第52話 流れる資本
市場は、正直だった。
カイの実証結果が公開されて三日。投資連合を率いるセオドア・グレイが、正式声明を出した。
『予測淘汰モデルを採用する団体を優先支援する』
声明はそれだけだった。前置きも、条件も、期限も書いていない。翌朝から、資本が動き始める。
公開枠組みの記録板に、新しいタグが増えた。
【効率準拠】
その印がついた団体に資金が集まり、ついていない団体から資金が引く。印は小さい。見出しの右端に、括弧で括った短い札が入るだけだ。
「……露骨ですね」
ヴァルドが記録板を見ながら言う。印の付いた行と付いていない行が、同じ書式で並んでいる。書式が同じだから、余計に差が見える。
「ええ」
エリシアは否定しない。公開は平等だ。だが、資本は選ぶ。見えるようにすると、選びやすくもなる。選びやすくすることまでは、設計に書いていなかった。
リリア商団の頁を開く。再建計画更新、小規模契約交渉中。更新の日付は昨日になっている。だが、タグはない。
午後、リリアが訪ねてきた。以前よりも顔色が悪い。応接の椅子に座るとき、鞄を膝ではなく足元に置いた。前に来たときは膝に置いていた。
「団員が三人、離れました」
声は落ち着いているが、目の奥に疲労がある。
「効率準拠の商団へ移るそうです」
責める調子はない。責める相手を決めるのに、たぶんもう疲れている。
「あなたのせいではありません」
「いいえ」
リリアは静かに首を振る。
「私の失敗です」
公開履歴、失敗確率予測、資本の流れ。すべてが合理的だった。合理的なものは、恨む相手がいない。
「三人のうち、一人は五年いました」
彼女は言った。
「昨日、荷の積み方を後任に教えてから、出ていきました。積み方の紙まで書いて、荷台の内側に貼っていきました。あの人らしい、と思いました」
「引き止めましたか」
「いいえ」
リリアは少しだけ笑った。
「行った先で潰れたら、私のせいになります」
エリシアは、何も言わなかった。
「再挑戦します。ですが、資金がなければ、挑戦もできません」
その通りだった。挑戦を勧める言葉は、資金の話の前では軽くなる。エリシアは、その軽さを口に出さずに数えた。
その夜、王宮では側近が報告していた。
「資本流出が加速しています。再挑戦基金では追いつきません」
レオンハルトは拳を握った。公開を守ると決めた。だが、効率の波は強い。
「セオドアを呼べ」
「殿下」
「交渉する」
彼は言ってから、卓の端に置いてある薄い綴りに目をやった。港湾都市から回ってきた記録板の写しだ。届くのは月に一度、頼んだわけではない。誰が回させているのかも、確かめていない。確かめれば、止めなければならなくなる。
同じ頃、ハルフェンでエリシアは一人で記録板を見つめていた。
淘汰モデル採用団体、短期安定。非採用団体、資金減少。数字は残酷だった。
「……私は、負けていますか」
小さく呟く。ヴァルドは答えなかった。答えないことで、答えていた。港湾の夜番が交代する鐘が、遠くで二度鳴る。二度目のほうが、風の向きのせいで近く聞こえた。
公開はまだ機能している。だが、優位ではない。
カイの言葉がよぎる。淘汰は悪ではない。否定できない。だが、淘汰の速度が速すぎる。
エリシアは机に戻り、紐を解いたままの古い帳簿を引き寄せた。一度目の廃業の頁。仕入れが細り、支払いが遅れ、それでも三か月だけ持ち直している年がある。持ち直した理由は、どこにも書いていない。書く欄がなかったからだ。
その三か月を、どの指数も見ていない。失敗確率の計算は、潰れたかどうかだけを見る。持ち直したかどうかは、潰れたという結果に吸い込まれて消える。
エリシアは白紙を取り出した。まだ形にならない。
だが、問題は淘汰そのものではないと、はっきり感じていた。資本は待たない。市場も待たない。だが、再起には時間がいる。
窓の外の灯りが揺れる。彼女は白紙の隅に、小さく一語だけ書いた。
『三か月』
合理的なものは、恨む相手がいない。この帯で一番書きたかった一行は、たぶんこれです。五年いた団員が荷の積み方を教えてから出ていく場面は、リリアの負けではなく、指数の勝ち方を描いたつもりでした。次回は王宮の応接室。レオンハルトがセオドア・グレイの前に、一枚の紙を置きます。屋号が一つ、廃業の日付が二つ。




