第96話 段階的透明
リーデン町からの帰着から二日後。ハルフェン本部では、新しい設計案がまとめられていた。
『簡易公開モデル(仮称)』
完全な公開とは別の、段階的な枠組みだ。最低限の財務健全性の指標、主要な取引履歴の要約、外部監査による年次の確認、そして負担の軽い簡易な入力様式。四つのうち三つは既存の様式の削り直しで、新しく作ったのは最後の一つだけだった。
「完全な四欄表示ではありません」
ヴァルドが説明する。ではありません、から入る説明の仕方を、この二年で覚えた。
「ですが、信用の土台は示せます」
「参加は任意」
アルノーが付け加える。任意です、と言ったあとに必ず市場の話を足すのが、彼の癖だ。
「だが、市場は参加の意思を評価します」
エリシアは資料を読み込んだ。読みながら、四十日という数字を頭の隅に置いていた。
透明性は二択ではない。全面か、非公開か。その間に段階を作る。段階を作れば、どこに立っているかが見える。見えれば、次の一段を求められる。
「公開は基準になりました。ならば、基準に段差をつけます」
単純な緩和ではない。信用を作る入り口を広げる。広げた入り口は、あとから狭められない。
「入力様式の試作は」
「三通りあります」
ヴァルドが並べた。三枚とも罫の数が違う。
エリシアは三枚を見比べ、二枚を脇へ寄せた。寄せた二枚は、どちらも欄が多いほうだった。
「これで、何日かかりますか」
「試算では、のべ十二日です」
「四十日が十二日ですか」
「はい」
「では、十二日と書いてください」
彼女は言った。十二日と書け、という指示に、ヴァルドは一度顔を上げた。
「ゼロとは書かないでください。ゼロになったことにすると、次に減らす理由がなくなります」
数日後、王宮で設計案が提示された。レオンハルトは資料を一読して言う。読む速度が、以前より速い。
「基準を下げるのではないな」
「入り口を増やすだけです」
「最終の目標は完全公開か」
「はい。ですが、到達の速度は地域ごとに違います」
王子は小さく息を吐いた。難しい、と先に言うのは、通す気があるときだ。
「政治的には難しい。中心の都市から不満が出る。自分たちは努力した、と」
「努力を否定しません」
エリシアは静かに答える。否定しません、から始めるのは、議場で覚えたやり方だった。
「ですが、努力できる環境は平等ではありません。リーデン町では、書式を整えるのに年間四十日かかります。町で字を書ける人が三人しかいないからです。そのうち二人は工房を持っています」
「四十日、工房が止まるのか」
「止まります」
王子は資料に目を落とした。四十日、と口の中で一度繰り返している。
「その四十日は、どこに載っている」
「載っていませんでした。ですから、欄を作りました」
沈黙が落ちる。欄を作りました、という答えを、彼はもう驚かずに聞いた。
「公開は平等ではない」
王子が言う。
「だが、機会は広げられる」
エリシアは頷いた。
「制度は完成しません。常に段階です」
承認が下りた。簡易公開モデルは試験導入へ進む。決裁の紙には、反対意見の欄も付いている。二人ぶん埋まっていた。
ハルフェンから、リーデン町へ通知が送られる。文面は三度書き直した。二度目までは、支援する側の言い方になっていた。
『参加の希望があれば、支援の者を派遣します』
通知の末尾に、一行だけ添えた。
『新しい様式で、書式を整えるのに要る日数を測ってください。十二日と試算していますが、こちらの試算です』
港の灯りは安定している。中心は強くなった。次は、外側を支える番だった。外側には、まだ地図の縮尺すら足りていない。
ゼロと書かない、というのはこの作品の裏テーマのようなものです。減らした人が「なくした」と書いた瞬間、次に減らす理由が消える。次回、リーデン町から実測の返事が届きます。試算の十二日と、実測の数字が並びます。ブックマークと評価は、段階的透明の階段の一段ぶんに数えます。全面か非公開かの二択ではなく、その間の一段です。




