第78話 内部の亀裂
採決当日の朝、公開記録板に異常が検知された。
「……更新ログが不自然です」
ヴァルドが画面を拡大する。本来なら改変できない履歴の欄に、一瞬だけ修正の痕が表示された。すぐに元へ戻っている。戻し方が丁寧で、痕が残ったのは表示側の作りのせいだった。
「改竄未遂です」
アルノーの声が低くなる。会合室の空気が張り詰めた。採決の朝に、というところまでは誰も口にしない。
「外部からの侵入ではありません」
ヴァルドが続ける。
「内部の認証を通っています」
沈黙が落ちる。エリシアはゆっくりとログを追った。使用端末、接続経路、認証鍵。追うのに、四半刻もかからなかった。隠す作りになっていないからだ。
「……枠組み内部の職員です」
名が表示される。レナ・クロイツ。若手の官僚で、動的評価指数の導入時から携わっていた。改善速度の欄の罫を引いたのは、たしかこの人だった。
「拘束は」
「既に」
別室で、レナは抵抗しなかった。椅子に座り、膝の上で手を組んで、静かに言う。
「完全には消せませんでした」
「何を」
エリシアが問う。
「失敗履歴です」
まっすぐな視線だった。言い訳を用意してこなかった人の目だ。
「父は公開で職を失いました。改善していました。再起もしていました。でも、最初の失敗だけが広まった」
その言葉は、アーデルと重なる。同じ痛みが、別々の場所で同じ形の行動を選ばせている。
「公開は正確です」
レナは続ける。
「でも、人生は正確さだけで救われません」
エリシアは黙って聞いていた。反論はいくつも浮かぶ。浮かぶ反論が全部、正しくて何の役にも立たない。
「私は制度を壊したかったわけではありません。止めたかった。少しだけ」
沈黙が挟まる。怒りはない。理解がある。理解があるほうが、処分の話はしにくい。
「一つ、聞かせてください」
エリシアは言った。
「あなたが消そうとしたのは、お父様の履歴ですか」
レナは首を振った。振り方に迷いがない。何度も自分に確かめた答えだった。
「違います」
「では」
「見ず知らずの人のです」
彼女は言った。
「父のを消したら、私だと分かります。分かれば、動機が公開されます。公開されたら、父の名がまた出ます」
エリシアは、そこで初めて言葉に詰まった。守るという語が、こういう形をすることがある。
「……あなたは、お父様を二度目の炎上から守るために、他人の履歴を選んだのですか」
「はい」
レナの目に涙はなかった。乾いた目で、選び方の理屈だけを話している。
「一番古くて、一番改善が進んでいて、誰も気に留めていない人を選びました。消えても誰も困らない人を」
「困りません」
エリシアは静かに言った。
「その人が、困ります」
レナは、そこで初めて視線を落とした。困りません、と言い切ったときの自分の声を、たぶん今、聞き直している。
「……はい」
「改竄は制度の死です」
「分かっています。だから失敗しました」
扉の外では、議会の鐘が鳴り始めている。採決の時間が迫っていた。鐘は五度鳴って、止まった。
ヴァルドが小声で言う。
「改竄未遂が公になれば、凍結派が勢いづきます」
隠せば、不正になる。公開すれば、制度への信頼が揺らぐ。どちらを選んでも、選んだ理由は後から書き足せない。
エリシアは目を閉じた。閉じているあいだ、誰も声をかけなかった。
公開は嘘をつかない。だが、人は揺らぐ。
「公表します。内部からの改竄未遂があったと」
ヴァルドが息を呑んだ。
「自ら傷を晒すのですか」
「公開は選択です。不都合も含めて」
「動機も、ですか」
エリシアは少し考えた。
「動機は本人の言葉で載せます。要約しません」
廊下の向こうで、議会のざわめきが強まっていた。
「消えても誰も困らない人」を選ぶところまで、レナは制度を正しく理解していました。次回、公表された未遂の見出しから、未遂の二文字が先に落ちます。採決は延び、エリシアの声が初めて揺れます。




