第16話 小さな破綻
地方都市レイデルの倉庫街は、いつもより静かだった。
人がいないわけではない。
荷が止まっているわけでもない。
ただ――動きが鈍い。
「……三割、遅れています」
現場責任者が、苦い顔で報告した。
「数値基準は満たしていますが……実情としては」
王国監査局から派遣された監査官、クレア・ミルトンは、帳票を見下ろしていた。
基準値は、確かに達成されている。
だが、彼女の視線は別の欄にあった。
「積載率が、極端に偏っています」
「効率を優先した結果です」
役人は即答する。
「回転の速い荷を優先し、
基準に達しないものは後回しに――」
「後回しにされた荷は?」
「……翌週に」
クレアは、倉庫の奥を見た。
そこには、動かされないままの箱が積まれている。
「中身は?」
「地方農家からの加工前原料です。
単価が低いので、優先度が――」
クレアは、言葉を継がせなかった。
「これが遅れると、どうなりますか」
「……加工が遅れます」
「加工が遅れると?」
「……出荷が」
「出荷が遅れれば?」
役人は、口を閉ざした。
数値基準は、正しい。
だが、連鎖は数値に現れにくい。
その日の夕方。
市場で、小さな騒ぎが起きた。
「まだ入らないのか?」
「例年なら、もう並んでいるはずだぞ」
農産加工品の棚が、部分的に空いている。
致命的ではない。
だが、違和感は確かに残る。
商人たちは、不安げに顔を見合わせた。
「今年は、遅いな」
「何かあったのか?」
その夜、クレアは宿で報告書を書いていた。
『物流効率は基準達成。
ただし、低単価品の滞留が確認される』
彼女は、ペンを止めた。
この文面では、誰も動かない。
“基準達成”という言葉が、すべてを覆い隠す。
翌日。
王都からの返答は、予想通りだった。
『重大な問題は確認されず。
引き続き、数値基準を優先せよ』
クレアは、紙を握りしめた。
――小さい。
小さすぎて、誰も「失敗」と呼ばない。
だが、確実に“積もる”。
一方、ハルフェン。
エリシア・フォン・ルーヴェルは、王国から届いた公開資料を眺めていた。
改革成果を示す、整った数字。
「……基準値は、美しいですね」
アルノーが、肩をすくめる。
「真似をするなら、もう少し賢くやればいい」
「賢さの問題ではありません」
エリシアは、静かに答えた。
「“何を見ないか”を、決めているだけです」
彼女は、帳簿の余白に書き込む。
『王国改革:低単価・長期連鎖の切断を確認』
数字は、まだ崩れていない。
だが、流れは変わった。
誰も騒がない。
誰も止めない。
だからこそ、この破綻は――
取り返しがつかない形で、進行していく。
王国は、まだ気づいていなかった。
“成功している間に壊れる”という、
最も厄介な失敗が始まっていることに。




