第7話 数字は国境を越える
ラグネスの執務室に、見慣れない封蝋の書状が届いたのは、昼を少し回った頃だった。
赤ではない。
王宮の紋章でもない。
「……これは」
エリシア・フォン・ルーヴェルは、封蝋に刻まれた紋様を一目見て判断した。
隣国、シュタインベルク商業同盟。国家ではないが、王国一つ分の経済力を持つ巨大組織。
ヴァルド・グレインが、低く口笛を吹く。
「来たか」
「ええ。思ったより、早いですね」
エリシアは静かに封を切った。
中身は、簡潔だった。
『貴殿の財政設計能力に関心がある。
当同盟の港湾都市にて、短期顧問として協力を願いたい。
期間、三か月。裁量は全面的に貴殿へ委ねる』
条件は破格。
報酬額も、王宮時代の比ではない。
だがエリシアが注目したのは、そこではなかった。
「……“王国への配慮”が、一切書かれていません」
「つまり」
「彼らにとって、私はもう“王国の人材”ではない」
ヴァルドは、面白そうに笑った。
「市場は正直だな。どこの所属かより、“何ができるか”しか見ていない」
エリシアは書状を机に置き、少しだけ考え込んだ。
三か月。
短いが、十分だ。
制度を設計し、回し、結果を残すには。
「受けるか?」
「……即答はしません」
そう言いながらも、彼女の中では答えはほぼ固まっていた。
だが、ここで一つ確認すべきことがある。
――王国は、どう動くか。
その頃、王宮。
宰相ヘルムートは、もう一通の書状を前に、眉間に深い皺を刻んでいた。
内容は、同じくシュタインベルク商業同盟からの通知。
『現在の王国市場は不安定であり、
今後の取引条件については、再検討が必要と判断する』
事実上の、信用低下宣言。
「……彼らは、誰を評価している?」
宰相の問いに、誰も答えなかった。
答えは分かりきっているからだ。
第一王子レオンハルトは、拳を強く握りしめた。
「まさか……彼女に直接?」
「可能性は高いでしょう」
宰相は、淡々と告げる。
「数字を扱える人間は少ない。
まして、制度ごと設計できる者は」
レオンハルトは、歯を食いしばった。
自分が切った婚約者が、今や王国の外で“資源”として扱われている現実。
「……呼び戻せ」
「殿下」
「今度は、正式にだ。条件も出す」
宰相は、ゆっくりと首を振った。
「遅すぎます」
「何?」
「彼女はもう、“交渉される側”ではありません。
“選ぶ側”です」
その言葉は、重かった。
一方、ラグネス。
エリシアは窓辺に立ち、港を見下ろしていた。
船が出入りし、人と物が流れていく。
「国は、人を囲い込めると思っています」
ぽつりと呟く。
「でも、人は……数字を使える場所を選びます」
ヴァルドは、少し間を置いて言った。
「王国を、完全に切ることになるかもしれないぞ」
「切るかどうかは、これから決めます」
エリシアは振り返った。
その表情は、静かで、揺れていない。
「ただ一つだけ、確かなことがあります」
「何だ?」
「私がいなくても回る制度を作らない限り、
王国は、また同じことを繰り返します」
それを、外から示す。
それが、今の自分にできる唯一の仕事だ。
エリシアは机に戻り、新しい帳簿を開いた。
表紙に、簡潔に記す。
『対外顧問案件:検討中』
まだ、結論は出さない。
だが、世界はすでに彼女を中心に動き始めている。
王国がその事実を受け入れるまで――
残された時間は、そう多くはなかった。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




