第80話 一時停止案
延期された採決は、三日後に再設定された。その間に、公開枠組みは対応案をまとめる必要がある。
会合室には重い空気が漂っていた。三日という期限は、議会が決めた。決めた側は、三日で何ができるかを知らない。
エリシアは、用意してきた資料を卓上に置く。
『公開枠組み・限定的一時停止案』
ざわめきが起こる。停止、という語が表題に入っているだけで、中身を読む前に椅子が鳴った。
「停止期間は三十日。新規の失敗履歴の公開を一時保留します。既存の履歴は表示形式を変更し、改善履歴を最上段に。文脈の説明を必須にします」
ヴァルドが唇を噛んだ。後退、と言うまでに、彼は一度言葉を選び直している。
「これは……後退です」
「修正です」
エリシアは静かに言う。
「制度は揺らいでいます。揺らいだまま進めば、折れます」
アルノーが問いかけた。
「止めれば、信用は戻りますか」
「分かりません」
正直な答えだった。分かりません、と先に言う癖は、この二年で誰にも直されなかった。
「ですが、傷口を広げ続けるよりは」
沈黙が落ちる。そのとき、扉が開いた。
レオンハルトが入室する。供も連れていない。彼は資料を手に取り、最後まで目を通した。読む速度が、途中で一度落ちた。
「三十日で何をする」
「設計の見直しです。文脈保護の仕組みを組み込みます。切り取りを防ぐ対策も」
「……時間を稼ぐのか」
「時間を使います」
王子はゆっくりと息を吐いた。時間を使う、という言い直しに、彼は何も返さなかった。
「止めることは、敗北ではありません」
エリシアが言う。
「ですが、続けることもまた、責任です」
視線がぶつかる。どちらも間違っていない。だが、選択は一つだ。二つ並べて残す欄は、この件には無い。
「私は反対だ」
王子ははっきり言った。
「停止は、制度への不信を固定する。揺らぎは乗り越えるべきだ」
エリシアは目を逸らさない。
「揺らぎで人が潰れるなら」
短い沈黙。人が潰れる、という言い方を、彼女は初めて公の場で使った。
「制度は人のためにあります。ですが、制度が人を傷つけるなら」
言葉が重なる。会合室の全員が息を詰めた。どちらの言い分にも、自分の持ち場が入っている。
レオンハルトは静かに告げた。
「議会に委ねる。私は維持を主張する」
エリシアは頷く。
「私は停止を主張します」
立場は分かれた。理念は同じでも、選択は違う。分かれたことを、二人とも隠さなかった。
王子が退室したあと、アルノーが低い声で言った。
「三十日で、切り取り対策が本当に組めますか」
「組めません」
エリシアは即答した。
室内が静まる。組めません、という即答を、誰も予想していなかった。
「組めるのは、失敗履歴の単独表示を禁じるところまでです。切り取りそのものは止められません。画面がある限り、人は切り取れます」
「では、三十日は何のためですか」
「制度が、無関心をやめたと示すためです」
彼女は言った。
「今までは、正確なら十分でした。これからは、どう読まれるかも責任に含めます。それを言うのに、三十日かかります」
「……三十日で、言うだけですか」
「言うだけです」
エリシアは認めた。
「ですから、停止案の説明文には、切り取りは防げないと書きます」
ヴァルドが顔を上げた。
「それを書いたら、通りません」
「書かずに通した停止は、三十日後に破られます」
その夜、広場では再び集会が開かれた。人数は前日より少ない。減ったのは、飽きたからではなかった。
そして翌朝、議会で、凍結案と一時停止案が同時に審議にかけられることが決まった。
言うだけです、と認める停止案は、通す気があるのか疑われて当然です。凍結・停止・維持の三案が同じ議場で読み上げられ、票読みは僅差。最後に証言台へ立つのは、議員ではありません。




