第130話 二年目の欠け
マリアンヌ・フェルゼンは、二年目の集計を、雪の残る二月の第二週に終えた。
一年目より、四日早かった。
早くなった理由は、はっきりしている。返事が来るようになったからだ。
一年目、彼女が北方の駅逓へ出した手紙は、半分しか返ってこなかった。二度書き、三度書き、それでも返らない月があった。二年目は、出した分の八割が一度で返ってくる。
変わったのは、駅逓の側の何かではない。彼女の手紙の書き方だった。
一年目、彼女はこう書いていた。
『前月の遅延日数をご報告ください』
二年目は、こう書いている。
『前月の遅延日数をご報告ください。用紙は同封のものをお使いください。空欄は空欄のままで結構です。分からない日は「不明」とお書きください』
空欄のままで結構、と書いたのが効いた。
一年目に返事が来なかった月は、遅延がひどかった月だった。書きにくかったのだ。書けば咎められると思われていた。誰も咎めるつもりはなかった。だが、そう書いていなかった。
書いていないことは、伝わらない。当たり前のことだが、彼女がそれを覚えるのに一年かかった。一年ぶんの空欄は、駅逓の怠慢ではなく、彼女の文面の穴だった。
二年目の集計表を、マリアンヌは机に広げる。
十二か月。路線は三つに増えた。一年目は一路線だった。路線と月を掛けて、三十六。そのうち、埋まらなかったのが五つ。一年目は、十二のうち六が空いていた。
「五つか」
ラウルが、背後から覗き込む。
「はい。北の一路線に、冬の三か月と、夏の二か月です」
「まだ再現には足りんな」
「足りません」
マリアンヌは、はっきり言った。
「三年目が終われば、たぶん足ります。たぶん、です」
「たぶん、か」
「三年ぶんあっても、欠けが同じ月に重なっていれば、再現できません。冬の値が三年とも欠けていたら、冬は永遠に出ません。そして、いちばん知りたいのは冬の値です」
「厄介だな」
「厄介です。ですので、三年目は冬から先に埋めます」
「今年の冬は」
「まだ終わっていません」
彼女は、そう答えて、少し笑った。笑ってから、自分が笑ったことに驚いた。二年前、この部屋で笑ったことは一度もなかった。
「フェルゼン」
「はい」
「監査局から、また来ている」
ラウルが、一枚を机に置いた。
マリアンヌは、身構えた。去年、監査局は彼女の記録を十四項の不適合と判定した。理由のほとんどは「一年目だから」だった。今年も同じだろう。二年目だから、まだ足りない。
開いて、読んだ。
照会ではなかった。
『貴局の一年目回答に添付された試算を、監査局年次所見に例として掲載した。掲載にあたり、責任者名を伏せるか明記するかの意向を確認したい』
マリアンヌは、二度読んだ。
年次所見。監査局が毎年、王国評議会に出す文書だ。彼女は現物を見たことがない。書記官の手元まで回ってくる文書ではないからだ。だが、そこに載るということの意味は分かる。評議会に出る紙は、宰相が読む。宰相が読んだ紙の中身は、翌年の配置に効く。
「ラウル様」
「なんだ」
「私の試算が、監査局の所見に載るそうです」
「載る」
「基準の充足に必要な人員が、現行の配置では出せていない、という事実の例として」
ラウルは、その一枚を取って、自分でも読んだ。読み終えて、椅子に沈んだ。
「……去年、出したやつか」
「はい」
「人手が足りないので出来ません、と書いた回答か」
「そうは書いておりません」
マリアンヌは、少しだけ胸を張った。
「必要な人手は一名、半年、月に八日で足ります、と書きました」
ラウルは、しばらく黙っていた。それから、机を一度、掌で叩いた。強くではない。確かめるような叩き方だった。
「フェルゼン。名は」
「明記していただきます」
即答だった。
「よいのか。載れば、あれはお前の主張になるぞ」
「主張です」
マリアンヌは言った。
「二年前でしたら、伏せていただいたと思います」
「今は」
「今は、責任者欄を空けたくありません」
彼女は、回答用紙を引き寄せて、書き始めた。
『明記を希望します』
書いて、いちばん下に名を入れる。
『マリアンヌ・フェルゼン』
書き終えてから、彼女は抽斗の奥に手を入れた。古い帳簿。参照用の抜粋。余白の書き込み。
『責任者:不明。要確認』
その一行を、彼女は初めて、笑わずに見られるようになっていた。
二年前、この一行は、王宮への叱責に見えた。誰も責任を負っていない、という指摘に。
いまは、違って見える。これは、指摘ではない。埋めろ、という指示だ。埋めるまでのあいだ、空白であることを正確に書いておけ、という。
マリアンヌは、帳簿を閉じて、抽斗に戻した。
部屋を出る前に、彼女は掲示板の前で足を止めた。
評議会の議題の写しが貼ってある。差分の件が春に載る、とだけ書いてある。提出者の欄には、王太子の名が入っていた。設計にあたった者の欄は、いつものように無い。
欄が無いのは、様式がそうだからだ。様式を直すには、また誰かが紙を出さなければならない。
マリアンヌは、その欄のことを回答用紙の余白に一行だけ控えて、廊下へ出た。
三年目の用紙を、これから刷る。雪が解ける前に、駅逓へ送らなければならない。
刷る枚数は、去年より多い。路線が三つになったからだ。三年目に四つ目が増えるかどうかは、まだ分からない。増えれば、また一年目の路線が一つできる。一年目の記録は、いつまでも足りない。
足りないまま出す用紙を、彼女はもう恥ずかしいとは思わなかった。
「空欄は空欄のままで結構です」の一文で返信率が変わる、というのは作者の実感でもあります。書いていないことは伝わりません。次回、雪の解けた週の四度目の局内会議。エドガルの第一声は「本日は、様式の話をしません」。ブックマークと評価は、三年目の記録の一行として、空欄でなく埋めていただけますと幸いです。




