↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、王宮を出て制度を作り直します ~王国の財政を握っていたのは私でした~  作者: 月守いとは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/135

第6話 善意という名の誤算

 王都の市場は、静かに荒れていた。


 叫び声も、暴動もない。あるのは、売り手と買い手の間に流れる、重く湿った沈黙だけだ。値札は書き直された跡があり、下の数字が透けて見えた。


「……高いですね」


 籠を抱えた婦人が、そう呟いた。向かいの商人は、困ったように肩をすくめる。


「これでも抑えてる方ですよ。仕入れ値が上がってまして」


「でも、王宮が補助金を出したって……」


「ええ。だからこそ、です」


 商人は声を落とす。落としたところで、隣の店にも同じ話が届いている。


「皆が一斉に買いに走った。補助金がある今のうちに、ってね」


 結果、市場から穀物が消えた。倉庫にはある。だが、流れない。ある、と、買える、は別のことだった。


 王宮の施策は、確かに“民のため”だった。価格高騰を抑えるため、補助金を増やす。誰もが納得する判断だ。


 ――ただし、それは「数字がどう動くか」を理解していれば、の話だった。


 その頃、王宮。


 財務局と商務局の合同会議は、硬直していた。


「補助金を増額したのに、なぜ市場価格が下がらない!」


 第一王子レオンハルトは、机を叩いた。その表情には、焦りと苛立ちが混じっている。叩いた拍子に、積んだ資料の角が崩れた。


「殿下……補助金が“需要を刺激しすぎた”可能性が」


「そんな馬鹿な。民が助かるための政策だぞ」


「ですが、結果として――」


「結果は、これから出る!」


 殿下は言い切った。善意を疑うことが、できなかった。疑えと教える者が、この部屋にはもういない。


 宰相ヘルムートは、黙って資料を眺めていた。その指が、ある数字の列で止まる。倉庫の欄は、いつもなら誰も読まない。


「……倉庫在庫は、むしろ増えている」


「え?」


「市場に出ていないだけだ。中間業者が、補助金を前提に買い占めている」


 会議室が、凍りついた。買い占め、という語を、誰も繰り返さなかった。


「止められないのですか」


「法的には……難しい」


 誰もが理解した。これは“違法”ではない。制度の隙を突いただけだ。隙を作ったのは、この部屋の全員だった。


 レオンハルト殿下は、唇を噛みしめた。


「……なら、どうする」


 誰も答えられなかった。答えを持っていないのではない。持っていた者が、ここにいない。


 その問いに、答えを出せる者は――もう、ここにはいない。


 同じ数字を、二日遅れでラグネスも見ていた。


 エリシア・フォン・ルーヴェルの手元にあるのは、商会連合の報告書だ。港湾使用料改定後の流通量。市場価格。倉庫回転率。


 すべて、想定の範囲内だった。範囲内である、ということ自体が、この日の報告のすべてだった。


「……王都が、補助金を増やしたようです」


 ヴァルドが、苦い顔で言った。増やした、という一語だけで、この先の三か月が読める。


「そう」


 エリシアは、それだけ答えた。


「止めないのか?」


「止める立場ではありません」


 淡々とした声。だが、冷たいわけではない。


「ただ……結果は、見えます」


 エリシアはペンを置いた。


「補助金は、“不足を補うため”に使うものです。“恐怖を打ち消すため”に使えば、必ず歪みます」


 ヴァルドは、静かに頷いた。


「王都は、恐れている」


「ええ。だから、急いだ」


 急ぐ者は、数字を見失う。見失ってから急ぐと、もう戻れない。


 その夜、王都の東門近くで、穀物を積んだ荷車が止められた。


 止めたのは、兵ではない。列に並んでいた人たちだった。


「なぜ運び出す」


「これは契約で――」


「先に売る約束だっただろう」


 声が上がり、押し合いになって、麻袋がひとつ裂けた。零れた麦を誰かがしゃがんで手ですくい、すくった手を別の誰かが押しのける。


 大怪我をした者はいない。翌朝には片づき、どこの記録にも残らなかった。麦は掃き集められ、荷車は予定どおり東門を出た。残ったのは、言葉だけだ。


「王宮の施策は、場当たり的だ」


「象徴ばかりで、中身がない」


 それは、レオンハルト殿下が最も恐れていた言葉だった。


 翌朝、王宮に一通の書状が届く。隣国の大商会からのものだった。


『現状の王国市場は、不安定であり、当面の取引を見合わせたい』


 宰相ヘルムートは、書状を握りしめ、目を閉じた。取引を見合わせたい、という言い方は、断りではなく様子見だ。様子を見られている側には、打てる手が少ない。


 ――始まってしまった。


 これは失敗ではない。修正できない“流れ”だ。


 同じ噂は、三日遅れでラグネスの港に届いた。


 エリシアは、それを聞いても手を止めなかった。手を止めれば、聞いたことになる。


「……止めますか」


 ヴァルドが、確かめるように言う。


「止める立場ではありません」


 同じ言葉を、今日二度言った。二度目の方が、少しだけ重かった。


 彼女はまだ、何もしていない。それでも、世界は確実に分岐していく。


 戻れる道は、もう細い。

補助金は不足を埋める道具で、恐怖を消す道具ではない――この作で教訓めいた言い方をするのはここくらいで、あとは全部ただの結果です。次回、ラグネスに赤ではない封蝋の書状が届きます。差出人はシュタインベルク商業同盟。三か月、裁量は全面。彼女は返事の書き出しを何度も書き直します。迷っている理由は、王宮の想像とは違います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。