第79話 揺らぐ基盤
改竄未遂の公表は、即座に広がった。
『公開枠組み内部で改竄未遂』
その見出しだけが独り歩きする。本文には、未遂であること、即時に検知されたこと、履歴は保全されたことが記されている。三つとも、一行目から順に書いた。だが、人々が読むのは見出しだ。
広場の声はさらに強まった。
「内部すら守れない制度だ」
「透明性は幻想だ」
議会は緊急の討議に入った。
「これが証拠だ」
凍結派の議員が立ち上がる。
「制度は破られた」
「未遂です」
反対派が即座に応じる。
「検知機能が働いた証明だ」
「だが、試みはあった」
言葉がぶつかる。レオンハルトは沈黙を保っていた。維持を主張すると本人が言った翌日に、その主張の足場が一つ崩れている。
ハルフェンで、エリシアは記録板のアクセス数を見ていた。急増している。怒りと不安が混ざった波だ。伸びているのは失敗履歴の頁ばかりで、改善履歴の頁はほとんど動いていない。
「世論は凍結に傾いています」
ヴァルドが静かに告げる。
「内部犯の動機も報じられました。父親の件が、共感を呼んでいます」
「要約されていますか」
「されています」
ヴァルドは言いにくそうに続けた。報じられた記事を、彼は全部読んできている。
「他人の履歴を選んだ理由のところは、どの記事にも載っていません」
エリシアは目を閉じた。載せた言葉と、届いた言葉の差が、そのまま設計の穴だった。
彼女が要約させなかった部分だけが、要約で落ちている。制度は要約しなかった。世間が要約した。
「……制度は、正しかったでしょうか」
声は、初めて揺れた。ヴァルドは答えられない。答えれば、慰めになる。
正しさと痛み。両立は難しい。難しいというだけで、諦める理由にはならないはずだった。
扉が開き、レオンハルトが入室する。
「採決は延期になった。世論が不安定すぎる」
短い報告だった。延期という語を、彼は喜んでいない。
「延期は時間を稼ぐ。だが、不信も広がる」
エリシアは立ち上がった。
「私は停止を提案します」
王子の目がはっきりと動く。まだ言うか、と返すまでの間が、昨日より短い。
「まだ言うか」
「改竄未遂が起きました。内部に亀裂があります。そのまま続ければ、さらに壊れます」
レオンハルトはゆっくりと首を振った。首を振ってから、卓の端に指を置いた。
「止めれば、壊れたと認めることになる」
「壊れていないと」
視線が交差する。どちらも譲る材料を持っていない。
「制度は揺れている。だが、機能している」
王子の声は静かだった。
「未遂を検知した。公表した。それが透明性だ」
エリシアは言葉を失った。確かに、その通りだ。未遂を検知し、公表した。設計どおりに動いた。だが、広場の声は止まらない。
「……私は、守れていません」
小さな呟き。制度も、人も。守れていない、と口に出したのは、この二年で初めてだった。
レオンハルトは一歩近づいた。
「守るとは、何だ」
答えはすぐに出ない。守るとは何だ、という問いを、彼が本気で聞いているのが分かる。
「昨日、レナ・クロイツに会いました」
しばらくして、エリシアは言った。
「彼女は、父を二度目の炎上から守るために、他人の履歴を消そうとしました」
王子は黙っている。黙ったまま、話の続きを待っている。
「守ろうとした結果です。守るという言葉は、そういう形もします」
「あなたは、彼女を庇うのか」
「庇いません」
エリシアははっきりと言った。
「ですが、あの判断を私は笑えません。私も、誰かを守るために別の誰かの欄を空けたことがあるはずです。気づいていないだけです」
王子は、それには答えなかった。答えないまま、卓の上の収量表に目をやった。
窓の外、夜の広場に灯りが揺れている。制度は立っている。足元は固まっていない。
エリシアは机の上の収量表を引き寄せ、付箋の挟まった四年目の頁を開いた。付箋には、いつの間にか一行だけ書き足されている。王子の字だった。
『誰が、この村の名を消したのか』
制度が要約しなかった部分だけを、世間が要約して落とした。この回でいちばん痛いのはそこです。次回、卓上に『限定的一時停止案』の一枚が置かれます。説明文に書き足されるのは、通したいなら普通は消す一行です。




