第54話 枠組みの亀裂
公開型枠組みの臨時会合は、議題が事前に通達されていた。
『効率条項の追加提案』
会場の空気は重い。提案者は、商会連合の一部と、独立投資団体だった。通達には提案者名が三つ並んでいるが、三つとも代理人の名で、本人の署名はどこにもない。
「公開は維持する」
代表者が言う。読み上げる声は落ち着いていて、原稿を見ていない。何度も口にした文だと分かる。
「だが、予測淘汰指数を参考値として正式採用すべきだ」
つまり、効率モデルを枠組みに組み込む。
アルノーが口を開いた。議事の頁に、細い指で押さえた跡が一つ残る。
「それは事実上の制限条項では」
「強制ではない。参考指標だ」
だが、全員が理解している。参考は、やがて基準になる。基準になった参考は、誰が決めたのか分からなくなる。
カイは黙っていた。だが、反対もしない。
「公開は中立であるべきだ」
同盟側が言う。
「中立であるなら、効率も排除すべきではない」
理屈は崩せない。崩せない理屈は、たいてい前提のほうに穴がある。だが、この場で前提を外すだけの時間はなかった。
エリシアはゆっくりと立ち上がった。
「確認します。効率指数を採用すれば、資本は指数に沿って動きます」
「市場は既に動いている」
「ですが、枠組みが公式採用すれば、それは制度の方向になります」
沈黙。
「公開は、見せるための設計です。導くための設計ではありません」
「現状でも導いている」
誰かが言った。痛い指摘だった。公開は中立だ。だが、資本は反応する。反応した先を、公開は止められない。
「採決を」
提案者が言う。期限は一週間後。それまでに意見書を提出する。
会合が終わったあと、回廊でカイが声をかけてきた。
「予想通りですね」
「あなたが動かしたのですか」
「いいえ」
即答だった。
「市場が動いた」
それは事実だ。
「私は止めません。効率が支持されるなら、それが答えです」
「支持は、恐れからも生まれます」
エリシアは返す。声は上げない。上げれば、恐れの話が感情の話になる。
「失敗を恐れる心が、指数に縋ります」
カイの目が細まる。反論までの間が、いつもより半拍だけ遅い。
「恐れは合理的です」
「恐れだけで制度を作ると、挑戦が消えます」
短い沈黙。回廊の窓は西向きで、この時刻は影が長い。二人の足元で、影の先が同じ石畳の目地に落ちていた。
「あなたは、挑戦を守りたい」
「あなたは、崩壊を止めたい」
視線が交わる。似ている。だが、方向が違う。
「一つ、資料をお借りしたいのですが」
エリシアは言った。
「何を」
「あなたのお父様の、最後の七年の帳簿です。残っていれば」
カイの表情が、初めて動いた。
「……なぜ」
「二年目と五年目に持ち直したとおっしゃいました。その二回が、どのくらいの長さだったかを知りたいのです」
「意味がありません。結果は同じです」
「結果は同じです」
エリシアは認めた。
「ですが、結果までの形が違えば、次の人は別の場所で止まれます」
カイはしばらく黙っていた。返事までの間が、いつもの一定の速度から外れていた。
「……焼きました」
彼は言った。
「家を出るときに、全部」
エリシアは、それ以上聞かなかった。聞けば、焼いた理由まで答えさせることになる。答えさせたところで、帳簿は戻らない。
ハルフェンに戻ると、ヴァルドが待っていた。
「参加団体の三分の一が、効率条項に賛成寄りです」
思ったより多い。三分の一は、通らないが無視もできない、いちばん厄介な位置にある。
「王国は」
「中立を保っています」
王子は動かない。動けば、基金の拡充が政治的取引に見える。動かないことを選んだのだと分かる程度には、彼のやり方が読めるようになっていた。
採決まで七日。
エリシアは白紙を見つめた。淘汰そのものが問題ではない。問題は固定化だ。時間が圧縮されている。
彼女は机の上に二つのものを並べた。カイの予測淘汰モデルの資料と、紐を解いた古い帳簿。片方には、七年ぶんの数式がある。もう片方には、二度ぶんの実際がある。
焼かれた七年ぶんは、どちらにも無い。
数式にも実物にも入らない七年が、この回で確定しました。作者としては、カイが「意味がありません」と言い切るまでの一拍を、一番丁寧に書いたつもりです。制限は、次の回で連鎖に変わります。三十という数字が記録板に載り、寝る場所の話をリリアがします。「うちが取れたのは七人までです」。




