第133話 監査は誰のものか
王国評議会は、円卓ではない。長机が三方に置かれ、正面に王太子の席がある。議題を出した者は、中央に立って説明する。座席はない。立って話し、座らずに退く。座らせないのは、話を短くさせるための設計だと言われている。
その日の三つ目の議題が、差分の件だった。説明に立ったのは、エドガル・ヴェインだった。議題を出したのは王太子で、説明に立つのは局長だという割り振りは、事前に誰も説明していない。
局内の採決は、四日前に終わっている。賛成十一、反対八、保留一。過半には届いたが、割れは残った。彼は、その数字を最初に読み上げた。
「賛成十一、反対八、保留一。監査局は一致しておりません」
評議の席が、ざわついた。一致していないと自分から言う局長は、珍しい。
「反対の理由は、三点にまとめられます。手間、権威、そして先例です」
エドガルは、順に説明した。手間については、実測がある。一件あたり平均十二分、年間およそ四十時間。人員一名の五日分。
権威については、判定そのものが変わらないこと、基準も変わらないことを繰り返した。
「三点目の、先例が、いちばん重い」
彼は言った。
「外部から提案された様式を採ると、次から外部が様式を提案してよいという前例になる。反対の八名は、そこを最も懸念しております」
「局長は、どうお考えか」
評議の一人が訊いた。反対の理由を三つとも自分で並べた者に、次に何を訊けばよいかを測りかねている訊き方だった。
「前例になります」
エドガルは、否定しなかった。
「なりますので、案の出どころを問わない手続きを、局内に新設いたしました。誰が出しても同じ扱いにする。第一号は、局内の三年目の監査官が出した四十件の検算です」
ざわめきが、少し変わった。外から来た案の話をしていたはずが、局の内側の手続きの話になっている。
「もう一つ、申し上げます」
彼は、卓に一枚を置いた。
「基準に欠陥があると、私は認めました。第十七項、誤差記録欄は、目的を果たしておりません。四十件の実測で確認できません」
評議の空気が、はっきり動いた。基準を作った当人が、公の席でそれを言った。前例のないことだった。
傍聴の柵の内側で、書記が二人、同じ行を書き直している。こういう発言は、聞いたとおりに書くと後で揉める。かといって丸めて書けば、記録として残らない。二人とも、そこで手が止まっていた。
「では、局長は退かれるか」
声が上がった。
「退きません」
エドガルは、まっすぐ答えた。
「退けば、基準を書いた責任者の欄が空きます。空いた欄を、私は二十二年前に見ております」
説明は、そこで終わった。立たされたまま話す設計は、この日、話を短くさせる役に立たなかった。
議論は、二刻続いた。賛成の理由も反対の理由も、局内で出たものとほとんど同じだった。新しかったのは一つだけ、宰相ヘルムートの発言だった。
「私は、この様式そのものには関心がない」
彼は、座ったまま言った。
「関心があるのは、監査局が今月、例年の六割しか判定を出せていないことだ。割れたまま置けば、公開枠組みは半年で止まる。止めないために、決めるべきだと考える」
それが、実質の決着だった。採決は、条件付きの可決だった。条件は、二つ。
一つ。試行は三年とする。三年後に、差分欄が実際に読まれたかどうかを報告し、読まれていなければ廃止する。
二つ。適用は、可決日以降の新規判定に限る。過去の判定には遡らない。
二つ目の条件が読み上げられたとき、傍聴の席にいたアルノー・リヒターが、隣を見た。
エリシアは、表情を変えなかった。膝の上の綴りも開かなかった。開いていれば、書き込む欄がそこにある。
議が終わり、人が引いたあと、エドガルが傍聴席のほうへ歩いてきた。
「ルーヴェル様」
「お疲れさまでした」
「二つ目の条件は、私が呑みました」
彼は言った。
「遡らないと決めなければ、可決しませんでした」
「存じています」
「リーデン町は、戻りません」
「戻りません」
エリシアは、静かに答えた。
「戻す仕組みではありませんでしたので」
エドガルは、しばらく彼女を見ていた。
「あなたは、最初から分かっていた」
「はい」
「ではなぜ、あの町の名を、見本に使われたのですか」
エリシアは、少し間を置いた。訊かれると思っていた問いだった。用意しておいた答えは、短いほうを選んだ。
「見本に使わなければ、あの十六回は、どの紙にも載りませんでした」
彼女は言った。
「可決した様式の見本として、あの数字は監査局の記録に残ります。判定としてではなく、様式の説明として。それだけです」
エドガルは、目を伏せた。伏せてから、そのまま少しのあいだ上げなかった。
「……それだけ、ですか」
「それだけです」
エリシアは言った。
「ですが、無いよりは残ります」
彼は、しばらく黙っていた。それから、いつもどおり丁寧に会釈をして、去っていった。
アルノーが、小さな声で訊いた。傍聴席の柵の内側では、大きな声を出す習慣が誰にも無い。
「ルーヴェル様。これは、勝ちでしょうか」
「いいえ」
「では」
「三年の試行が付きました。三年後に読まれていなければ、廃止です」
エリシアは、傍聴席から立ち上がった。
「勝ち負けが決まるのは、三年後です。それも、たぶん、決まりません」
「決まらない」
「読まれたかどうかを、どう測るかが決まっていませんので」
彼女は、階段のほうへ歩き出した。
「そこを、これから作ります」
アルノーは、綴りを抱えて後を追った。追いながら、この人はいつも、決まった直後に次の未決を見つけている、と思った。祝う時間を取らないのではない。祝うほど決まっていないことを、正確に知っているだけだ。
可決した回なのに、勝ったとは書きませんでした。条件を呑んだ人と、最初から戻す仕組みではなかったと言う人が、同じ側に立っている。この作品のざまぁは、いつもこの温度です。次回、二十三枚が長机の端から端まで並びます。責任者欄を作らないと決めていた人が、欄を作っています。ブックマークと評価は、この欄が「読まれた」と数えられる側の証拠になります。




