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婚約破棄されたので、王宮を出て制度を作り直します ~王国の財政を握っていたのは私でした~  作者: 月守いとは


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第53話 政治の矜持

 王宮の応接室。重厚な扉が閉じられ、室内には三人だけが残った。第一王子レオンハルト、側近、そして、セオドア・グレイ。


「本日はお時間を」


 セオドアは礼儀正しく一礼した。座るまでの動作に無駄がない。上着の裾を、椅子に掛ける前に一度だけ払った。


「単刀直入に言おう」


 レオンハルトは前置きを省いた。


「予測淘汰モデルの運用速度を落としてほしい」


 沈黙が落ちる。セオドアは微笑を崩さない。崩さないことが、この人の返事の代わりだった。


「理由をお聞かせ願えますか」


「再挑戦基金が追いつかない」


 王子は率直だった。前置きを削った言い方をするのは、削るだけの理由があるときだ。


「市場が淘汰を加速させれば、再起の機会が失われる」


「殿下。市場は感情では動きません」


「承知している」


「ならば、資源は効率的に配分すべきです。失敗確率の高い団体に資金を投じることは、全体の損失を増やします」


 正論だった。カイの理論と同じ言葉が、資本の口から出てくる。出どころの違う二人が同じ結論に着くとき、その結論はたいてい強い。


「損失は数字で測れる」


 レオンハルトは言う。


「だが、機会損失は測りにくい。再起できた団体が将来生む価値は、現時点では予測できない」


「確率は低い」


「ゼロではない」


 短い応酬だった。政治と資本の言語は違う。違う言語で話しているのに、どちらも間違っていない。間違っていない者どうしは、どちらかが折れるまで終わらない。


「殿下は、公開を守ると宣言された。それは賢明です」


 セオドアが静かに言う。賢明です、という褒め方に、追従の色は無い。


「だが、公開は中立だ。中立であるなら、淘汰も許容するべきでは」


「淘汰は許容する」


 即答だった。許容する、と先に言っておくことで、次の一語が効く。


「だが、暴走は許容しない」


 部屋の空気がわずかに変わる。側近が姿勢を直し、卓の下で足の位置を組み替えた。


「暴走、ですか」


「資本が一方向に流れれば、制度は偏る。公開は、偏りを見せるためのものだ」


「では、どうなさいますか」


 セオドアの問いは、試すようだった。どうなさいますか、という言い方を、彼はこの日三度使った。


 王子は引き出しから一枚の紙を取り出し、卓に置いた。照合結果だった。屋号が一つ、廃業の日付が二つ。二度目の日付の下に、彼の署名のある通達の番号が書いてある。紙の折り目は深く、何度も開かれた形に癖がついていた。


「この商会は、二度潰れた。一度目は私の通達で、二度目は私が採用した方式の下でだ」


 セオドアは紙を見た。読んでから、視線を上げる。読み終えるまでに、思ったより時間がかかった。


「一件ですね」


「一件だ」


 王子は認めた。


「君の言う通り、確率の話にすれば誤差だ。だが、私は一件しか名前を知らない。名前を知っている一件が、私にとっては全部だ」


「それは、政治の言い方です」


「そうだ」


 レオンハルトは頷いた。


「私は政治をしている」


 彼は深く息を吸った。吸ってから口にすることは、たいてい取り消せない種類の話になる。


「再挑戦基金を拡充する」


 側近が驚いた。帳面を開いたまま、次の行を書けずにいる。


「殿下、財源が――」


「軍事費の一部を振り替える」


 室内が静まり返る。軍事費は、王国の誇りだ。触れれば必ず名前が残る種類の金でもある。


「政治的反発は避けられません」


「承知している」


 レオンハルトは揺れない。


「公開は止めない。効率も否定しない。だが、支える」


 セオドアはしばらく王子を見つめた。


「……政治とは、非効率ですね」


「そうだ」


 王子は淡く笑う。笑ったのは、この日これが最初で最後だった。


「だが、それが役割だ」


 セオドアは立ち上がり、扉の手前で足を止めた。


「殿下。私の資本は、殿下の基金には逆らいません。逆らうほどの理由がない。ですが、市場は私の資本だけではありません」


 彼は一礼して出ていった。来たときと同じ速さで歩き、扉の前で一度も振り返らなかった。扉が閉まったあと、レオンハルトは卓の紙を裏返さずに、そのまま引き出しへ戻した。裏返せば、屋号が見えなくなる。見えなくなったものは、そのうち数えなくなる。


 その夜、王国は正式に発表した。


『再挑戦基金、倍額拡充』


 市場はざわついた。財政懸念、軍部の不満、議会の批判。だが同時に、リリア商団の頁に新しい記録が追加された。


【再挑戦基金支援対象】


 ハルフェンでは、ヴァルドがその更新を読み上げた。


「王子が動きました」


「ええ」


 エリシアは静かに頷く。政治が、時間を買った。


 効率は速い。政治は、遅いかわりに時間を作れる。作れる量は決まっている。今回は、何日ぶんだろうか。


 彼女は記録板の更新日時を書き写し、その横に空欄を一つ作った。基金が尽きた日を書くための欄だった。

王子の見せ場ですが、書きたかったのは「名前を一つしか知らない」のほうです。誤差の一件を、政治は全部として扱える。遅い理由でもあり、時間を作れる理由でもあります。効率条項の追加提案が、枠組みに正式に出ます。採決まで一週間。回廊でエリシアがカイに、借りたいものを一つ告げます。ブックマークと評価は、軍事費の付け替え伝票より、ずっと軽い手続きで通ります。

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