瞬時に魔力を練って威力を高める。その滑らかさ。魔力のギアの上げ下げも成人後はやりやすくなった。
未成年アバターを使うプレイヤーは、成人を楽しみにするといい。ぐっと世界が変わる。
「うわ。おにい、えげつな」
「『アイスピラー!』まーちゃん、お喋りは後にしましょう」
「『アイスピラー!』」
「はあい。『アイスピラー!』」
連続した氷柱の攻撃に体力を削られていく蜘蛛は、冷気で動きが鈍っていく。よし、あちらも問題なしと。
「練習に止めを刺してくる」
訓練を名目にしないと、雑事はどんどん片付けられてしまう。
「はい。伴走致します」
「『鋭利』」
走りながらスキルを乗せる。
冷気を浴びて鈍った体。しかし戦意は燃えるよう。重く殴り掛かるその脚を、小手の要領で関節から切り飛ばす。
よし、HPは尽きているな。
トラックから転がり落ちた丸太のような脚を避け、走る足は止めず。後ろから迫っていた2体目を撫で切りして、右回りに駆け抜ける。
一瞬前までいた場所に糸を吐かれたのを横目に、ダッとその体を駆け登った。その勢いのまま、無防備な頭を打つ。
ああ。
自由に動く手足。得物を振ってもぶれない体幹。全力で走って、息切れしない体!
いいな!
これは、楽しい。
「ヒェ」
「あ、あぶ、危な」
「や、や、や、止めましょう、マスター!危険ですからあっ!」
「私たちの心臓が持ちませんので!」
…………。
絹蜘蛛って推奨レベル45よ?
オレの位階70を越えてるんだけど、どう思う?
時速60キロのスピードで突っ込んでくる自家用車に跳ねられても、無傷なのがレベル50からの冒険者だぞ。
君らオレが子どもだったから、過保護だったんじゃなかったのか。
誤字報告、いいね、評価、コメント、ありがとう御座います。
今週はお盆休み中につき、次の更新は日曜日付近になると思います。
一週間お休みして書きためてからニュルリと戻って来ようと思ったんですけど、コメントを頂いて嬉しかったのでお知らせに浮上してしまいました。意志薄弱ぅ!




